なんか最近クラシックの話を書いてない。
理由はただ一つ。
タイガース戦のおかげである。
ゆうべ仕事帰りの車の中で、
何とはなしにNHK-FMをつけてみた。
いきなり耳に飛び込んできたのは
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。
生誕100年だけあって、彼の曲を偶然耳にする機会が
やたら多いな今年は。
- 第1577回N響定期公演 -
「ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77」
ショスタコーヴィチ作曲
(バイオリン)ボリス・ベルキン
「交響曲 第10番 ホ短調 作品93」ショスタコーヴィチ作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)ウラディーミル・アシュケナージ
~NHKホールから中継~
作品77は、自分にとってなかなか取っ付きにくい感じがする曲。
最初に聴いたオイストラフ&ムラヴィンスキー盤(1956)の印象が強い。
録音状態の悪さもあるのかもしれないが、
オイストラフの奏でる音が腹の中に直接キリキリと食い込んでくる。
作曲背景などとはまた別の意味で、
非常に悲痛・苦痛・沈鬱な印象を持っていた。
だってホントに胃が痛くなるんだから。(耳も。)
そんなこんなで昨夜聴いた作品77は
もちろん曲の持つ本来の痛切感は残しながらも、
聴いてて叩きのめされることはない。
でもそれは「浅い」ということではなく、
例えば第三楽章のパッサカリアなんて
ショスタコ特有の奥深く沈み行く感が出ていたと勝手に思う。
ゲストの西村朗氏(作曲家)の言葉が印象的だった。
協奏曲の形はいろいろある。
ヴァイオリン、ピアノ、チェロなどなど…。
でも、ショスタコに限らず作曲家本人の姿が直接表現されるのが
ヴァイオリン協奏曲ではないか、と。
独奏楽器が作曲家で、オーケストラが周囲の環境。
自分と、周囲との対峙。
それは、ヴァイオリンという楽器が
人の肉声に近しい特性に関係しているのではないか、と言う。
なんか判る気がする。
この日のもう一つのプログラム、
交響曲第10番。
全部は聴けなかったが、
第二楽章は「快速」とは対極の演奏だった。
まもなくショスタコ生誕記念日。
なんかブーム?に便乗してるっぽいので自分でも嫌だが、
プロ野球シーズンも終わりに近いことだし、
もっともっと聴いてみヨット。
理由はただ一つ。
タイガース戦のおかげである。
ゆうべ仕事帰りの車の中で、
何とはなしにNHK-FMをつけてみた。
いきなり耳に飛び込んできたのは
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。
生誕100年だけあって、彼の曲を偶然耳にする機会が
やたら多いな今年は。
- 第1577回N響定期公演 -
「ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77」
ショスタコーヴィチ作曲
(バイオリン)ボリス・ベルキン
「交響曲 第10番 ホ短調 作品93」ショスタコーヴィチ作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)ウラディーミル・アシュケナージ
~NHKホールから中継~
作品77は、自分にとってなかなか取っ付きにくい感じがする曲。
最初に聴いたオイストラフ&ムラヴィンスキー盤(1956)の印象が強い。
録音状態の悪さもあるのかもしれないが、
オイストラフの奏でる音が腹の中に直接キリキリと食い込んでくる。
作曲背景などとはまた別の意味で、
非常に悲痛・苦痛・沈鬱な印象を持っていた。
だってホントに胃が痛くなるんだから。(耳も。)
そんなこんなで昨夜聴いた作品77は
もちろん曲の持つ本来の痛切感は残しながらも、
聴いてて叩きのめされることはない。
でもそれは「浅い」ということではなく、
例えば第三楽章のパッサカリアなんて
ショスタコ特有の奥深く沈み行く感が出ていたと勝手に思う。
ゲストの西村朗氏(作曲家)の言葉が印象的だった。
協奏曲の形はいろいろある。
ヴァイオリン、ピアノ、チェロなどなど…。
でも、ショスタコに限らず作曲家本人の姿が直接表現されるのが
ヴァイオリン協奏曲ではないか、と。
独奏楽器が作曲家で、オーケストラが周囲の環境。
自分と、周囲との対峙。
それは、ヴァイオリンという楽器が
人の肉声に近しい特性に関係しているのではないか、と言う。
なんか判る気がする。
この日のもう一つのプログラム、
交響曲第10番。
全部は聴けなかったが、
第二楽章は「快速」とは対極の演奏だった。
まもなくショスタコ生誕記念日。
なんかブーム?に便乗してるっぽいので自分でも嫌だが、
プロ野球シーズンも終わりに近いことだし、
もっともっと聴いてみヨット。