鬼ヶ城の散歩コース入り口には
観光センターがあります。
宿泊できるのかなあ。
これはちょっと不明です。
でもまあお土産屋さんが並んで
おりますので帰りには
寄って行きましょう。
その入り口のところには、
いくつか看板や地図なんかもあります。
写真を撮って、
さあでは散歩コースに入ってゆきましょう。
岩場に造られた散歩道は
結構迫力があります。
雨でも降って滑りやすくなってたら
かなり注意が必要です。
まあ、崖っぷちに接してますし、
その下は岩場と海ですから
いやでも注意しますがね。
でもまあミセスが歩けそうな
ところまでとりあえず
特徴的な岩場を進んでゆくことにしましょう。
いろんな地形があり、
名前がついていますが、
どれなのかよくわかりません。
あまりキョロキョロしてたら危険です。
でもこの地形はわかりましたね。
観光地の名前にもなっている鬼ヶ城です。
人が通れるように穴を開けたり
したのかもしれませんが、
岩が鋭く尖ったりして特徴的です。
どんな岩がどんな風や雨や波や地震で
削られたんでしょうね。
自然の力はとってもすごいです。
さらに進んでいきますと、
こんな階段や
岩場を通り、
そこから先はかなり道がハードです。
ここらで引き返しですね。
来た時と反対向いて歩いていると、
岩場の下の方の石の上で
釣りをしている人がみえました。
ああ、あそこまでどうして
降りたんだろうという感じです。
で、よく見ると別の岩の上にも
釣り人がいます。
ああ、義父もこうして釣りを
してたんやろうなあという感じです。
ミセスも鬼ヶ城の名前は
イヤというほど聞いたと言ってました。
こんなところで釣ったりしてたんでしょうね。
いやあ、これでかなりの旅の
目標は果たしましたね。
鳥羽、尾鷲湾、熊野灘の海に
触れることができました。
ミセスの満足度もあがったでしょう。
では、鬼ヶ城もさることにしましょう。
観光センターでお土産を買って、
ふたたび車で走り始めます。
この鬼が城の南側には
獅子岩というのもあります。
これです。
これらも合わせて天然記念物
と言われています。
なんとまあ、義父は風光明媚な
ところで釣りを楽しんでいたのですね。
伊勢から続くリアス式海岸も
これで終わりましたね。
でもここから先も目にしておきたい
海もあるので、もうすこし
海の景色を楽しんでゆきましょう。
熊野灘とは、昔熊野水軍が活躍した漁場でした。
リアス式海岸だけではなくて
直線型の砂丘海岸も持つ
多様性豊かな海です。
獅子岩を南に超えたら、
海岸が礫が転がる海岸線になります。
名前は七里御浜といいます。
熊野古道伊勢路にもなっている海岸は、
約25kmあり、日本で一番長い
砂礫海岸となっています。
国道42号線沿いに続く海岸線は
圧倒的に広くて大きい海岸です。
途中で海岸線に降りてみました。
うわ~広いですねえ。
こういう長い海岸線は、
鳥取でも見ましたね。
皆生から境港付近まで続く
「弓ヶ浜」もこんな感じでした。
足元を見ると、海岸の植物も多くあります。
これは「ハマゴウ」ですね。
ここをあるいたら季節に応じて
いろんな海岸植物が
咲いているんでしょうね。
さあて海岸線で遊んでいたら
そろそろお昼です。
もう少し走って道の駅を
目指しましょう。
続く
鳥羽と尾鷲で海に触れてきました。
触れてとは言ってますが、
口にしてきたという感じですがね。
でもここからは少し違います。
尾鷲から紀伊半島を右回りする帰り道は、
義父が岩場釣りに興じてきた
メインの海岸線です。
ミセスも地名は知っているけど、
見たこともないような釣り場が
広がっているはずです。
旅行の二日目は、
尾鷲の宿を朝7時過ぎに出発して、
紀伊半島を回ってゆきましょう。
少しずつ色んな所を観光しながら、
まず最初目指したのが、
新鹿島海水浴場と大泊海水浴場です。
まあどちらも海水浴場ですから、
岩場のようなところは浴場の周りです。
