“EBC航海日誌”に東北復興支援旅行をアップしましたので、旅行のあらすじはそちらで
読んでください。
今年で8年目となる3月11日の東日本大震災。その発生直後から開始したこの復興支援旅行。
いつもと同じことを、いつも通りにできるように復興すること、を目指して「泊まるのも呑むのも
土産を買うのも復興支援」を合言葉にずっと続けてきました。途中で私は社会復帰できないとまで
医師に判断された、事故の後遺症を乗り越えて、参加を継続出来ていることに本当に感謝です。
今回はRydeenから6名、Rydeen以外のヨット関係者が6名と年々参加者の幅が広がっていくのが
また嬉しいことです。今回はRydeenからマッチ副会長、Rydeen以外からK山さんの二人が初参加。
来年はさらに増える可能性の話もでて本当に輪が広がって行ってます。
今回珍しくMT氏とダイゴロさんが不参加でしたが、次回は是非参加できるように祈ります。
※フェイスブックには動画で今回の旅行のダイジェストをアップしましたので、見れる方は
ご覧になってください。
「行きの新幹線」
「福島着~宴会」
「朝食 福島県観光物産館~福島駅」
読んでください。
今年で8年目となる3月11日の東日本大震災。その発生直後から開始したこの復興支援旅行。
いつもと同じことを、いつも通りにできるように復興すること、を目指して「泊まるのも呑むのも
土産を買うのも復興支援」を合言葉にずっと続けてきました。途中で私は社会復帰できないとまで
医師に判断された、事故の後遺症を乗り越えて、参加を継続出来ていることに本当に感謝です。
今回はRydeenから6名、Rydeen以外のヨット関係者が6名と年々参加者の幅が広がっていくのが
また嬉しいことです。今回はRydeenからマッチ副会長、Rydeen以外からK山さんの二人が初参加。
来年はさらに増える可能性の話もでて本当に輪が広がって行ってます。
今回珍しくMT氏とダイゴロさんが不参加でしたが、次回は是非参加できるように祈ります。
※フェイスブックには動画で今回の旅行のダイジェストをアップしましたので、見れる方は
ご覧になってください。
「行きの新幹線」
「福島着~宴会」
「朝食 福島県観光物産館~福島駅」
この金曜~土曜、恒例となった我々ヨットRydeenのメンバーを中心とした東北支援旅行が敢行された。
とにかく、東北行って泊まって飲んでお土産いっぱい買って、少しでも東北復興の支援になればとの
思いを込めて、いっぱい飲んで食べて買ってという旅路です。
12時丁度発の“やまびこ”で福島を目指すのは、初参加のセールメーカーT叶氏、保険のS井氏と
前回から参加している元MAUPITIのO陰氏、もはや常連と言ってよいM橋編集長とわれらがキャプテン
MT氏をはじめとするRydeenのメンバーTO会長、ダイゴローさん、私。そして途中駅から乗車して
来たのはわがチームのアニイK木氏の総勢9名。
今回も、Rydeen東北組=K地さん、ヤヘイさんが福島駅まで車で迎えに来てくれて、乗り切らないので
TO会長、ダイゴロさんと私は駅前の飲み屋で一杯二杯やって待っていたら、K地さんが一陣を送って
戻って来てくれて、今回の宿の土湯温泉「山水荘」に全員無事終結。
宿ではすでに宴会の予行練習が始まっており、いい感じに皆さん顔が赤く、声が大きく、態度も大きく
なっているところでした。
そして宴会前にひとっ風呂と一階に降りて温泉につかって戻ろうとしたら、自分の部屋番号・階数を
忘れてしまい、一階の温泉入り口で誰かくるさと待つこと小一時間。
さすがに、部屋でもどこに行ったか行方不明なので、全館放送をお願いしたけど緊急時以外はできない
と断られたそうです。
フロントで自分の部屋番号を聞くことを思いつかなかったら大騒ぎになるところだった。
夕飯時にはダイゴローさんとウクレレ演奏をしたようですが、覚えておりません。カイマナヒラは
