黄色いロイド風のセルのメガネがトレードマークの私であったが、昨年末に
日比谷ビルでの忘年会で失くしてしまった。非常にお気に入りのメガネで
東京オフィスの時代からずっとしていたし、実はこのメガネは私が初の給料で
買った白山眼鏡のHUNKというモデルなのだった。
横浜の時代はあからさまに目くじらをたてられて閉口していたものだが、東京に
転勤になって再びトレードマークに復帰していた愛着のあるものだった。
あろうことか、そんなに大事なメガネを失くして意気消沈していたが、本日
御徒町へ出かけて、再度同じモデルを購入することが出来て非常に胸のつかえが
取れたような爽快感を味わっています。
御徒町の白山眼鏡店の本店は6年前にこの黄色いHUNKを作り、3年前には神奈川
リハビリ病院を退院して会社に復帰するちょっと前に、事故で壊れていたのを
修理にきたところだ。もちろんカルテがあって、それの住所は逗子になっていた
ので、事故の記憶がまた蘇ってきたのであった。
そしてまた、鎌倉の家から駅までの道で見た光景も心を揺さぶるものだった。
正月3日、といえばまだまだお正月でお屠蘇気分も抜けない時期で、鎌倉は大勢
の人出で賑やかであった。御徒町へ向かう為に滑川の脇の道を歩いていたら、
川の中に大きな魚が数匹、腹を見せて死んでいた。その魚は海の魚でハマチの
幼魚のワラサのようだった。満潮の時に、滑川を遡ったのはいいが、遡りすぎて
真水の環境になってしまい死んでしまったのであろう。
もしかすると、大きな魚に追われてパニックになって川に入ってきたのかもしれ
ない。海水魚にとっては真水は毒だ。こいつらも、分かっていない訳がない。
事故で命を落としてしまった姿は、わが身を思い、私の胸に強く迫るものが
あった。
日比谷ビルでの忘年会で失くしてしまった。非常にお気に入りのメガネで
東京オフィスの時代からずっとしていたし、実はこのメガネは私が初の給料で
買った白山眼鏡のHUNKというモデルなのだった。
横浜の時代はあからさまに目くじらをたてられて閉口していたものだが、東京に
転勤になって再びトレードマークに復帰していた愛着のあるものだった。
あろうことか、そんなに大事なメガネを失くして意気消沈していたが、本日
御徒町へ出かけて、再度同じモデルを購入することが出来て非常に胸のつかえが
取れたような爽快感を味わっています。
御徒町の白山眼鏡店の本店は6年前にこの黄色いHUNKを作り、3年前には神奈川
リハビリ病院を退院して会社に復帰するちょっと前に、事故で壊れていたのを
修理にきたところだ。もちろんカルテがあって、それの住所は逗子になっていた
ので、事故の記憶がまた蘇ってきたのであった。
そしてまた、鎌倉の家から駅までの道で見た光景も心を揺さぶるものだった。
正月3日、といえばまだまだお正月でお屠蘇気分も抜けない時期で、鎌倉は大勢
の人出で賑やかであった。御徒町へ向かう為に滑川の脇の道を歩いていたら、
川の中に大きな魚が数匹、腹を見せて死んでいた。その魚は海の魚でハマチの
幼魚のワラサのようだった。満潮の時に、滑川を遡ったのはいいが、遡りすぎて
真水の環境になってしまい死んでしまったのであろう。
もしかすると、大きな魚に追われてパニックになって川に入ってきたのかもしれ
ない。海水魚にとっては真水は毒だ。こいつらも、分かっていない訳がない。
事故で命を落としてしまった姿は、わが身を思い、私の胸に強く迫るものが
あった。