5月30日、結婚パーティの日。
麻布十番の会場近くの小さな公園で、I瀬さんは一生懸命練習していました。

それだけでも十分に感動的なシーンだったのですが…
この公園には、小さな女の子の像が立っていました。

この女の子は、野口雨情の「赤い靴」のモデルとなった女の子だというのです。
碑に書いてる内容を要約しますと
野口の「赤い靴」にはモデルがあり、その女の子の名前は「きみちゃん」。
きみちゃんは事情で米国人宣教師夫妻の養女になった。
渡米したと信じる実母のかよさんが、このことを雨情に話し、出来た曲が「赤い靴」。
しかし、アメリカに渡るまえに「きみちゃん」は病気になって、ここ麻布十番近く
の孤児院で一人さびしく亡くなった…まだ9歳だった。
碑には「母と子の愛の絆をこの像に託して、みなさまの幸せを願って止みません」
と結びの言葉が書かれていました。
…この碑を読んで、しばし絶句。
悲しい歌のその裏に、もっと悲しい物語があったのです。
きっと母親のかよさんは、最後まで「きみちゃん」がアメリカにいると信じて
疑わなかったのでしょう。
多くの人には当たり前のような愛情、それを注がれない子供たちが、この世界には
沢山いることを思い出させ…こみあげるものを禁じ得ませんでした。
麻布十番の会場近くの小さな公園で、I瀬さんは一生懸命練習していました。

それだけでも十分に感動的なシーンだったのですが…
この公園には、小さな女の子の像が立っていました。


この女の子は、野口雨情の「赤い靴」のモデルとなった女の子だというのです。
碑に書いてる内容を要約しますと
野口の「赤い靴」にはモデルがあり、その女の子の名前は「きみちゃん」。
きみちゃんは事情で米国人宣教師夫妻の養女になった。
渡米したと信じる実母のかよさんが、このことを雨情に話し、出来た曲が「赤い靴」。
しかし、アメリカに渡るまえに「きみちゃん」は病気になって、ここ麻布十番近く
の孤児院で一人さびしく亡くなった…まだ9歳だった。
碑には「母と子の愛の絆をこの像に託して、みなさまの幸せを願って止みません」
と結びの言葉が書かれていました。
…この碑を読んで、しばし絶句。
悲しい歌のその裏に、もっと悲しい物語があったのです。
きっと母親のかよさんは、最後まで「きみちゃん」がアメリカにいると信じて
疑わなかったのでしょう。
多くの人には当たり前のような愛情、それを注がれない子供たちが、この世界には
沢山いることを思い出させ…こみあげるものを禁じ得ませんでした。