気軽に出かけたところも
岩場に近づくにはなかなか容易ではありません。
ああ、こんなところかと納得しただけで
国道の方に戻ってきました。
ただ、磯崎の方は、ああこんな道かと
海沿いの道から山道の方に
入っていったのですが、
どんどん道は狭くなってゆき、
雑草でおおわれるようになってきました。
ああ、こんなところで脱線して
谷に落ちたら1か月くらいは
見つからないぞと言った秘境谷です。
あきらめてバックで戻りました。
ちょっと迫力あったなあ。
遠くには、義父が行ってたような
岩場もあるのですが、
残念そこへ行く手立てがわかりませんでした。
義父はよく言ってましたが、
そこの海に一人で行くのはあかんで、
何百回に一回大きな波が来て、
友達が流されたそうです。
海の岩場で遭難。
それはそれは悲惨な結末だったそうです。
まあ、ある意味命がけで
遊んでいたんですねえ。
遠目に聞いたことがあるような
いわばなんかを想像して眺めただけで、
ここは撤退してきました。
ミセスにしてみれば、
こんなところで遊んでたんやなあ
って感想でした。
そこから自動車道を走ってしばらく行くと
「鬼ヶ城」というところに到着します。
ああ、この名前は頻繁に聞いたなあと
ミセスは振り返ります。
名前からしてどんなところだろうと、
想像していたそうです。
城のようなところで、
鬼が海産物を並べ、
天使のような女性を侍らせながら
喜んでいるところと・・・
doironは想像しますが・・・
それはまるで竜宮城じゃないですか。
大きな駐車場ががけ下に設けられ、
観光バスも二台ほど止まっています。
ここは国の天然記念物なんだそうです。
熊野灘の荒波に削られた大小無数の
海食洞が、地震による隆起などによって
階段上に並び、特異な地形が
約1.2m続いているそうです。
そうここは志摩半島から続く
リアス式海岸の最南端にあたります。
そしてこれより南はなだらかな
砂浜の海岸(七里御浜)へと
変わっていくそうです。
義父の岩場釣りはこの辺りが
最終ピークのところなんでしょう。
さあて熊野灘の荒波が、
どんな風に浸食し、
長期間に繰り返される地震が
どんな風に地形を作って行ったのでしょう。
はたしてどんなお城が並んでいるのか。
がんばって歩いていくことにしましょう。
ただし、げた履きやハイヒールは
あきませんと書かれています。
まあいまどき下駄はいている人は
いないでしょう。
そして飲酒者もあきませんと
書かれていますよ。
大丈夫です。
doironは今日はまだ飲んでいません。
続く
尾鷲といえば雨が多いですねえ。
昔の社会の地理の本には
いつも取り上げられていました。
年間4000mmの雨が降るそうです。
平均したら一日10mm以上の雨です。
まあ、今回はいい天気でしたけどね。
そしてまたそんな街でも漁業が盛んで、
海産物の街というイメージも持っていました。
義父の釣りもよくこのあたりに
行ってたようです。
なので宿なんかもいろいろあって、
海辺の民宿みたいなところで
ご馳走を食べられるんじゃないかと
思っていたのですが、
これがねえ本やネットでもなかなか
気に入った料理宿もあまりありません。
結局今回泊まったのは、
国道近くのビジネスホテルを選びました。
そこで泊まって飯は街の居酒屋で
と言う感じにしたのです。
まずはチェックインしましょう。
受付でこのあたりの地図ありますか
と聞いたのですが、
観光パンフレットみたいなものばかりで、
細かい道とお店と書かかれた
地図のようなものがありませんでした。
この辺の対応を見ていると、尾鷲は
どうも観光宿泊地ではありませんね。
そんな最中に、受付に来る人を見ていると、
道路作業員のような人が、
「ただいま」とか言って
帰ってきたりしていましたね。
長期宿泊で作業員の宿舎的な感じで
利用もされています。
仕方ないですね、
もう宿に観光気分の盛り上げを
