御嶽登山から宿に帰ってきました。
早速、その状況を前日に
色々とアドバイスをくれた宿の
スタッフに報告しましたよ。
「八合目まで行った後、元気なものは
九合目の少し手前まで行ったけど、
結局悪天候で引き返した」
と説明すると、
「残念でしたね、またチャレンジしてください」
とのことでした。
そのあとはお風呂に突入ですね。
早い時間ですので、
また貸し切りの状態です。
雨でぼとぼとになったのは嫌でしたが、
お風呂でお湯にまみれたのは
最高でした。
雨もお湯の様に暖かかったら
こんな気持ちになるんでしょうか。
全身洗ってのんびりと
湯につかりました。
そのあとは、部屋に戻って
ワイワイ言いながらもうビールで酒盛りです。
今夜は天文館を予約しているから
楽しみやねと話していたら、
なんとまた雨が降り始めたようです。
これはどうしようと思っていたのですが、
宿の人に聞けば、望遠鏡の説明とか
そういうのをしてくれるというので、
お任せしました。
無料ですしね(^^)
まずはまあとりあえず、
時間が来たので食事です。
きょうはこんな料理。
山の中なので海産物はありませんでしたが、
おいしい料理が並びました。
まあでもとりあえず生ビールがいいですねえ。
と喜んでいたらあんたは酒飲みやあと
メちゃんこ言われました。
いいですよねえ。
こんな楽しいお酒なら毎日飲みたいです。
この日はさすがに御嶽の白装束は
来なかったので、我々のグループが
一番賑やかでした。
飯を終えて、部屋でなおも
ワイワイ話していたら
天文館に行く時間になってきました。
外はあいにく雨ですねえ。
どんな説明があるのかなと、
棟続きの天文館に行きました。
昔、淡路でいい天気の時に
旅館の案内で行った天文館は
面白かったですねえ。
今日はどんなだろうと
わくわくしましたね。
そこに行くと、高齢のカップルが
一組いました。
あとは我々5人だけです。
説明してくれるのは若いお兄さんです。
案内されてはいっていくと、
ドーム型の屋根の下に反射望遠鏡が
一台置かれています。
レンズで光を集める屈折望遠鏡
ではなく鏡の反射を使って
光を集める装置です。
大きければ大きいほど、
拡大率がいいそうです。
ここの反射望遠鏡は、
直径60cmのものなんだそうです。
宿そのものが、名古屋市の公的施設なので、
この望遠鏡も名古屋のお金で
作られたそうで
数億円するそうです。
これは学問的に使われたりするんですか
と聞くと、いいえ宿泊者に見てもらうために
設置していますという返事。
思わず参加者からは
「もったいな」
という声が聞こえていましたね。
でもまあ大都市名古屋ですから
余裕の支出なんでしょう。
ここからは惑星とかもよく見えるそうです。
土星もワッカを付けて見えるそうです。
見たいなあと思うのですが、
反射望遠鏡なんで、鏡が濡れるような
雨降りの日は使用出来ません
とのことでした。
そんな話を聞いていると、
大阪にもこんな反射望遠鏡が
ある施設がいくつかあるようです。
そのうちの一つが、
貝塚市にある「善兵衛ランド」だそうです。
確かに水間の方に行くときには
必ず目にしますね。
帰ったら行ってみようと思いながら
説明員の話を聞いてます。
続く
話は、雨と風に襲われた御嶽登山にもどります。
残念ながら悪天候で登頂はできませんでしたが、
皆さんそれぞれの体力に合わせて、
安全に行けるところまで頑張って登ってきました。
天気予報ではこのあと雨も
少なくなって来るようで、我々はなんと
一番たくさんの荒天と戯れてきたわけですね。
でもねえ今回の御嶽との触れ合いもまあ、
いろんな形はあるだろうけど、
