飲み会嫌いの俺だが、飲み会の功罪の「功」について考える。
酒が入ることの後押しもあり、同僚、部下、上司、いろんな人と普段職場で交わさないような会話をする。
そんな様々な会話(大抵は取り留めもない、私的な内容)を通して、人となりが解ってくることは少なくない。
また、今後の会話のきっかけ、話題のネタを得ることができる。
そうした交流を通じて、その後の仕事が少しは円滑に進むこともある。
こういうことはよくある。いや、あった。
職場関係の飲み会に一定の「よいところ」があったことは俺も否定しない。
そんな、社会人生活およそ30年弱だった。
それが、かの忌まわしき新型コロナウイルス感染症禍!
このコロナウイルス感染症、当初は「新型の肺炎」みたいな報道をされていた事を覚えているカイ?アムロ。ふりむくな、アムロ。
正史を紐解くと、この2年間、飲み会という飲み会が完全に絶えた。危惧されず絶滅。
考えてみれば、飲み会があったなら、もっと周囲の人々と心理的に近しい関係を築けていたのかもしれない。
仕事だってもっとやり易くなっていただろう。
「他人行儀」さが薄らいでいたかも。
そこは認める。
認めるが、でもやはり。
飲み会のある世界線と、無い世界線。
どっちが好きかな、と問われれば、明らかに「飲み会の無い世」なんだよな。
これは間違いない。
たとえ、仕事が多少しにくくなったとしても。
酒に頼って仕事するなよ、とか言う高尚なイデオロギーなんかでは無く。
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