先日「ワーキングプアー」という現象についてTVで特集してた。
ワーキングプアー。
はたらけどはたらけど楽にならない人たち。
バイトしか職がなく、生活もままならない。
だけどステップアップするための機会もなく、
今の貧困から抜け出して行けない。
そして、その貧困家庭に育つ子どもたち。
ちいさいころから生活のためバイトをはじめなければいけなく、
そのために、色々なチャンスを逃してしまい、
結果、その子も貧困から抜け出せなくなってしまう。
なんだかすごい話だ。
うわあ、と思いながら見る。
識者とかいう人が「政府がなんとかしなければ」と言う。
でもその「なんとかしなければ」は
「教育を受けるチャンスを与える」と言うのだけど
それはいまいちぴんとこない。
ここで言われてる教育って、勉強のことを指してるニュアンスだった。
勉強を、つまり学歴をどうにかすることで、こういう問題って解決するのん?
学歴をつくるチャンスがあるかないかが
その後の生活を決めるっていうのは、なにか根本的に違う気がする。
なんかよくわからないけど、違うと思う。
親が経済的に豊かな家の子どもが高学歴だったり成功する率が高い、
というのは事実としてあると思うけど、
だからといって「学歴をつくれば貧困から抜け出せる」の?
チャンスがあったって学歴をつくれない人はどうなんの?
わたしを含め、学歴と関係ない世界に住んでる人たちが
まわりにうじゃうじゃいるせいかもしれない。
周りから見たらかなりの貧乏なのににこにこ暮らしてる人が
過去にうじゃうじゃいたからかもしれない。
(今ではみんな風呂付きのおうちに住んでる。
それがワーキングプアーとの決定的な差だ。)
10万円しか稼げなくて東京で普通に暮らすことって
「不可能!」とか思われるけど、やろうと思えば出来る。
(わたしもしてたし)
でも、それには多分いくつかの「知恵」が必要だ。
(アパートの選び方、自炊の仕方)
その知恵は友達から入手する類のものだ。
(「あそこの不動産屋は職業をとやかく言わないよ」とか)
そういう友達をつくるのはクソッタレな「お勉強」ではない。
あとはTVのいくつかのケースの中では
「人に甘えちゃうこと」で解決できる問題もたくさんあると思った。
甘え下手な自分としてはなかなか痛い話だけれども
甘え上手になる。これも勉強して出来るものではない。
とは言ってみるものの、なにかすっきりしない。
じゃあどうしたらいいの?って言ったら
よくわかんない、につきる。
考えれば考えるほど、色々な問題が出てきて、
頭がぼっぎゃーん!だ。
ぼっぎゃーん!になっちゃったので練習に行く事にする。
だけどあきらめずにちょこちょこと考えてみよう。
まとまってない話ですんません。
ワーキングプアー。
はたらけどはたらけど楽にならない人たち。
バイトしか職がなく、生活もままならない。
だけどステップアップするための機会もなく、
今の貧困から抜け出して行けない。
そして、その貧困家庭に育つ子どもたち。
ちいさいころから生活のためバイトをはじめなければいけなく、
そのために、色々なチャンスを逃してしまい、
結果、その子も貧困から抜け出せなくなってしまう。
なんだかすごい話だ。
うわあ、と思いながら見る。
識者とかいう人が「政府がなんとかしなければ」と言う。
でもその「なんとかしなければ」は
「教育を受けるチャンスを与える」と言うのだけど
それはいまいちぴんとこない。
ここで言われてる教育って、勉強のことを指してるニュアンスだった。
勉強を、つまり学歴をどうにかすることで、こういう問題って解決するのん?
学歴をつくるチャンスがあるかないかが
その後の生活を決めるっていうのは、なにか根本的に違う気がする。
なんかよくわからないけど、違うと思う。
親が経済的に豊かな家の子どもが高学歴だったり成功する率が高い、
というのは事実としてあると思うけど、
だからといって「学歴をつくれば貧困から抜け出せる」の?
チャンスがあったって学歴をつくれない人はどうなんの?