ちゃんと向き合えた登山だったと思います。
苦しさは色々あるけど、
よかったんじゃないかと、
御嶽の神様もきっと言ってくれるでしょう。
全員でそれぞれに下山してゆきます。
そして山道の下りも
ほぼ終わりかけた頃に
7合目に到着します。
朝は締まってましたが、
今は開いています。
中をのぞくと広い土間に
休憩できる場所もあって
入っていきたくもあるのですが、
もうここまできたら、
宿でのんびりしたいですね。
頑張って帰ろうと
ロープウェイの飯森高原駅へと
進んでいきました。
そうして、雨も小降りになった中、
全員無事に駅に下山です。
ああ、事故、怪我もなく何よりです。
ついた駅もほとんど人もおらず
ガラガラでしたね。
そんな中で、外で泥だらけの靴を
履いたままブラシで洗い、
来ていたカッパ類もリュック内に片付けて、
ロープウェイに乗車です。
天気も回復傾向で、
遠くの景色も見えていますね。
メンバーの中には、このあと5日以内に
出かけるという八ヶ岳も
見えてとっても喜んでました。
また他のメンバーも3日後に
北海道に行くという人もいるというほど、
もう皆さん驚くほど元気です。
下の駅について、しばらくは
お土産屋さんも眺めていましたよ。
今年の夏のイベントも
メインがすんだって感じですね。
さあ、では車で連泊している宿に帰りましょう。
帰り道には、明日の観光についても相談です。
道路案内とか地図を見ながら、
御嶽は今日も雲の合間に
しっかりと見てきたのですが、
全体がよく見える高原に
「開田高原」というところがあるよ、
とか中山道の宿の一つである
奈良井宿もあるねえと意見が
どんどんまとまってきます。
皆さん旅慣れているから、
この辺は素早い決断です。
そして帰り道に王滝が近づくにつれ、
看板が目立つようになってきた、
地元の薬が気になってきました。
「百草丸」と言います。
宿にも販売がありましたねえ。
どんな薬なんだろうと、
道沿いにある薬屋さんに寄りました。
この辺りでとても親しまれているような
地元の薬「百草丸」の工場&販売のお店です。
中にはいって見るといろんな案内もありました。
これは「おうばくエキス」を主成分とした
生薬で胃腸の不調によく聞く
と言われている生薬です。
とまあ、そう聞くと大峰でよく売られる
「陀羅尼助丸」みたいなものですね。
成分的に見てみると、
ほぼ同じ生薬で、百草丸は長野県で、
陀羅尼助丸は奈良県で作られた
という違いしかないそうです。
ああ、なんか宗教的に似たお山には、
同じような風習が生まれたりするんですね。
皆さんお土産に買っておられました。
クスリがいるほど飲んでやる
なんて思っているんじゃないでしょうね。
そして夕方、我々5人は無事に
宿に戻ってきたのでありました。
続く
地蔵盆の事で取り組んできた事を
ここに書き始めたら、
どんどんと中身が出てきます。
本気で書き始めたら
10話以上は続くでしょう
でもこんな小さな村の出来事なんて、
多分ほとんど興味のないことだと思います。
そのことを自分の記録として
残しておきたかったので、
昨日まで色々と書いてしまいました。
なので昨日の地蔵盆はどうだったのか、
要点を掻い摘んで書いてゆくことにします。
いつもの地蔵盆と違うところを
まず要点的に上げていきます。
①地蔵盆終わりにこれまで配っていた
おにぎりをお菓子の詰め合わせに変えました。
②地蔵講の新人が費用を負担していた
宴会をなくしました。
③村の人の供物を今年は
受け取りませんでした。
というような感じです。
これでみんなの負担が
10分の1くらいになりましたね。
この実績で、今のところ一人もいない