いつもの通りMT氏からヤジられたようですが、カメラも携帯も持って行かなかったので、記録は
まったくありません。
翌日は朝ごはんの前に小宴会でビール、ビール、日本酒、日本酒。
食堂から泊まり客がほぼ全て居なくなるころ、やっと、ごはん・おかゆ・味噌汁で朝食。
そして、車とホテルのバスに分乗し、福島駅前の土産物販売所「福島県観光物産館」へ。物産館の
あとは恒例の駅前の蕎麦屋「喜多屋」さんで、再度宴会開始。ビール、日本酒、日本酒…ビール。
とにかく呑んで、食べて、土産買って、とRydeen流復興支援の旅の締めくくりとして、みんな
思い思いの思い出と土産と満腹のお腹を抱えて帰るのでありました。
T叶さんのボルドーワイン、MT氏のスコッチ、私のシーバスリーガルも次々と空いていきます。
宿について早速宴会開始。
とにかく、東北行って泊まって飲んでお土産いっぱい買って、少しでも東北復興の支援になればとの
思いを込めて、いっぱい飲んで食べて買ってという旅路です。
12時丁度発の“やまびこ”で福島を目指すのは、初参加のセールメーカーT叶氏、保険のS井氏と
前回から参加している元MAUPITIのO陰氏、もはや常連と言ってよいM橋編集長とわれらがキャプテン
MT氏をはじめとするRydeenのメンバーTO会長、ダイゴローさん、私。そして途中駅から乗車して
来たのはわがチームのアニイK木氏の総勢9名。
今回も、Rydeen東北組=K地さん、ヤヘイさんが福島駅まで車で迎えに来てくれて、乗り切らないので
TO会長、ダイゴロさんと私は駅前の飲み屋で一杯二杯やって待っていたら、K地さんが一陣を送って
戻って来てくれて、今回の宿の土湯温泉「山水荘」に全員無事終結。
宿ではすでに宴会の予行練習が始まっており、いい感じに皆さん顔が赤く、声が大きく、態度も大きく
なっているところでした。
そして宴会前にひとっ風呂と一階に降りて温泉につかって戻ろうとしたら、自分の部屋番号・階数を
忘れてしまい、一階の温泉入り口で誰かくるさと待つこと小一時間。
さすがに、部屋でもどこに行ったか行方不明なので、全館放送をお願いしたけど緊急時以外はできない
と断られたそうです。
フロントで自分の部屋番号を聞くことを思いつかなかったら大騒ぎになるところだった。
夕飯時にはダイゴローさんとウクレレ演奏をしたようですが、覚えておりません。カイマナヒラは
いつもの通りMT氏からヤジられたようですが、カメラも携帯も持って行かなかったので、記録は
まったくありません。
翌日は朝ごはんの前に小宴会でビール、ビール、日本酒、日本酒。
食堂から泊まり客がほぼ全て居なくなるころ、やっと、ごはん・おかゆ・味噌汁で朝食。
そして、車とホテルのバスに分乗し、福島駅前の土産物販売所「福島県観光物産館」へ。物産館の
あとは恒例の駅前の蕎麦屋「喜多屋」さんで、再度宴会開始。ビール、日本酒、日本酒…ビール。
とにかく呑んで、食べて、土産買って、とRydeen流復興支援の旅の締めくくりとして、みんな
思い思いの思い出と土産と満腹のお腹を抱えて帰るのでありました。
T叶さんのボルドーワイン、MT氏のスコッチ、私のシーバスリーガルも次々と空いていきます。
宿について早速宴会開始。
わたしのフェイスブックより引用
本日は東日本大震災の発生した日。2万人以上の犠牲者を出し、今なお避難生活を強いられている人たちが
7万人以上もいるという。
鎌倉では仏教、神道、キリスト教の3宗教が、毎年宗教の垣根を越えて合同で慰霊祭を行っている。
今年は仏教が幹事役で長谷の大仏様で行われた。私は慰霊祭が始まる前に大仏に行き、亡くなった方々と
避難されている方々のために祈って来た。
私はというと、今週、ヨットの仲間達と毎年恒例になっている復興支援東北旅行で、福島の土湯温泉に
お邪魔してくる予定。復興支援と言っても、東北の温泉に泊まってお金を落としてくるという事なのだが…。
それでも、まだ東北の温泉地観光地へ出かける人の数は震災前の水準まで回復していない、と新聞は書いていた。
