前回は『心に響かない言葉』について書きました。
では、逆に『心に響く言葉』とは何でしょう?
「みんなが」「世間が」「常識では」「普通は」「子供は」「男は」「女は」「○○は」などの主語で話された言葉は話している本人が不在。
そして、代わりに使われる主語は顔の見えない、いるんだかいないんだかわからない「誰か」
そんな主語で話された言葉はどんなにすばらしい内容でも耳に入ってきません。
だから、心にも響かない。
何故か?
そんな所在のない誰かが言うことなんてリアリティがないからです。
現実味がない。
終電のホームでブツブツ言っている酔っ払いの独り言と変わらない、自分にとって関係のないこと、そう感じるから。
それよりも知りたいのは、目の前で自分に話をしている、その人本人の言葉。思い。意見。
だから、まずは話すとき、主語を必ず自分にすること。
これが鉄則
電車やレストランで騒ぐ子供を注意するとき
ほら、他の子はみんなお行儀良くしているんだから、あなたも静かにしなさい
ではなく、
お行儀良く静かにしてくれないと、お母さん○○ちゃんのこと嫌いになっちゃうよ
この一言で、充分。
だって、他の子がお行儀良くしているからって、自分もそうしないといけないなんて、意味がわからない。
でも、騒ぐことで、大好きなお母さんが自分のこと嫌いになってしまうなら、それは一大事
子供から見たらハルマゲドン襲来くらいの大ショック
それなら何が何でも、お行儀良くいい子にしていますよ
子供だってバカじゃない
なにもわからないわけじゃない
大人以上に感受性が豊かな分、好きな人に嫌われたくない。好きな人を悲しませたくない。
そんなもの
だから、
みんな宿題ちゃんとやっているのだから、あなたもちゃんとやりなさい
というより、
言われたことをきちんとできないと、お母さん悲しいよ
と言ったほうがよっぽど効果的。
でも、もっと効果的なのは、ネガティブな言葉を言うのではなく、ポジティブな言葉をかけること。
たとえば
○○ちゃん、お行儀良くしてくれてよかったわ~。お母さん大好き
とか
ちゃんとお勉強して偉いわね~。大好きよ
と、いわゆる、褒めて育てるというヤツ。
叱る時、注意するときは自分を主語にして
普段は非難すること、否定することは言わずに褒める。
○○じゃダメだろう
こういったダメだしを必要なとき意外はしない。
相手は子供に限らずに、会社で部下や後輩に対しても同じこと。
そして、抽象的な言葉は使わずに常に、具体的に明確に内容を話すこと。
たとえば
取引先からさっき電話があったぞ一体どうなっているんだ
ではなく
取引先から○○の事で電話があったけど、○○の現状は今どうなっているのか詳しく報告しなさい
と、ただ自分の感情を相手にぶつけるのではなく、相手にどのように行動して欲しいかを明確に伝える。
どうなっているんだ
という曖昧な問いには
はぁ。。。
なんて、曖昧な答えしか返ってきません。
具体的に、明確に、相手にどうして欲しいか?を伝えれば言われた方だって襟元正して答えます。
会議などでの提案も同じ
リサーチしてまとめた資料をもとに延々と『世間一般の』ニーズ(必要性)などを語って終始しても、その言葉は耳に入り難い。
確かに、主観の入らない客観的なデータは必要。
でも、顔の見えない人が何を必要としているのか?なんて話をずっと聞いていると人間て飽きるもの。
だから、客観的な意見やデータはデータとして、自分がこのことに関してどう思うのか?自分が何を根拠にこの提案をしているのか?
自分の意見を入れる。
それだけで、周りの食いつきは良くなります。
でも、自分の意見を入れることで、今度は言っ内容、その発言をした責任の所在が明らかになる。
だから、日本人はこういった場では自分の意見としての発言はせず、終始、第3者的なその他大勢の言い分を主張する。
責任の所在を明らかにしない、責任逃れ、逃げ道を用意する。
そういった姑息さは本能的に見破ります。
だから、そんな人の意見などシャットアウトしてしまう。
会話は自分の意見、気持ちを明確に、常に1対1のサシで
自分の発言にきちんと責任を持つ
責任逃れをしない
これが心に響く会話の基本