例会の実施に当たっては、原則的に公共交通機関の利用を会の方針としている。
バス利用を増やしてほしいとの声もあるが、特別な場合を除き原則を守っていきたい。
特別な場合とは、①公共交通機関がない②バス利用のほうが大幅に安価であるなど。
近く実施される碓氷峠行きはチャーターバス利用とした、1,500円近く安い。
前回は電車を利用。今回、バス利用としたのは、役員会で議題に上ったわけではないが、
バス利用を望む一部の声に引きずられた面があることは、否めない。
本日、ある会員から「電車であれば行きたかったが、バスなので不参加とした」との声。
目が覚める思いがした。要望の数で決める問題ではないと思っているが、
多少受け身になっていたのだろうか。そのための今回の「ぶれ」であったように思う。
会の方針を決めるに当たっては、上記の①、②以外にも、
③バス利用により、安楽な旅行を求める意識を強化し(あるいは植え付け)てしまうこと
④交通機関の多彩な利用のしかたを身につけるきっかけとしてほしいこと
⑤時に起こるバス事故の問題
⑥二酸化炭素削減への貢献などを想定している
会員の要望は聞いていかなければならないが、今回のような「ぶれ」は戒めていきたい。
昨晩、朋江はんに会いたかったから、「たそがれ清兵衛」を見ることにした。
長い映画なので、母が寝る時間には中断し、本日、後半を見た。
寝る時間になると母がため息をついているので、別の部屋に移し、一人で見た。
9時少し前に終わったので、母を寝かせる。
余韻に浸りながら母のおむつを替える。
ところで、私は、誰におむつを替えてもらうことになるのだろうか?
国の調査では、男の期待は外れる。「ざまを見ろ」という声が聞こえるようだ。
私は、淡々と、そのときを待つつもりだ。
NHKラジオでギネスブックへの登録に情熱を傾けている女性を紹介していた。
百何十台のグランドピアノを連続して弾いたとか、二百くらいの楽器をそろえて演奏したとか、
ご本人によれば、誰もやったことのないことをしたいらしい。これまでに8件登録済みとか。
そこでふと、5県ウォークはどうなのだろうと思った。ギネスへの登録は不可能と思うが、
日本で5つの県を1日で歩けるのは、古河近辺しかない。
これへの挑戦をしなくてどうする、という思いが沸々とわき上がってきた。
この女性、6月23日に数百人で、しりとりをしたいらしい。まだ、100人足りないという。
今日、明日、当日でも良いから申し込んでほしいと呼びかけていた。
場所は岐阜県?全くの手弁当での参加である。~細かい点は不確か!
可能であれば参加したいと思うが、今回は不可!
古河悠歩の会で、5県ウォークをやりたいと思った。今回は都合が悪く、来年以降になった。
この女性のように、スタッフを募り、実現する手立てはないか。
早めに準備すれば、できなくはない。
前々会長が計画したが、関心を持つ役員が少なく、これまで計画倒れだった。
勢いでやれば不可能ではないと思われる。
来年やれないだろうか?検討したい!
<今日の歩行~11㎞>
7月7日元気ウォークで使うコース図作成のための下見ウォーク。
コースは、ほぼ確定。
昨日、母の散歩のついでに駅ビルで買ってきた花豆を、朝飯前に圧力鍋で煮た。
分量は、豆250g、水380cc、砂糖大さじ5。甘味は感じるが甘すぎずというところ。
煮上がった頃、Nさんから梅が採れたが要るか、との電話。梅は扱ったことがなかった。
梅ジュースにしたらどうかと考え、いただくことにした。
午後、煮上がった豆をお師匠さんに届け、梅をいただいて帰った。2.1㎏ほどあった。
さてどうしようかと、WEBで調べる。
5リットル(梅1㎏用)の容器が2つあったので、ジュースと梅酒を作ることにした。
午後、夕飯の準備をいつから始めるか、逆算して6時30分とした。
例によって、困ったときの「厚揚げのピリ辛煮物」
イオンで、ピーマン、椎茸、ネギ、ほうれん草、豚肉、厚揚げ、氷砂糖、ホワイトリカー。
とりあえず、梅酒を作る。
梅ジュースは、梅を一晩冷凍し、繊維を破壊し使うと良いというので、
明日、作ることにした。梅の、処理は済ませてある。
梅のへた取りがけっこう面倒だった。
にんにく、ショウガ、豆板醤、中華スープの素(ウェイパー)、酒、塩、胡椒、醤油。
厚揚げの煮物は、酢を使うので、食べる直前に調理することに。
最後に、片栗粉、ごま油と酢を加えて仕上げると夕飯だ。
他に、朝煮た豆を添える。
朝の残りご飯は少なかったので、うどん主体の夕飯になった。
この中途半端な残りご飯はどうしようかな?