わたしを含め、学歴と関係ない世界に住んでる人たちが
まわりにうじゃうじゃいるせいかもしれない。
周りから見たらかなりの貧乏なのににこにこ暮らしてる人が
過去にうじゃうじゃいたからかもしれない。
(今ではみんな風呂付きのおうちに住んでる。
それがワーキングプアーとの決定的な差だ。)
10万円しか稼げなくて東京で普通に暮らすことって
「不可能!」とか思われるけど、やろうと思えば出来る。
(わたしもしてたし)
でも、それには多分いくつかの「知恵」が必要だ。
(アパートの選び方、自炊の仕方)
その知恵は友達から入手する類のものだ。
(「あそこの不動産屋は職業をとやかく言わないよ」とか)
そういう友達をつくるのはクソッタレな「お勉強」ではない。
あとはTVのいくつかのケースの中では
「人に甘えちゃうこと」で解決できる問題もたくさんあると思った。
甘え下手な自分としてはなかなか痛い話だけれども
甘え上手になる。これも勉強して出来るものではない。
とは言ってみるものの、なにかすっきりしない。
じゃあどうしたらいいの?って言ったら
よくわかんない、につきる。
考えれば考えるほど、色々な問題が出てきて、
頭がぼっぎゃーん!だ。
ぼっぎゃーん!になっちゃったので練習に行く事にする。
だけどあきらめずにちょこちょこと考えてみよう。
まとまってない話ですんません。
そして、いつも思うのは、「有識者」「見識者」と呼ばれる人たちの現実離れした、現場離れした感覚。
話はそれちゃうかもしれないけれど、
週末の番組で、「日曜討論」とか「サンデーモーニング」とかに政治家達がどやどや出て、ガオガオ言っているけど、彼らの発言は独りよがり・党よがり・自己主張だけなんだよね。緊迫感も、ひっ迫間も、現実感もない。そんな人たちがこの国を動かしていると思っているからマズイ。
どうしたらいいんだろう・・・
最近よく考える。
私もまとまらなくなってしまった・・・
もうすぐ自分も無職(今派遣)になるせいかもしれません。(月謝は確保してあります ^^;)
さて。有識者と言われる人々は「頭はいいけど言葉足らず」ですね。きっと、彼らがいいたい「教育」とは「生活無知から脱すること」なのだと思いました。
ま、連中はその方法論は知りませんね ^^;)
言うだけ言って「国、よろしく」でしたね。
えこ先生の言ってる「生活の知恵」ともいえます。
主婦雑誌とかでよく「節約」特集がありますが、あれもそのひとつかもしれません。
貧困…て、パニックです。「どうすればいいのー!」となってしまう。そしてその方法が見つからないまま貧困は繰り返されてしまう。
いままでの貧困層は心身に障害(疾病)、老いてる、など”働けない”ことが原因として多かった。
それに対し、働く意欲・必要・能力(教育)がある人も、貧困層となっている、ということです。
大学出てるけれど…という男性も確かワーキングプアーの例として出演していましたね。ワーキングプアーは学歴無を示すのではないのです。いやな言い方ですが「生きるための要領の良し悪し」で左右されている部分もあるように感じました。
生きる方法論=情報を得る手段。それが富裕層に傾いている。富裕層は情報網を駆使して利益を追求し、貧困層はその情報がなく、生きる希望さえ見えなくなってしまう…。
例)TVを観た私達は「こりゃいかん」と思ってこうしてトピ書きしてますが、TVもない(仕事で観られない含)ワーキングプアーは自分達が社会現象であることすら知らずに、今日も困っているのです。
でも、お皿の洗い方ひとつ知らないお金持ちがいたとして…ある日何かの拍子に貧乏になったら…その人は「生活無知者」なのであっという間に転落するのでしょうね。
そういうことなんだと思います。
さ、仕事探そ♪
コメントはたぶん編集もされてしまうし、言いたい事も伝わってないということもあるんだろうけど、なんかね~。無難にまとめてますって感じでね。しかし無難なこと言わないと多分使ってもらえないんですよね。そしてそれは無難なコメントを求めている視聴者がいるからかもしれない。むむむ。そうなのか?
政治家なんかは組織に属している以上、下手なことも言えないんでしょうね。やんちゃすると怒られちゃうだろうしね。。やっぱりこれもやんちゃなことを是としない国民がいるからかも。。。?
定本さん
「生活無知」ですか。それはありますよね。だけど情報って情報だけだと何の意味ももたない。貧困に陥らないようにするためには情報は有効かもしれないけれど、すでに貧困な状態に陥ってるときには情報だけではどうにもならないことがあると思うんですよね。
やはり人とのつながりがないと。「給料日までうちにいたら?」みたいなことがあるとないでは全然違う。住所不定のときに「履歴書の住所うちにしておきな。」って言ってくれる友達がいるかどうか。
でも人とのつながりって簡単に言っても、小さい頃から「良いつながり」を持ってないと、なかなかつながれないもんじゃないですか。変に親切な人は悪い人も多いし。
それが貧困家庭で親と断絶していて、学校でもバカにされて、、という環境にいたときに、人を見極めて頼ったり甘えたりって難しいんじゃないだろうか、と思うんですよ。
それって「国がなんとかしてあげれる」ような問題なのか、、、。情報さえあれば解決する問題なのか、、、。
なにかもっと大きなところが違ってるという感じがやはりします。
「裕福なことは幸せなことだ」という価値観とか、そういう、常識的なことに大きな落とし穴があると思うんですよ~。わかんないんですけど。
ワーキングプアーとして番組で紹介されていた様々な人々…、その共通項は「孤独」なのかもしれません。
父子家庭一家の紹介がありましたが、家族で助け合っていても、例えば「親類は助けてくれないの?前の同僚は?ご近所は?」という疑問が今なら湧くのです…。
その一家は…社会から孤立(取り残されて)してしまった為に、貧困の闇を暗中模索しているように思えます。
他の紹介例の人たちも、実家とのつながり、友人、頼れる人が現在いないですね…。
手を差し伸べなければならないのは、国や自治体ではなく、彼らの家族や友人、地域の人々なのですね。孤独な心が開かれるのは、時間もかかるし難しいでしょうけれど。
思えば、私も含め、今は貧困でない人々も「無知」なのかも。その無知ゆえに、貧困な人を見てもピンと来ない・配慮ができない…そして孤立に追いやってしまう…。
最大の不幸は「孤独(立)」なのですね。
そうですよね。「何かを根気よく続ける」という基本的なことも孤立しているとやりにくいと思うんですよね。だけど、わたしたちって「人の迷惑にならないようにしなさい」って教えられてきた。「迷惑」と「人に頼る」ことは違う事だけどその違いはすごく曖昧だ。頼り方とかもあるし。
じゃあどうしたらいいんだろう?昔ながらの過干渉なやりかたがいいのか?って思うとまたわかんなくなります。
人とのよい距離感のとりかた。むずかしいです。