なるほどね、と、思った。
いいんじゃないだろうか。
私はツイッターしないので、見てないし、見ないけど。
犯罪者の子どもはさぞかし辛かろう。
見たくない人は見なければいいでしょうし。
発信したい気持ちはわかる。
ひとには色々いて、
発信したがりの人もいるじゃん。
それに同意を求めるとか、助言を求めるとかじゃなくて、
ただ、自分の状況を発信したい人。
私はそうなんだけど。
そんな人が発信できないのは、さぞかし辛かろう。
ましてや、自分の事が、自分が思っているのとは違う形で他者から世の中に発信されていては、
どんなにか辛いか。
私ならば、相当に辛い。
自分の事が他者に違ったように解釈されてコメントされたらば、間違いなく訂正させていただく。
もちろん、おそらく、こころないコメントを貰うこともあるでしょうね。多いかもー。
でも、それを承知の上でやるなら、いいんじゃないでしょうか。
ちなみに、その点を自分に置き換えると、私はダメ。心ないコメントどころか、批判されるのすらダメージを受けるので、私だったら、やらない、とは思うけど。
つまり、私がもし、犯罪者の子どもだったら、自分の事を発信したいのに発信できず、自分の思っているのと違うように報道するされても訂正できず、辛い思いをさらにどんどん重ねるんだろうと思われる。
そんな思いをしている人が多いのかもね。
でも、本人が、「私は批判を受けても、誹謗中傷を受けても大丈夫。発信したい」というのならば、いいと思う。だって、犯罪者の子どもは犯罪者ではない。自由であっていいはずだ。
「被害者の家族の気持ちを思いやれば」そんな事は出来ないだろう。という批判はどうなんだろうか。
では、加害者の子どもの気持ちは誰が思いやってくれるんだろう。
「加害者の親」には、「被害者の家族の気持ちを思いやる」必要はあるでしょうが、
加害者の子どももそこまでしなきゃダメ?加害者の子どもに、そんなそこまで責任負わせる??
それは違うと、私は思うのだった。
被害者のご家族は相当お辛い思いをされているのでしょうけれども。そして、彼のツイッターをみたらば、不快な思いをされるのでしょうけれども。
うむー。親の罪をどこまで子どもが負わなくてはいけないのか。
そもそも、負わないで済むのであればいいのでしょうけど、
負わされるのは必然でしょうしね。
で、あれば、本人が、非難されるのを承知の上であれば、
発信してもいいと思うなー。
さて、「犯罪者」「加害者」と書いてきたが、「死刑囚」とあるので、「犯罪者」「加害者」と確定されたという事なんでしょうが、
本人が認めていない以上、冤罪の可能性も無くはないのかな、と、私は思う。
この事件に関して、きちんと自分で調べたり、情報収集したりしてないから、わたしには判断できない。
わたしには判断できないので、その子どもを非難する事なんて、できようはずもない。
非難している人達は、きちんとそれなりに自身で調べての事なんだろうか。
そういう点も、問うてみたいのであった。
さて、こんな事をブログに書いて、非難のコメントをもらっちゃったらどうしようと、戦々恐々です。
もらっちゃったらしょうがないんだけど。
大人しく、ひとり、ダメージを受けるしか無いんだけれども。
だからできるだけ、人目につかないようにしよう、とか思っちゃうわけだけれども。
それでも「発信したい」
のであった。