来年以降の地蔵講のメンバー募集を
していきたいと思っています。
こういった思惑を実現していくためには、
今年の地蔵盆が盛大に実施されることが必要でした。
あんなこと言っててさみしい地蔵盆や
と言われたりしないように
開催しないといけません。
そのためには僧の読経時に
お参りしてくれるひとも多く、
たくさんの人がお菓子を
もらいに来てくれる。
この辺が肝心なところです。
昨日の午後6時半に地蔵盆は始まりました。
読経時の人々の状況はというと、
ありがたかったですねえ。
年配の人も結構来てくれました。
そもそもあまりこういう簡易な地蔵盆に
賛成していなかった人もいてくれて
嬉しかったです。
そしてお菓子もトータルで
150セット用意しましたが、
無事に配り終えました。
近所にこんなに子供がいたの
ってくらい来てくれました。
お菓子は余ったら地蔵講の人で
持ち帰ろうと思っていたのに、
それもないくらい丁度なセット数でした。
いやあ、ありがたいです。
本当に涙が出るほどありがたいです。
この6年間くらいずっと頭の片隅で
悩んでいたことが一気に解決しました。
協力してくれた若い人たちの
おかげでもあります。
これを契機に地蔵盆に入る人も増えて、
地蔵講の将来があったかいものになることを、
いまはもう願うばかりです。
御嶽はまたまた少し休んで
別の話題です。
今日は地蔵盆の日でした。
地蔵盆とは、旧暦の7月24日の
地蔵菩薩の縁日に行われる
地蔵菩薩のお祭りのことです。
ここでいう地蔵菩薩とは、
寺にまつられている地蔵ではなく、
道の辻々にいる辻地蔵の事です。
三途の川で小石を積み上げる
子供たちをそれをつぶそうとする
鬼から守るために、地蔵菩薩が守ったそうです。
なので今も地蔵盆は子供を守る行事
として広まったものです。
縁日ですからあの世とこの世が
近づく日です。
そこで、地蔵そのものをきれいに飾り、
新しいよだれかけを付けてお祈りし、
そこを訪れた子供たちに
お菓子をあげたりするのが、
地蔵盆の役割りなんです。
我が町の地蔵は、子供の時から
ずっと同じ場所におられます。
自分の子供の時の景色を思い出すときも、
記憶の片隅にその地蔵が
いたような気がします。
doironの母親が花を買ったり、
そこを掃除する役割をずっと持ってました。
体調悪くなってから、別の人が
受け継いでくれています。
そのうちに、doironが地蔵を大切にする
団体である地蔵講の代表になり、
今に至っているところです。
今もこの地蔵は、子供たちをこっそり
守ってくれています。
小学校の通学路に5体が建って
見守ってくれているのです。
でもこの地蔵講も後継ぎがおらず、
これからどうしよう
というような状態になっていました。
地蔵盆は村中の人が集まる
一大イベントでした。
それを取り仕切らねばならないのです。
それに地蔵講に入ると、
この地蔵盆の時だけでなく、
いろんな場面で負担があったから、
もう入会しないという人が
多くなってきたのです。
さてこういう状況をどうしようというときに、
あいつになんかええ加減でもいいから
講が維持できるようになんとか
やってもらおうと
白羽の矢が立ったのがdoironでした。
もうそういう状況はわかっていますので、
はてさてどうしようかと悩んでいるときに、
コロナ感染の問題が起こりました。
みんな集まってということもできない中、
悶々と地蔵の日々を過ごしていたのです。
その間は以前の役員とかと
個別に会談をしてきました。
こういう問題を可決するために
こう変えていきたいと話しても、
なかなか相手にしてもらいません。
総会ではかれば?
