




考えてみれば、彼とはそれほど年齢が変わらない。 が、正直なところ、リアルタイムで彼を追った記憶はない。 むしろ家内が大ファンだったことで、彼女を通して色々知ったといったところだ...。 ただ、彼の生きた時代...特に学生の時分...同世代と言える分だけ、後々聴いてみて、思った以上に共感できるのには驚いた記憶がある。 昨今我がメタボ腹を見詰めながら「尾崎も今生きていたら、こういうオジさんになったのかしら...」と、タメ息をつくカミさんを見るにつけ、26,7歳で自ら命を絶った人に、嫉妬心に似て非なる妙な感情が残ったりするのだった...。
とは言え、彼の歌声は、未だこれを超えるものが出ない...と嘆くに値するだろう透明性を持っているように思う。 これまで、カラオケで彼の曲に出会って、納得できた例はない。 自身挑んだことはないが、どんなにカラオケ上手と定評のある人間でも、彼の曲については、何か「物足りなさ」を感じてしまうのは、なぜなのかと思うことがしばしばだ。 最近ではCMで中村あゆみが、歌っているのを耳にするが、端から「違う!」と拒絶反応が出てしまった。 彼女ほどの歌唱力をもってしても、納得できないのであれば、最早尾崎の歌は、尾崎でなければダメなのだろう。 彼が薄命であったのは、自ら絶った命と引き換えに、伝説を残さんとしたのか!?などと、未だ在らぬ方向に結論されるのも、彼だからなのかと、昨今妙に納得するようになってしまった。

既に4年もたったことの方が驚きだが、これはかなりインパクトのある事故だった。 月並みなセリフではあるが、犠牲となった方々には、謹んでご冥福をお祈りしたいと思う。
実を言えば、尾崎に関する記事を発見して、軽くコメントを載せようと考えたが、過去を振り返って記事を書くには、この事故を黙殺することが、どうしてもわざとらしく思えた。 ただ、これだけの事故であって、未だ未解決の問題を抱えているにも関わらず、自身関西に住んでいないが故か、単なる薄情なのか、事故に対する記憶が、年々薄れていくことを感じずにはいられない。
決して軽視したい訳ではないが、この事実と自身の感情を、うまくコントロールして、記事として成り立たせる術が、結果見つからずに書き殴る羽目に陥った...。
少し補完できるとすれば、45年前カレンダーに、同様に鉄道事故の記事を見つけたことだったろうか...。 だから何だ!?と言われそうだが、「惨事」などという活字が、紙面に躍ることのない日が、1日でも多く訪れることを願って...といったところだろうか...。
|
![]() | ![]() | ![]() |
![]() | ![]() | ![]() |