期待するのはやめました。
では、歩いて街中に出てゆき、
晩飯をいただく居酒屋を捜しましょう。
あらかじめネットでいろいろと
捜していたのですが、
結局入ったのは駅から少し歩いた
ところにあるこのお店です。
見せの名前は「鬼瓦」。
厳しい名前ですが入ってみたら
やさしかったという評判です。
中にはいると、いろんな人の
色紙が貼ってあります。
名前はあまり読めないのですが、
タイガースの人も来て入るんですね。
それから最近あちこちで見かけるのが、
田中要次さんです。
「あるよ」で有名なあの人ですね。
信州では人形までつくられていました。
最近火野正平のこころ旅に
代理で出ていましたが、
視聴者の方のお手紙を涙流しながら
読んでいたのがとてもいいシーンでしたね。
きっといい人なんだと思います。
まあこういう舌の肥えていそうな
人たちが来るようなお店なんでしょう。
座敷に通されて、先ずは刺身の
盛り合わせで一杯です。
doironはカキ小屋で吞んでいたので、
ミセスにとっては今日のはじめての一杯です。
そして出てきた刺身をいただきます。
余りに立派な刺身盛り合わせなんで、
写真を撮る暇もなく忘れて
箸を伸ばしました。
途中で気づいて、盛り合わせの一部を
撮影しましたよ。
そして撮影をしっかり忘れたのですが、
醤油が三種類用意されています。
濃口、標準、甘口です。
一杯飲みながら、それぞれ試してみましたよ。
刺身がねえ、とってもうまいので
濃口はもったいないです。
また甘口もそれなりの味があって、
結局は標準がいいですね。
お姉さんにねえ、
「我が家は標準です」と答えておきました。
めちゃめちゃ濃いそうな老夫婦
なんですがね。
刺身であまりに口がさっぱりなんで、
エビフライを頼んだら
こんなに山もり出てきましたよ。
そしてもう一品は「イカ」です。
尾鷲の海もうまかったなあ。
続く
鳥羽の牡蠣小屋で牡蠣を山ほどいただいて、
伊勢湾の海に触れてきました。
美味しかったなあ、伊勢湾。
鳥羽の豊かな海の味がしました。
そんな牡蠣小屋を出て助手席で
余韻に浸りながら、いそいそと
今夜の宿泊地である尾鷲に向かいましょう。
遠くに海がみえたり、
アップダウンの多い道を車で走りながら、
なんか懐かしいような気がしました。
そう、昔の記憶がよみがえってきましたねえ。
まだ年齢が30代だったころに
このあたりでトライアスロンがありました。
小学生の子供を連れて参加したのですが、
その時に車でいろいろ探った地名が
景色の中に出てきます。
ああ、こんな地名あったなあ、
始めたばかりのトライアスロンで、
なんか思いっきり緊張してたのが
よみがえってきます。
ああここはもしかしたら
自転車で走ったかもなどと、
ビールを飲んでいるので
助手席でdoironは過去をふりかえりながら
旅を満喫しています。
もしかしたら、亡くなった義父も
ここに連れてきたら、
釣りの思い出で懐かしいなあ
と喜ぶんじゃないでしょうかね。
さあ、海もこの辺りからは、
伊勢湾から熊野灘になってきますよ。
さらに雄大な感じですね。
車はぼちぼち尾鷲に到着となります。
市街地の方に入ってゆきます。
ここでねえ、自然の景色を求めるんじゃなくて、
少し北の海辺の方にある
熊野古道センターを目指した方が
良かったのですが、
初めての地である尾鷲に入って、
好奇心旺盛で市街地を
うろうろしてしまいました。
まず最初に行ったのが尾鷲神社です。
ここは熊野古道伊勢路の関係で
重要な場所ですが、
今は海を尋ねての部分をとらえた報告なので、
また後記します。
尾鷲神社を出てまずは
海辺の灯台の堤防の方へと向かいます。
まっすぐ進んでいったら
すぐに海辺に出ます。
尾鷲湾はかなり奥まった地形です。
両側に山が連なっていて、
かなり奥まった感じで存在しています。
そして港からすぐのところに
長い堤防があってその先に