震災直後に始まったこの会、今年で何回目になるのか年に2回やった年もあり、7回じゃすまないと思う。
ともあれ特別なことをするわけじゃなく、日常の生活が日常のように復興することを願って今年も行ってきます。
以上は、フェイスブックに書いたもの。そのあと、家で14時46分を迎え、家人と娘と三人で黙とう。
夕飯の買いものに近所のスーパーに行った帰り、夕日が綺麗な予感がして、買った食材を家で冷蔵庫にしまい
すぐに自転車で海岸へ行ってみた。
とても綺麗な夕陽が見れた。また太陽の周りに二重三重に光の輪が囲んでいて、今日の特別な日を象徴するような
夕陽だった。まさに日輪か。
本日は東日本大震災の発生した日。2万人以上の犠牲者を出し、今なお避難生活を強いられている人たちが
7万人以上もいるという。
鎌倉では仏教、神道、キリスト教の3宗教が、毎年宗教の垣根を越えて合同で慰霊祭を行っている。
今年は仏教が幹事役で長谷の大仏様で行われた。私は慰霊祭が始まる前に大仏に行き、亡くなった方々と
避難されている方々のために祈って来た。
私はというと、今週、ヨットの仲間達と毎年恒例になっている復興支援東北旅行で、福島の土湯温泉に
お邪魔してくる予定。復興支援と言っても、東北の温泉に泊まってお金を落としてくるという事なのだが…。
それでも、まだ東北の温泉地観光地へ出かける人の数は震災前の水準まで回復していない、と新聞は書いていた。
震災直後に始まったこの会、今年で何回目になるのか年に2回やった年もあり、7回じゃすまないと思う。
ともあれ特別なことをするわけじゃなく、日常の生活が日常のように復興することを願って今年も行ってきます。
以上は、フェイスブックに書いたもの。そのあと、家で14時46分を迎え、家人と娘と三人で黙とう。
夕飯の買いものに近所のスーパーに行った帰り、夕日が綺麗な予感がして、買った食材を家で冷蔵庫にしまい
すぐに自転車で海岸へ行ってみた。
とても綺麗な夕陽が見れた。また太陽の周りに二重三重に光の輪が囲んでいて、今日の特別な日を象徴するような
夕陽だった。まさに日輪か。
1月9日はNTTヨット部の創設者にして、大先輩の渡辺卓さんの命日であった。
昼間から卓さんの墓前にて一献酌み交わして来たメンバーも含めて、浜松町の中華「隋苑」にて旧交を温める。
卓さんはNTTからS&Bに、今で言うヘッドハンティングされて移ったけれど、NTTの後輩からもS&Bの後輩からも
慕われ、いまでもこうしてその2社とそれ以外の仲間が集まって追悼の会を開いている。
私がヨット部に入ったのは、もう卓さんがS&Bに移った後ではあったが、それでも江の島では良く会ったし
毎年恒例の鳥羽レースへの回航でDreampicとテレマティークが連れ立って、江の島から鳥羽へ行くときに一緒に
乗らせてもらったりしたので、他社の人という感じではなかった。
当時本社広報部にいてヨットのプロジェクトを担当していた私が、そのプロジェクトが終わってもヨット部に
残っているのを卓さんは「ここに居るってことは貴方もだらしがない、ということなんですよ!」と言ったものだ。
けっしてヨットマンがだらしがないという意味ではなく、「遊びに打ち込む」その姿勢をビジネスの世界に対して
「だらしがない」という言葉で表したものだと今では思う。
そんな卓さんに、いっぱいの思いと感謝を込めた、それぞれの夜が更けて行きました。
あのあと、もう一軒行ったのか定かではありませんが、少なくとも鎌倉では駅降りてから一軒寄ったのは間違い
ありません。久々のへべれけ状態でした。
昼間から卓さんの墓前にて一献酌み交わして来たメンバーも含めて、浜松町の中華「隋苑」にて旧交を温める。
卓さんはNTTからS&Bに、今で言うヘッドハンティングされて移ったけれど、NTTの後輩からもS&Bの後輩からも
慕われ、いまでもこうしてその2社とそれ以外の仲間が集まって追悼の会を開いている。
