ドドメのぽっこりタイム

趣味の「猫写真」と日々の出来事。(=^・^=)
気ままに生きるおばさんOLの日記です。

年賀状について考える・・・年賀状マウントって何?な話

2022年12月23日 | 日記


今日の猫ちゃんは、道場の近所に住んでいる猫さん。

階段の下から、ドドメを見つめていました。可愛い

で、ここからが今日のお話。

先日テレビを見ていたら、年賀状マウントの特集をしておりました。

年賀状マウントとは年賀状でマウンティングする行為だそうで、年賀状の送り主が自分の幸せを見せつけて自慢したり、相手より自分が上だと格付けすることらしい。

その例として、年賀状に「幸せな家族写真」「海外旅行の写真」「結婚しました」「子供が生まれました」の内容が入っているのが該当するとの事。

ドドメ的には「は?」何言っちゃってんのって感じでした。

ってか、マウント例の年賀状って私は受け取ると嬉しい。

私の感覚がおかしいのでしょうか?

毎年「幸せな家族写真」を送ってくる友人がいますが、友人と子供の成長がみられて楽しいし、子供は成長と共にお母さんに似てきたり、お父さんに似てきたり、友人が太っていく姿をみたり逆に痩せて綺麗になったね的な物もあり、楽しんでいたのですが、これは私がマウントされていたということでしょうか?

「結婚しました」の年賀状を貰うと、とうとうあの子も結婚したのね。とか、「お嫁さん、綺麗な人ね」とか「随分若い子捕まえたわね。やったね!」みたいに感じていたのですが、これも私はマウントされていたのでしょうか?

子供を欲しがっていた友人が「子供が生まれました」とか子供の写真だけ、成長についてだけ書いた年賀状を送ってくることもありますが、念願が叶ってよかったね。と思う私はマウンティングに気づかないお馬鹿さんなのか??(私は子供がいません)

「海外旅行の写真」も然り、綺麗な景色と友人の姿を見て、「あら素敵!私も今度行って見よう」とか思っていたのですが・・・ダメなの?それって羨ましがって、自分は友人より格下だと自覚しないといけないものなのでしょうか?

私・・・標準的な日本人の感覚からずれてるの?

人の幸せそうな年賀状を見ると、一緒に喜べない人がいるそうだ。

確かに、大事な人を亡くした直後とか、悲しい事があった後は素直に人に幸せを受け入れない時もあると思う。

でも、それを相手からのマウンティングだというのはちょっと過敏過ぎるとドドメは思う。

今から20年前に「世界に一つだけの花」という曲が大ヒットしましたが、この曲の歌詞を理解していた人が日本中にどのくらいいたんだろう?とちょっと思っちゃった。

今の時代、年賀状をやりとりする友人というのは限られているし、それなりに人となりを知っての間柄だから、相手が今一番楽しいとか嬉しいということを年賀状で共有できることは喜ばしい事だと思う。この考え方はダメなの?

ちなみに、ドドメが貰って嫌なのは、毎年離婚した元旦那の悪口を書いてくる年賀状。
お正月から人の悪口を書いた物を読みたくないし、元旦那は私が10代の頃から家族ぐるみでお付き合いのあった友人なので、この年賀状が届くと心底辟易します。

また、貰って困惑するのは、家族の写真を細切れにして20個位貼り付けてくる年賀状。
色々楽しかった思い出なんだろうけど、家族が全部顔の周りだけ切り取られた感じで貼り付けてあって、ピースサインや笑顔なのはわかるんだけど、いかんせん写真の一つ一つがちいさすぎて、友人の顔なのかお嬢さんの顔なのか判別不能。もうちょっと、何が楽しかったとか、分かる写真なら私も一緒に楽しめるのに・・って残念だったり。

年賀状は、その年の最初に手にするものなので、出来れば気持ちよく受け取りたいですよね。
それには送る相手に何かを求めるのではなく、自分がどれだけ楽しく人生を生きるか、人の幸せを受け入れられるような生き方が大切なのではないかと思います。

ちなみに、現在年賀状作成中のドドメ。来年の年賀状の写真はドドメの顔が「飯太郎」になっていました。
似てる似ていると思っていましたが、ここまで似ているとは!
年賀状に飯太郎の写真も載せてしまおうかと思う程似ていて、ちょっと笑えます。

飯太郎は【JAにいがた南蒲公式】キャラクターです。
気になる人は見てみてね。


コメント (2)
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