みたいに言われ続けました。
でも総会でいきなり図っても
これまで同様、制度を変えていくことには
多くの人が反対することは目に見えています。
じゃもうこうなったら、
個人的にも色々はなさいないと
仕方ないということで、
幸い同時に自治会長にもなったので、
接する機会もどんどん増えてゆきました。
そのようにして4年間。
いやこの問題が起こるであるうと、
予想されていた10年間の講の方針を
少しずつ変えてきました。
そんなまだるっこいことしか
でけへんのって若い者には言われましたが、
それしか方法が思いつきませんでした。
そして今年の地蔵盆が近づいてきた
今年の夏のある一日に、
総会を開き今年はこれでやりたいし
これがうまくいけば来年以降も
この方法で行いたいという意見を出して、
若干付属意見もありましたが、
おおむね了解されたのです。
うれしかったですね。
これで動いてゆけます。
これからの地蔵講を継続してゆくために、
こうなったんだよと示すのが次の地蔵盆。
すなわち昨日の地蔵祭りだったのです。
ではどんな祭りだったのか。
あしたに続きます。
続く
女人堂で雨の中休憩しながら、
場所代替わりに注文した
コーヒーを飲んでいます。
飲みながら、今日はすいてるねえと歩荷に聞くと、
「こんな天気ですしねえ」と
とても愛そうよく反応してくれます。
で、宗教的なことをひとつ質問すると、
説明はとても詳しく
御嶽の過去の話に戻ってゆきました。
いっぱいいろんなことを説明いただいたのですが、
すみません低酸素のせいでしょうか、
頭の中の記憶部分には
ほとんど残らずでした。
で、そのフロントの上のメニューの案内を見ると、
コーヒーや、その時一人飲んでた甘酒なんかも
掲げられていましたが、
どこを探しても「ビール」の文字がありません。
これはこんなありがたい施設なんやから、
ビールなんてもってのほか
ということでしょうか。
こっそり「あの~ビールなんかはないですよねえ」
と聞くと「あるよ~」と答えてくれました。
あの寝覚の床の田中要次さんみたいです。
まあ、宗教的なお祈り所なんかもあるので、
大きくは上げていないようですね。
まあここから、大汗かいて
二時間かけて帰るので今のうちなら
飲めるかなと思い一本購入しました。
ほかにも運転手いるしね
雨が小降りになったので、
外で御嶽の山々を眺めながら
「うまいなあ」とかいいつついただきましたよ。
「今回は上まで登れなかったけど、
時々雄姿を見せてくれたお山に乾杯」
としておきました。
飲んでいる姿は、その時に小屋の周りを
色々と撮影している人のカメラに
くっきり写っていたのには、
あとでみんなで大笑いしました。
とまあそうしているうちに、
徐々に雨風が強くなってきました、
空も真っ暗です。
これは荒れ始めるぞと思いつつ、
一足お先に帰ることにしました。
小屋にありがとうと言って
出るときに連絡があり、
九合目の小屋まであと300m
くらいのところが岩場で、
そこで雨風がきつい状態に
なってきたので帰ることにします
とのこと。賢明ですね。
まあ歩いているうちに
追いついてくるでしょう。
木が生えている中を、それでも風がきついなあ
と降りてゆきます。
上部は大変でしょう。
ここは道の段差が大きいので、
足が滑ります。
同行者は3回ほど滑って転びましたが、
まあ軽い転倒なんで大丈夫でした。
中間点の橋を超え、しばらく歩いていると
下から登ってくる女性二人と出会いました。
「天気悪いから気を付けて」というと
「今日は女人堂までです」と言い残して
元気に登ってゆきはりました。
でっかい荷物だったから、
縦走するのかもしれませんね。
そんな彼女らの姿を見ながら、
「そうやねえ。大阪からここへきて
リベンジで御嶽に登るなら、
まず最初の一泊は女人堂がいいかもねえ」
なんて考えたりしましたねえ。
またそれはその時に考えることにしましょう。
とりあえずは今は下山です。
一歩ずつ、足元に注意しながら降りてゆきます。
そうしているうちに、先行していた二人も
追いついてきましたよ。
「岩場が大変そうやったんで
引き返してきました」とのこと。
うんうんただしい決断です。
またリベンジがあるよといいながら
下ってゆきます。
さあ、今夜も宿でたのしい宴会だあ
なんて思いながら下ってゆく我々でした。
続く