私がヨット部に入ったのは、もう卓さんがS&Bに移った後ではあったが、それでも江の島では良く会ったし
毎年恒例の鳥羽レースへの回航でDreampicとテレマティークが連れ立って、江の島から鳥羽へ行くときに一緒に
乗らせてもらったりしたので、他社の人という感じではなかった。
当時本社広報部にいてヨットのプロジェクトを担当していた私が、そのプロジェクトが終わってもヨット部に
残っているのを卓さんは「ここに居るってことは貴方もだらしがない、ということなんですよ!」と言ったものだ。
けっしてヨットマンがだらしがないという意味ではなく、「遊びに打ち込む」その姿勢をビジネスの世界に対して
「だらしがない」という言葉で表したものだと今では思う。
そんな卓さんに、いっぱいの思いと感謝を込めた、それぞれの夜が更けて行きました。
あのあと、もう一軒行ったのか定かではありませんが、少なくとも鎌倉では駅降りてから一軒寄ったのは間違い
ありません。久々のへべれけ状態でした。
この金曜~土曜は、ヨット仲間と私の還暦祝いを兼ねて東北支援の旅行でした。
台風が来る前の、青空が清々しい金曜日の午前中に家を出ました。
…平日に休みを取って旅行っていくつになっても、ワクワクと楽しいものですね。
東京駅のホームに東京出発組6名がボチボチと集合して、缶ビールの乾杯でスタートです。
新幹線で郡山まで1時間程度、郡山駅からは磐越西線に乗り換えて、会津若松までの最終
アプローチ約1時間半の都合約3時間です。
その限られた貴重な時間でビール、日本酒、バーボン…と。
会津若松駅で東北在住のK地さん・弥平さん、それと、列車は鈍行というアニイと合流します。
会津若松の宿は東山温泉のグランドホテルです。ホテルに入って部屋で早速軽く乾杯。
それから宴会場に行くと、私の還暦祝いご一行様の看板があって、感激です。皆さんありがとうございます。
そのあとは、いろいろあったようですが例によって私は記憶喪失状態。聴いた話では、その場でウクレレは
一回ちょっと弾いたけど忘れたと言って弾かなかったようです。
それからカラオケともう一軒行ったようですが記憶にありません。しっかりしてはいたらしいのですが。
写真で注目したいのは、MT氏の浴衣。これ絶対女性用のですがMT氏はこれがいたく気に入ったようで
「お姉さん、アチキと遊ばない?」と浮浪雲気取りでご満悦です。
翌朝、朝食はおかゆと普通のご飯を一杯づつ食べ、チェックアウト後は白虎隊が自刃した飯森山へ。
飯森山は初めて行きましたが、この山腹から市内の鶴ヶ城に煙が上がるのを見て、「もはやこれまで」と
そろって自刃して果てた白虎隊は16~17歳の中高生程度の子供だったことを思うと何故か目頭が
熱くなってきました。
わたしもそうしないではいられなかったのですが、彼らの墓前には今もなお、両手を合わせ首を垂れる人が
おり、その人たち捧げる線香が絶えることなく煙を上げていました。
やや興ざめの感を覚えたのは、ファシスト政権下のイタリア王国首相ベニート・ムッソリーニが、
1928年(昭和3)に寄贈したという白虎隊顕彰碑。
白虎隊をファシストに利用されるのは心外で、武士道精神は封建時代だからこそ違和感がないが
近代に場違いに利用しようとするのは、白虎隊志士達も望んではいないことだと思うが、どうだろう。
それと、自刃した白虎隊のうちただ一人蘇生して、天寿をまっとうした「飯沼貞夫 翁」の墓も
おなじこの飯森山にあって、その碑を読むと我らNTTヨット部OBとも無関係ではないという事が
分かった。
彼は蘇生したのち仙台に移り、逓信省に入省して、仙台逓信管理局工務部長まで勤めた大先輩である。
唯一生き残り、どれほど辛く苦しい思いをしたかわからないが、会津から仙台に移住するほどであった
ということだとは思われる。しかしそれでも彼のお陰で白虎隊の姿が伝えられてきたのは事実で
それは大きな役目だったと言えるのではないだろうか。
台風が来る前の、青空が清々しい金曜日の午前中に家を出ました。
