由良要塞という施設がある。
大日本帝国陸軍の要塞の一つで、
大阪湾防衛の目的で紀伊半島と
淡路島の間の紀淡海峡周辺に
作られた要塞だ。
要塞とはまあなんとも怖い名前ですねえ。
そういう施設があると書いただけでも、
そこに行けば侵入を
阻まれそうな感じがしますね。
でもねえ今は施設があるといっても、
もちろん無人で、砲台を管理している
そんな人がいるわけではない。
いまは、森の中なんかに要塞の
遺跡である砲台跡が
ひっそりと残っているだけである。
大阪湾防衛だから、
外から入ってくる外国船を
けん制する目的で加太の沖なんかに
向けて砲台が作られている。
休暇村紀州加太のところに
あるのは深山砲台群。
この渡り鳥の観測でも有名な
岬の山に砲台跡が残っており、
車で簡単に休暇村に行けるので
その周辺の歩きで間近に見ることができる。
ああここでいつでも砲台が打てるように、
軍人が待機していたんですねえ。
この辺の雰囲気や施設の様子は
よくブログにも書きましたね。
そんな砲台跡が、加太だけでなく
友ヶ島内部にも残っている。
これまで二回出かけた友ヶ島散策で
じっくり見てきましたね。
そもそも友ヶ島というと、
子午線も通っているし、
灯台なんかもあって、
散策するのは楽しいものだ。
ドジ旅でも行きましたし
麻雀仲間とも散策しました。
車も走らない島の中の道を、
てくてくと歩く。
自然も豊富で季節を変えて
出かけるのもいいのかもしれません。
前回行った時には、リス、
鹿なんかもいたねえ。
蛇も結構いました。
そしてそこに残った砲台跡は
雰囲気抜群で、ラピュタの島
みたいだと言われています。
写真撮影会のようなこともしていましたね。
ここはとても雰囲気の
いいところなのだが、
一方で、ここを訪ねるたびに、
空軍が発展してきたせいで
船による攻撃等は影を潜め、
結局一度も使われることなく
遺跡になっていったと聞くと、
とても感慨深いものがあります。
加太の深山砲台は友ヶ島と
本州の間にある加太ノ瀬戸を守るもので、
友ヶ島の砲台は友ヶ島周辺と
淡路との間にある
友ヶ島水道を守るものであった。
なるほど、こうして大阪湾に
侵入する外国船ににらみを
利かせていたということになります。
こんな砲台群を今は一括して
「由良要塞」という名前で
総称されています。
あれ?どうして「由良」なんでしょう。
これらの場所は「由良」ではないですね。
位置的には友ヶ島のはずです。
ではなぜ「由良要塞」という
名前になったのでしょうか?
そもそも「由良」というのは、
地名なのかあるいは
なんか施設の名前なのか
という疑問があったのですが、
地図をよく見ると対岸の淡路に
由良という地名があるじゃないですか。
もちろん和歌山にも
由良町がありますね。
由良とは水の動揺によって
平らげた土地の意味があり、
淡路や和歌山のほか、
北海道、京都、香川など
各地にある地名だそうです。
すると、この砲台跡を
「由良要塞」というのは、
友ヶ島の東側にある洲本市由良から
来ているはずだ、
ということになるでしょう。
だったら、砲台跡は加太、友ヶ島のほか
東側の由良にもあるのかと思って
調べてみましたら、
ありましたねえ。
ここの由良にも砲台があって、
なんとそこもまた形を崩しつつも
遺跡として残っており、
生石公園として
それらを見て歩く散歩道も
あるそうなんです。
ああ、知らなかったですねえ。
加太と友ヶ島で大阪湾を
守っているのかと思ったら、
淡路島の方にも砲台があったんですね。
となると、これはやはり
見ておかないといけませんね。
ではさっそくそちら淡路の由良へ
出かけて行くことにしましょう。
続く
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