修徳学院の先の
村から山を下ってゆくと、
大和川の芝山橋のところに出てきます。
これを渡らずしばらくは
川沿いの車道の歩道を歩いてゆきます。
ここは結構大型車がよくとおりますねえ。
安全第一で道のすみっこを歩いてゆきます。
しばらく進んでいくと、
右に大きく曲がる道と、
まっすぐ登ってゆく道の交差点に出ます。
本来ならここを川の湾曲に合わせて
右折してゆくのですが、
前の坂道の途中に金山彦神社があるはずです。
最初のこの古道歩きで行きましたねえ。
金山媛神社。
その神社と兄弟の神社です。
これは是非寄り道していきましょう。
大阪にしては結構深い
緑の中の道を登ってゆきます。
ここを曲がったら見えるかなあ。
なんて思いながらハアハアと歩いていきます。
なにせ地図が頼りないもので。
あ、地蔵さんがありますよ。
ネットで現在地を見てみたら
「大門所地蔵尊」とあります。
この地蔵尊は古墳の石棺の
蓋石に浮き彫りされていたそうです。
とてもプロポーションが
いい地藏なんだそうです。
ダイエットが成功しますようにと
祈っておくことにしましょう。
その地蔵さんの少し先で、
道の横の家で洗濯物を干している人が
いましたので、道を尋ねてみました。
「すみません。道をお聞きしたいのですが、
金山彦神社というのはこのあたりにありますか?」
と聞くと手に下着を持ちながら
「ああ、ありますよ。このままその道を
上がり続けていくと左に池があります。
その池の向こうにその名前の神社がありますよ」
とのことです。
「ありがとうございます」と下着を見つつ
照れながら答えるdoironだったのでした。
このあたりは青谷というんでしょうねえ。
ところどころ車がすれ違えないような
狭い道をどんどん上ってゆきますと、
ああ、なにもこんな山のなかに
こんなに集団で住まなくても
って感じで家が続いていきます。
やがて左手に池が見えてきましたね。
その池の縁にこんな看板がありました。
龍田道、と書かれていますねえ。
雁多尾畑からJR河内堅上の道案内です。
そしてその看板の向こうに
鳥居が見えています。
あの洗濯物の女性の言ってた通りでしたね。
ここがその金山彦神社です。
祭神の金山彦というのは、
前回もう少し上にある金山媛神社に
行った時に説明しましたねえ。
イザナミが火の神カグツチを産んで
火傷をし病み苦しんでいるときに、
その嘔吐物(たぐり)から
化生した神ということでしたねえ。
そこにあった説明板には
この辺りは製鉄が盛んだったそうで、
鋼鉄を溶かした様が神様の
吐しゃ物に似ているから
ここにあったそうです。
しかも製鉄の際に必要な風が吹く
ということで龍田大社の祭神である
風神の神様もそばにいたというのが、
何となく地域の姿の歴史と
自然の流れが同期している
というのがとても面白いです。
平成10年にはここで
たたら炉の再現が行われました。
高さ1mくらいのたたら炉が
ここに置かれて風を入れつつ
作業が行われ、結果27kgの
鉄の塊がとれたそうです。
そしてそれを日本刀にするという
作業が行われるという
古代たたらの再現が行われたそうです。
なんかニュースでちらっと
見たような気がします。
いまも神社の拝殿にはそのたたらの
一部が置かれています。
地域の暮らしと密接な関係にあった
製鉄関連の神社。
龍田道に沿った場所とはいえ、
いかにも農業なんか不向きな山の中に
こんなに人の多い村が作られたのは、
大和政権を支えた製鉄技術が
あったからなんでしょうねえ。
こんな神社の存在がそんなことを
物語っているんでしょう。
続く
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