…平日に休みを取って旅行っていくつになっても、ワクワクと楽しいものですね。
東京駅のホームに東京出発組6名がボチボチと集合して、缶ビールの乾杯でスタートです。
新幹線で郡山まで1時間程度、郡山駅からは磐越西線に乗り換えて、会津若松までの最終
アプローチ約1時間半の都合約3時間です。
その限られた貴重な時間でビール、日本酒、バーボン…と。
会津若松駅で東北在住のK地さん・弥平さん、それと、列車は鈍行というアニイと合流します。
会津若松の宿は東山温泉のグランドホテルです。ホテルに入って部屋で早速軽く乾杯。
それから宴会場に行くと、私の還暦祝いご一行様の看板があって、感激です。皆さんありがとうございます。
そのあとは、いろいろあったようですが例によって私は記憶喪失状態。聴いた話では、その場でウクレレは
一回ちょっと弾いたけど忘れたと言って弾かなかったようです。
それからカラオケともう一軒行ったようですが記憶にありません。しっかりしてはいたらしいのですが。
写真で注目したいのは、MT氏の浴衣。これ絶対女性用のですがMT氏はこれがいたく気に入ったようで
「お姉さん、アチキと遊ばない?」と浮浪雲気取りでご満悦です。
翌朝、朝食はおかゆと普通のご飯を一杯づつ食べ、チェックアウト後は白虎隊が自刃した飯森山へ。
飯森山は初めて行きましたが、この山腹から市内の鶴ヶ城に煙が上がるのを見て、「もはやこれまで」と
そろって自刃して果てた白虎隊は16~17歳の中高生程度の子供だったことを思うと何故か目頭が
熱くなってきました。
わたしもそうしないではいられなかったのですが、彼らの墓前には今もなお、両手を合わせ首を垂れる人が
おり、その人たち捧げる線香が絶えることなく煙を上げていました。
やや興ざめの感を覚えたのは、ファシスト政権下のイタリア王国首相ベニート・ムッソリーニが、
1928年(昭和3)に寄贈したという白虎隊顕彰碑。
白虎隊をファシストに利用されるのは心外で、武士道精神は封建時代だからこそ違和感がないが
近代に場違いに利用しようとするのは、白虎隊志士達も望んではいないことだと思うが、どうだろう。
それと、自刃した白虎隊のうちただ一人蘇生して、天寿をまっとうした「飯沼貞夫 翁」の墓も
おなじこの飯森山にあって、その碑を読むと我らNTTヨット部OBとも無関係ではないという事が
分かった。
彼は蘇生したのち仙台に移り、逓信省に入省して、仙台逓信管理局工務部長まで勤めた大先輩である。
唯一生き残り、どれほど辛く苦しい思いをしたかわからないが、会津から仙台に移住するほどであった
ということだとは思われる。しかしそれでも彼のお陰で白虎隊の姿が伝えられてきたのは事実で
それは大きな役目だったと言えるのではないだろうか。
このGWは出だしの4/29(土)、4/30(日)で船底掃除~船底塗料の塗り替え作業を行った。
初日は、船底掃除のあとラダーに船底塗料の試し塗りをして、野田の湯に行く前に
MAUPITIへご挨拶がてら、ビールを持参して歓談。それから、船に戻って作業終了。
大船“野田の湯”~成ちゃんで恒例のご苦労さん会をして、翌日は船底塗料塗り替えし
それが乾かないうちに私は失礼して、家人と湘南モールで“美女と野獣”を見て夕飯は外食。
そして昨日3日(水)江の島で兄弟船として懇意にさせてもらっている、MAUPITIと合同の
BBQパーティだった。今年もいいGWの出だしである
。
ウクレレはもちろん私のトレードマークなので、連日持って行きましたよ。
4/29にダイゴローさんと二人で、カイマナヒラ。そしてBBQでは私一人でしたが
芸人やれ!との声にお応えして、クレージーG、スターダスト、DREAM。
そしてアンコールの声もかかり、最後は定番カイマナヒラと弾かせててもらいました。
そのあと飲みすぎて帰りは千鳥足。
29日
3日
初日は、船底掃除のあとラダーに船底塗料の試し塗りをして、野田の湯に行く前に
