心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第412回】「満月と三日月」そして「神の愛と業カルマ」について、私が思った事。

2019-11-23 09:18:32 | 日記

ある人と話をして、自分がふと思ったことを、自分用の備忘録として書かせて頂きます。

【私がふと思った事】

三日月は満月ではない。

業カルマは愛ではない。

三日月も業カルマも本来は無いのだ。

実相の世界では存在しないのだ。

月に三日月という月が存在しないように、愛の世界に実相の世界に、業カルマは存在しない。

満月を三日月と認識してしまう私の心

神の愛を業カルマとして記憶してしまう私の心があるだけなのだ。

満月を三日月として認識してしまう私の心

神の愛を業カルマと認識してしまう私の心は、妄想であり、空想である。

だから私の心の中で三日月に見えているその月は、月そのものではない。

私の心に業カルマとして映っている出来事は、愛ではない。実相ではない。

どこまで行っても、私たちには三日月に見える月は三日月にしか見えず

業カルマにしか見えない出来事は、業カルマにしか見えないのだ。

だからこそ、「前提」をおくのだ。と佐藤学長は仰る。

三日月に見えるその三日月に「満月」という前提を置く。

業カルマにしか見えないその出来事に「完璧」「吉報」「これでよかった。」「神」「最高の人生」「神からのメッセージ」という前提を置く。

肉体をまとい、五感を与えられ、認識の世界で生きている私たちは、「前提」を置くしかないのだ。

だから「わかった。」はわかっていない。「わかっていない。」がわかっているのだ。

「わからない」から「前提」を置くしかない。

私には、「満月」は、月の実相は見えない。

だから「満月」を見ようとするのではない。

満月は、私には見えないのだ。

満月という「前提」を置くのだ。

その前提を置いたときに、満月に見えてくるのだ。

満月という前提を置いた瞬間から、月の形は無限に変化していく。

無限に触れた時、有限は無限に変化していく。

それが、佐藤学長の仰る「極地の認識」だと思う。

私には「満月」は見えない。実相は見えない。という前提に立つと極地の認識に至るのではないか。

極地の認識の世界にたったとき、物事が同時に、見えて、観えて、神えてくるのだ。

心の三層を同時に見て、観て、神て、この肉体をまとった人生を私は生きていく。

そのことそのものが、私が今世で生まれてきた目的を既に達成しているのだと思う。

私がふと思ったこと(笑)でした。

ありがとうございました。


【第411回】12年前の真我プロカウンセラー養成講座で思い出す「佐藤学長の言葉のオウム返し、心のオウム返し、真我のオウム返し」

2019-11-23 06:19:18 | 日記

前回のブログを書いていたら、また思い出したことがあった。

こちらが前回のブログです。

【第410回】目の表情だけで、私を幸せにした女の子~12年前に受講した真我プロカウンセラー養成講座を思い出す~

真我プロカウンセラー養成講座を受講している中で、

まず言葉のオウム返しの実習になった。これがみんな理屈はわかっていてもなかなかできない。

そして心のオウム返し、真我のオウム返しと進んでいく

佐藤学長の講話の後は、実習と質疑応答をひたすら繰り返していき実習中心でセミナーが進行していった。

そのセミナー中に私が質問した。

「どうも、心のオウム返しがうまくできません。どうしたらいいんでしょうか。

すかさず佐藤学長が

てつてつさんは、心のオウム返しができないと悩んでらっしゃるんですね。素晴らしいね。

真剣にこの講座に取り組んでらっしゃるんですね。

いよいよてつてつさんは、次のステージに入られたんですね。素晴らしい。

というように私の質問悩みに対して、即興で、真我プロカンを実演してくださった。

(注意:学長の言葉は、一言一句正確ではありません。)

この中に、私の質問の答えは全て入っていた。

一言一句正確には覚えていないけど、この時のわずか1~2分の質疑応答での佐藤学長の言葉が、そのまま私の記憶に刻印されて、私が、私なりに真我のプロカンをさせて頂くときの、心の背骨になっている気がしてならないのです。

そんなことを思い出しました。

ありがとうございました。


【第410回】目の表情だけで、私を幸せにした女の子~12年前に受講した真我プロカウンセラー養成講座を思い出す~

2019-11-23 06:15:01 | 日記

今の私の仕事は、小さな大学受験の予備校の生徒募集の仕事です。

生徒は、高校生です。

先日、少し感動したことがあった。

入会前に、うちの授業や個別指導の体験したいという女子生徒を案内した。

彼女は、体調を崩していたのか、マスクをしていた。

だから、鼻と口元はマスクで隠れているので、目しか見えない。

しかし、マスク越しの目の表情がとても素敵だった。

目の表情だけで、とても優しく暖かい心が伝わってくる。

その目の表情が、とても元気で、明朗快活で、とても可愛らしい。

その子の心根の優しさ、暖かさ、清楚な雰囲気が、目の表情だけで伝わってくる。

その子の目の表情を見ているだけで、私の方が、癒され、とても幸せな気持ちになってしまった。

これは凄いと思った。

その時、ふと、思い出しました。

これと似たようなことが、12年前に、私が初めて受講した「真我プロカウンセラー養成講座」であった。

当時、佐藤学長になれる講座ということで、初めて佐藤学長がその奥義を披露してくれた。

言葉のオウム返し、心のオウム返し、真我のオウム返し。

「カウンセラー」という名前の講座だったから、一般のカウンセリングとはもちろん全く違うけど、セミナーのほとんどは対面での言葉をつかったワーク実習だった。

しかし、最後に、こういう実習になった。

お互いが言葉を交わさず、目だけで見つめあい、愛のテレパシーを伝えあうというワークだ。

この時に、目だけを通しても、相手の心や、相手の愛が伝わってきて、お互いがとても幸せになるのを体感した。

(ちなみに、その時のペアワークの相手は、IGAのKさんだったことを覚えています。)

目の表情だけで、相手の愛を感じ取り、相手のことが大好きになってしまった。

人間の五感には、神を愛を感じ取れるセンサーがあるんだと、この実習を通して感じた。

そのことを、高校生の子に思い出させてもらった気がします。

ありがとうございました。