釣り人の多い灯台があります。
なので外海の荒波も
この堤防で遮られているようです。
そしてその堤防が、
釣り場になっているようですね。
むかし尾鷲は遠洋漁業が盛んだったから、
港近辺にはいい魚がいっぱいいたと
言ってたそうです。
義父も岩にまみれた釣りに疲れたら、
こんな堤防で釣り糸を
垂らしていたんでしょうね。
それが最近はあまり遠洋も
少なくなったようで、
釣果はもしかしたら昔よりは
落ちているかもしれません。
これはその堤防の内側の海で、
これが翌朝に見た堤防の外側の海。
この時は天候も落ち着いていて
双方とも静かな海でしたが、
なんかとっても豊かな海って感じでした。
この時に出かけた尾鷲の港は、
静かな感じでしたよ。
その港から、町の中にはいっていく道を
ずっと走ってゆくと、
JRの尾鷲駅に到着します。
もし電車で行くとしたら、
JRだと特急くろしおと特急南紀を
乗りついで行かないといけません。
電車で行くんなら近鉄戦に乗って
伊勢経由で行くのがいいようです。
2020年からくろしおは
三重県を走行しなくなっていますので、
注意が必要ですね。
今日はこの尾鷲駅周辺で
居酒屋通いの晩飯となります。
続く
doironがデザインから印刷製本まで
全部一人でやっているホッとカレンダーは、
年々色々とバージョンアップしながら、
がんばって作成しています。
近年は絵つぶやきや
行事、一粒万倍日、月の満ち欠けも
入れていますが、
もう一つ入れているのがSDGsです。
人類がこの地球で暮らし続けていくために、
2030年までに達成すべき目標を
17の項目に分けて示しています。
人類は果たしてこの目標に向かっているのか、
そしてあなたもこの目標に向かっているのか、
そういうことを意識してもらおうと
絵つぶやきに引っ掛けて並べています。
ではその17項目とは何か。
その中身をひとつづつ挙げていくと、
とてもスペースを取りますので、
それはネットなんかで調べてみてください。
今年度のカレンダーで採用しているのは、
17項目中11項目です。
多かったのは、
②飢餓をゼロに
⑪住み続けられるまちづくりを
⑮陸の豊かさを守ろう
の三項目が3回採用されています。
ああ、何となく絵つぶやきの方向性が
よくわかりますね。
このSDGsは昨年も採用しています。
昨年は13項目を採用しています。
では両年で採用しなかった
項目はあるのかというと、
ひとつだけあるのです。
それが⑤ジェンダー平等を実現しようです。
まあこの辺の考え方も
絵つぶやきで表現しようと
今は考えています。
いずれにしても、カレンダーのこれを
書くことで、なぜ絵つぶやきの内容が
その項目にあたるのか、
その辺も考えながら見てくれたら
うれしいなあって思ったりしています。
あと、今年のカレンダーで
今までと違っているのは、
今年の目標を書くランが
無くなっていることです。
まあわざわざ目標を言葉にしなくても
いいかなというゆるーい考えからです。
どうしても定めたい人は
写真の枠外に自分で書き込んでください。
昨年のカレンダーで書いている人もいたので、
そういう人は枠外にお願いします。
そうすることで少しでも
写真の枠を削らないというのも
いいかなあというのも考えたことです。
まあこうしていろいろと
カレンダーの解説を並べてみました。
自分で言うのも変ですが、
今年は絵つぶやきがなかなか
いいものができたなあと喜んでいます。
展示会で人に見てもらったりすることで、
自分のテンションが上がって
いるんじゃないかなあと考えています。
来年は残念ながら多くの作品も
出せないだろうから
展示会はお休みです。
再来年にドカーンとやる予定です。
ブログも毎日じゃなくしたので、
その分多くの時間を絵つぶやきに
費やせたらなあとか
新たな絵に挑戦とか本の作成なんかにも
使っていけたらなあ
と思ったりしている今日この頃です。