MAUPITIへご挨拶がてら、ビールを持参して歓談。それから、船に戻って作業終了。
大船“野田の湯”~成ちゃんで恒例のご苦労さん会をして、翌日は船底塗料塗り替えし
それが乾かないうちに私は失礼して、家人と湘南モールで“美女と野獣”を見て夕飯は外食。
そして昨日3日(水)江の島で兄弟船として懇意にさせてもらっている、MAUPITIと合同の
BBQパーティだった。今年もいいGWの出だしである
。
ウクレレはもちろん私のトレードマークなので、連日持って行きましたよ。
4/29にダイゴローさんと二人で、カイマナヒラ。そしてBBQでは私一人でしたが
芸人やれ!との声にお応えして、クレージーG、スターダスト、DREAM。
そしてアンコールの声もかかり、最後は定番カイマナヒラと弾かせててもらいました。
そのあと飲みすぎて帰りは千鳥足。
29日
3日
話は前後しますが、先週は東日本大震災以来続いている福島行、今回はO蔭さんの古希のお祝いです。
お昼休みに携帯で投稿してるので、後でまた追記します。
〝後刻〟…通勤電車内にて投稿しております。
恒例になった福島行には、副会長を除くいつものRydeenメンバー8名とトミーのNTTヨット部OBと、
YachtingのM橋編集長。そして、私はここ20年くらいの浅い付き合いですが、半世紀以上昔から
ヨット仲間のO陰さんが初参加。
今回はO陰さんの古希のお祝いという名目の、エログロナンセンス何でもアリアリの大酒呑み旅行。
私は東京駅集合時間1時間前に銀の鈴で待ち合わせたのですが、会長とダイゴローさんは既に買い出し
完了でしたので、その荷物を持ってホームへ向かいます。つまりお相撲さん=関取=席取り。
そこからビール、新幹線では日本酒、焼酎、ウイスキーと徐々にアクセルが上がります。
福島駅でK地さん、ヤヘイさんが車で迎えに来てくれて宿に着いた頃はアクセル全開。本番の宴会場
でのことはあらかた覚えておりませんけど、写真はありましたので、アップしときます。
翌朝、起きてみると新しく雪が積もっておりました。
震災の時も雪が降っていましたね。我々の東北行が少しでも復興の役に立っていることを願いつつ…。
お昼休みに携帯で投稿してるので、後でまた追記します。
〝後刻〟…通勤電車内にて投稿しております。
恒例になった福島行には、副会長を除くいつものRydeenメンバー8名とトミーのNTTヨット部OBと、
YachtingのM橋編集長。そして、私はここ20年くらいの浅い付き合いですが、半世紀以上昔から
ヨット仲間のO陰さんが初参加。
今回はO陰さんの古希のお祝いという名目の、エログロナンセンス何でもアリアリの大酒呑み旅行。
私は東京駅集合時間1時間前に銀の鈴で待ち合わせたのですが、会長とダイゴローさんは既に買い出し
完了でしたので、その荷物を持ってホームへ向かいます。つまりお相撲さん=関取=席取り。
そこからビール、新幹線では日本酒、焼酎、ウイスキーと徐々にアクセルが上がります。
福島駅でK地さん、ヤヘイさんが車で迎えに来てくれて宿に着いた頃はアクセル全開。本番の宴会場
でのことはあらかた覚えておりませんけど、写真はありましたので、アップしときます。
翌朝、起きてみると新しく雪が積もっておりました。
震災の時も雪が降っていましたね。我々の東北行が少しでも復興の役に立っていることを願いつつ…。
10月14日(金)
この日の朝は、車で常盤の阿部脳神経外科に。実は1日に行った時、1日と8日は学会で休み、との張り紙が
貼ってあったので、2週間薬が切れての通院です。
この日はYachtingのM橋編集長の古希祝いで東北への旅行があり、その前に是非とも薬を手に入れておきたかった。
9時の開院前から入って順番を待つ、早めに診てもらえて、9時過ぎには完了。
車で家に戻り、ウクレレ、着替えなど持って東京駅へ向けて出立しました。
11時前に東京駅の古典的待ち合わせ場所である“銀の鈴”広場で、TO会長、ダイゴローさんに連絡を
