ハブ ア ナイス doi!その2

たまあに振り返ったことや、ちょっと考えたことを綴ってゆきます。

龍田古道を歩いてきた9

2021-04-07 20:44:57 | ウォーキング

ウォーキングは少し前の
三月の記録です。

ここんところお気に入りの
龍田古道を今回も歩いてきました。



タイトルが「龍田古道を歩いてきた9」に
なっているのは、前のブログで
8話まで書いているからですね。

前のブログというのはこれですね。

1回目は高井田から山越えの道で
これが1~5話、そして二回目が
三郷から信貴山下まで歩いた道で
これが6~8話となっています。

なので今回は高井田から大和川沿いの道を
歩いた話なので続きの9話から
ということになります。

そのコース飲みどころはというと、
これが柏原の修徳学院近辺と
亀石のあたりです。

前のように車で高井田まで行って



そこから歩いて行くことにしましょう。

今回の歩き旅で、羽曳野市の大黒、
古市あたりには詳しくなりましたねえ。
歩きの位置としては、東高野街道や
竹内街道なんかが交わるあたりですねえ。

近鉄南大阪線の駒ヶ谷駅や
近鉄大阪線の河内国分駅の
すぐそばを通ります。
そして最後に大和川を国豊橋で渡れば、
そこが高井田です。

マンション街の中にポツンとある
駐車場に車をとめて、
さあでは歩いてゆきましょう。

前回はもうここからいきなり
山向いて上がっていったのですが、
今回は下に降りてJR沿いの道を
奈良の方を向いて歩いてゆきましょう。



実はこの道は、子どもの時によく歩いた道です。

この先にある「修徳学院」に
よく行ってたのです。
非行や家庭環境、その他の理由により、
生活指導を要する子どもたちに対して、
心身の健全な育成を図り、
自立のための支援をする施設です。

子どもたちは恵まれた自然環境の中で、
専門の資格をもつ夫婦と生活を共にし、
学習、作業、スポーツなどを通じて
伸び伸びと育っていく仕組みになっています。
その専門の資格を持つ夫婦というのが、
親父の妹の夫婦だったのです。

夏休みにはよく泊まりで行きましたね。
毎日プールに入ったり、
山の中で蝉取りをしたり、
友達もたくさんできたので
夜店大会なんかは大はしゃぎでした。

その妹夫婦にとっては、
生活そのものが仕事で
大変だったろうと思うのですが、
こどもの僕らには
天国のようなところでした。

高井田の駅から線路の横を300mくらい歩くと、



その修徳学院の門のところに到着です。



この学園の中には一つの
大きな塔があります。
名前は「みかえり」の塔です。



キンコン鐘の鳴る塔でしたねえ。
こども心にこんな素敵なところやから
卒業の時に見返ったのかなあ
とか思っていました。
実際は、悲しみの果てにとか
家族の都合でとかいろいろ理由があって、
この塔を振り返ってみて
思い出を探ったりしたんでしょうねえ。

もうdoironはその頃から
のんきな子どもだったんですねえ。

ここでの生活を振り返ったら
七不思議があったなんていう
ネット情報もあって、
もうdoironにとっては
おとぎの国のような感じのところです。



グランドなんかもあるようですが、
あまり道からは中が
見えないようになっていますね。

ここには今もいろんな青春があるようです。

龍田古道関連のこの田舎道は、
学院の生徒たちと
社会をつなぐ重要な道だったに
ちがいありません。

そんな修徳学院を過ぎて、
右に大和川が見えだしたら



青山台という住宅街の中に
入ってゆきます。

この時に持っていた地図が、
広報柏原にかかれた概略図と、
縮尺の大きな大まかな地図だけでしたので、
龍田道はこの住宅街を
どう進めばよいのかわかりません。

でも基本的に大和川に沿った道を
進むというので、歩き人としての
直感を働かせつつ進んでいったのでありました。

続く


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