甥っ子にメールしてみた。
今日は、東日本大震災から10年の日です。
私はその時は仙台市のアパートで一人ぐらしをしていました。じしんが来たときは、友だちとまちなかにいて、立ってもいられないゆれが長くつづいて、とてもこわかったです。
ビルの中が水びたしになってたり、ていでんしてたり、どうろにヒビが入ったりしてたけど、あまり大ごとだと思っていなくて、夕方には、電気もつくだろうと思っていました。
アパートのへやがしんぱいだったので、いそいでうちに帰りました。
電話はだれにも通じませんでした。テレビも見れなかったので、何がおきているのか、つなみのことも、原発のじこのことも知りませんでした。
夜になっても電気がもどらなかったので、しんぱいになって、コンビニにでんちを買いに行きました。外にでたら、星がとてもきれいでした。コンビニにはぎょうれつができていて、でんちは買えませんでした。
夜になっても、よしんがずっとつづいていました。こわかったので、げんかんのとびらを少し開けたまま、コートを着て、ななめがけバックをかたにかけたまま、ねむることにしました。
ねむるまえに、姉からメールがきました。「おおふなとのつなみは、マイヤ(スーパー)の3かいまで」。でもまだ、あまりしんぱいしていませんでした。
家がそのまま流れるつなみがあるなんて、思わなかったんです。みんなにげただろうし、だいじょうぶ。って、思っていました。