すると、ダイゴローさんは既に到着とのことで見渡すとベンチに座っておりました。TO会長の携帯を
呼んでも返事がないので、致し方なく二人で先に買い出しをすることに。いつもの、駅地下商店街でちょっと
しゃれたおつまみと酒。それにいなりずし。レジに並んでいるときにTO会長登場。3人で新幹線のホームへ。
ホームで待つと、主役のM橋編集長、トミー、MT氏と東京駅集合組が全員集合し、いつものように
わいわいがやがやと船の事、海の事、社会のこと、病気のこと、この前の飲み会のことなど…始終会っているのに
何でこうも話題が尽きないのかと思うくらい。東北新幹線の2号車自由席で6人で8人分を占拠し早速しホームで
既に呑み始めていた続きとはいえ、これにて正式に開宴です。6人掛けに4人、TO会長、MT氏、M橋編集長
トミー。4人掛けにダイゴローさんと私の若手(?)2人。
途中大宮駅からアニイが乗り込んできたら、絶対ダイゴローたちの方へ座るぞ、と6人掛けの皆が口ぐちにのたまう。
そんな予想をされているとは知らないアニイが大宮駅で、予測通り黙って、私とダイゴローさんの座る4人掛けへ。
みんないい気分になって、福島駅に到着し駅前まで迎えに来てくれたK地さんとヤヘイさんの車に分乗して
一路飯坂温泉へ。実はその前に駅前の蕎麦屋に寄るが、残念昼時間が過ぎており休憩に入っていた。
旅館は“摺上亭大鳥”我らは“ライディーン様御一行”9名。
定番の表現をすれば、旅装を解くやいなや早速温泉へ直行する面々。そのあとは、宴会場で宴会でございます。
ダイゴローさんと私はウクレレと譜面台と楽譜持参ですので、もちろんご披露させて頂きましたが写真は私の
スマホには残っていませんので、後日頂いたらアップします。
そして、ここで呑んで部屋に戻って今度は部屋で宴会開始…とこの辺りから記憶が無いので割愛。
MT氏が私が寝落ちしている様子を写真に撮っていたのを、自分のブログに載せると言ってました。
10月15日(土)
翌朝、いつもよりぐっすりと寝て起床。早めに寝ていたのが良かったのでしょう、全然二日酔いでもなく
寝不足でもない、快調な朝です。朝食を食べ、朝酒を呑み、みなさん歳を重ねている割に元気です。
出発までゲーム(良い子は仲良くしてね!)をしたり、もう一度温泉につかりに行ったりしてから清算です。
そして、家の用事があるということでひとり帰るトミーを見送って、一同は吾妻小富士へ向けて出発です。
途中標高が上がってくると、道路の左右には紅葉し始めの斜面の木々が美しい。窓を開けてスマホでカシャカシャ。
やがて木が生えていない山肌むき出しの山頂に近付く。山肌むき出しなのは、標高が高いからではなく、火山性
ガスが噴き出しているからで、白い噴煙を上げている一切経山の姿を見るまでもなく、蔓延する硫黄臭でここが火山で
ある事が分かる。
ダイゴローさんとK地さん、ヤヘイさんの3人は吾妻小富士の山頂まで登って火口をグルッと回ってくると、すたすた
上って行く。残りの我々は、レストハウスでこんにゃく玉を食べたり、お土産を買ったりして待ちます。
こんなときに噴火が始まったらえらいです。そんな心配をしてたら火山になんて来ないのでしょう。でも何もなくて
良かった。全員集合して、下山。温泉地帯を過ぎて、福島駅前へ。昨日空いてなかった蕎麦屋さんに入り
日本酒ぬる燗を1升呑んで、ミニソースかつ丼&せいろ蕎麦セットを。満腹。
帰りの新幹線は6人掛けを確保出来て、そこでダイゴローさんと私は、ワンカップをちびちびやりながら帰って
きました。
全てが予定どおりに済み、快晴無風という良い天気にも恵まれ、全員が無事に戻れたことに感謝します。✝
この日の朝は、車で常盤の阿部脳神経外科に。実は1日に行った時、1日と8日は学会で休み、との張り紙が
貼ってあったので、2週間薬が切れての通院です。
この日はYachtingのM橋編集長の古希祝いで東北への旅行があり、その前に是非とも薬を手に入れておきたかった。
9時の開院前から入って順番を待つ、早めに診てもらえて、9時過ぎには完了。
車で家に戻り、ウクレレ、着替えなど持って東京駅へ向けて出立しました。
11時前に東京駅の古典的待ち合わせ場所である“銀の鈴”広場で、TO会長、ダイゴローさんに連絡を
すると、ダイゴローさんは既に到着とのことで見渡すとベンチに座っておりました。TO会長の携帯を
呼んでも返事がないので、致し方なく二人で先に買い出しをすることに。いつもの、駅地下商店街でちょっと
しゃれたおつまみと酒。それにいなりずし。レジに並んでいるときにTO会長登場。3人で新幹線のホームへ。
ホームで待つと、主役のM橋編集長、トミー、MT氏と東京駅集合組が全員集合し、いつものように
わいわいがやがやと船の事、海の事、社会のこと、病気のこと、この前の飲み会のことなど…始終会っているのに
何でこうも話題が尽きないのかと思うくらい。東北新幹線の2号車自由席で6人で8人分を占拠し早速しホームで
既に呑み始めていた続きとはいえ、これにて正式に開宴です。6人掛けに4人、TO会長、MT氏、M橋編集長
トミー。4人掛けにダイゴローさんと私の若手(?)2人。
途中大宮駅からアニイが乗り込んできたら、絶対ダイゴローたちの方へ座るぞ、と6人掛けの皆が口ぐちにのたまう。
そんな予想をされているとは知らないアニイが大宮駅で、予測通り黙って、私とダイゴローさんの座る4人掛けへ。
みんないい気分になって、福島駅に到着し駅前まで迎えに来てくれたK地さんとヤヘイさんの車に分乗して
一路飯坂温泉へ。実はその前に駅前の蕎麦屋に寄るが、残念昼時間が過ぎており休憩に入っていた。
旅館は“摺上亭大鳥”我らは“ライディーン様御一行”9名。
定番の表現をすれば、旅装を解くやいなや早速温泉へ直行する面々。そのあとは、宴会場で宴会でございます。
ダイゴローさんと私はウクレレと譜面台と楽譜持参ですので、もちろんご披露させて頂きましたが写真は私の
スマホには残っていませんので、後日頂いたらアップします。
そして、ここで呑んで部屋に戻って今度は部屋で宴会開始…とこの辺りから記憶が無いので割愛。
MT氏が私が寝落ちしている様子を写真に撮っていたのを、自分のブログに載せると言ってました。
10月15日(土)
翌朝、いつもよりぐっすりと寝て起床。早めに寝ていたのが良かったのでしょう、全然二日酔いでもなく
寝不足でもない、快調な朝です。朝食を食べ、朝酒を呑み、みなさん歳を重ねている割に元気です。
出発までゲーム(良い子は仲良くしてね!)をしたり、もう一度温泉につかりに行ったりしてから清算です。
そして、家の用事があるということでひとり帰るトミーを見送って、一同は吾妻小富士へ向けて出発です。
途中標高が上がってくると、道路の左右には紅葉し始めの斜面の木々が美しい。窓を開けてスマホでカシャカシャ。
やがて木が生えていない山肌むき出しの山頂に近付く。山肌むき出しなのは、標高が高いからではなく、火山性
ガスが噴き出しているからで、白い噴煙を上げている一切経山の姿を見るまでもなく、蔓延する硫黄臭でここが火山で
ある事が分かる。
ダイゴローさんとK地さん、ヤヘイさんの3人は吾妻小富士の山頂まで登って火口をグルッと回ってくると、すたすた
上って行く。残りの我々は、レストハウスでこんにゃく玉を食べたり、お土産を買ったりして待ちます。
こんなときに噴火が始まったらえらいです。そんな心配をしてたら火山になんて来ないのでしょう。でも何もなくて
良かった。全員集合して、下山。温泉地帯を過ぎて、福島駅前へ。昨日空いてなかった蕎麦屋さんに入り
日本酒ぬる燗を1升呑んで、ミニソースかつ丼&せいろ蕎麦セットを。満腹。
帰りの新幹線は6人掛けを確保出来て、そこでダイゴローさんと私は、ワンカップをちびちびやりながら帰って
きました。
全てが予定どおりに済み、快晴無風という良い天気にも恵まれ、全員が無事に戻れたことに感謝します。✝