捨てちゃった方が楽なんだけどなぁ~
宅急便が届いた。ハンコを押しながら品名欄を見ると「わ(す)れもの」。
この時期忘れ物となれば、長崎に何か忘れてきたのかと心穏やかでない。
手に持ってみると、重い! …そんな忘れ物は思いつかない。
となると、父の日のお祝いを期待していた娘から何の音沙汰もなかったので、
父の日のお祝いを“忘れて”いたので、娘が「ごめん m(_ _)m」と、
気を利かせて、品名を「わすれもの」と書いて贈ってきたのかと深読みした。
コーヒーカップでも送ってきたかと、喜んだのもつかの間、
次に、送り主欄を見ると息子と嫁さんの名前?
何だ!息子と嫁さんが、コーヒーカップでも送ってきたのかな?と思った。
これには理由(わけ)がある。この嫁さん、そそっかしく、先日、我が家に来て、
買ったばかりのお気に入りの、対のコーヒーカップを細かくした前科がある。
この流れだと、
どうしてもお詫びの印に、父の日に合わせてコーヒーカップを送ってきたものと、
早とちりしても文句は言えまい。(`ヘ´) プンプン。
前置きが長くなったが、実は、
開封する前に、「わすれもの」ではなく「われもの」であることに気がついていた。
結果、中身は、父の日にあたり、(歳だから)元気でいてね!と
「レモンの蜂蜜漬け」の小瓶が2個入っていた、というお粗末。
久しぶりにはだしで歩こうに参加した。今回はだしで歩けたのは約3㎞。
昨年、一昨年と震災の影響で、海岸が傷んだため、県から自粛を求められ、
砂浜は歩けなかったとのこと。
JR東金線求名駅前が集合地点。駅前の広場にて出発式。
その様子から
主催者挨拶は当会でも使っているトランシーバーを使用
トランシーバーを持ったスタッフは参加者に向ける。
スタッフは参加者の間に適度に散らばるのがミソ
これで87人の参加者がどこにいても挨拶を聞くことができる。
小雨が降ってきたので、飯能新緑ツーデーマーチの記念品を着る
良い宣伝になるので、花桃でも配ったらどうだろうか
伊能忠敬は九十九里町で生まれ、佐原の伊能家の婿養子となった
伊能忠敬記念公園でトイレ休憩
今回参加の3人、後ろは生家跡に立つ忠敬さんの銅像
途中の田んぼで見た「アメリカタニシ」の卵
途中から快晴となり、快適に歩けた。千葉県協会の先頭スタッフ
硬くしまった砂なので歩きやすかった
ゴールの東金中央公園入り口にて県協スタッフとともに
本日は24㎞を歩いた。途中からひどく暑くなりけっこう疲れた。
今日は、2年前に買った日焼け止めクリームを初めて使った。
私は、いつもものを無駄にする。飯能でも使えば良かったが、
あとの祭り (^_^;)
山を目の前にして「山」。飴をもらって「ありがとう」。初対面で「お名前は?」
この程度のやりとりであれば、ほぼ(主観的には100%)通じる。
しかし、場面に頼れない状況下では、困難に直面することが、実はよくある。
今でも思い出すのは、ろう者との会話中、「名前」という手話が表現されたときのこと。
「名前」としか読み取れなかったが、名前と呼んでは意味がつかめなかった。
長いやりとりの末、「どんな言葉(名詞という意味)かな?」ということかな?と、
やっと了解できた(ような気がする)。
これは、長いやりとりを重ねた結果、やっとたどり着いたことであった。
しかし、通訳場面では話者の発言は流れていく。聞き返すことなどできないことが多い。
表現される手話を読み取る力が低い私は、単語レベルでの読み取りはできても、
会話としての手話は読みきれないことが多い、というのが正直なところである。
このように、一見簡単な言葉であっても、どのような文脈で使われているかによって、
たちまち理解不能に陥ることがあり得ることを了解できるかどうかというところに、
人間を理解することの難しさがある。
これは、異なる言語間(ここでは手話と日本語や外国語)で起こるばかりではない。
同一言語間でも、互いに了解が成り立っていない場面では、「ん?」ということがある。
他者と理解し合うことは、実は難しいのだということを了解する余裕を持った上で、
それでも生きていくからには理解し合おう、という姿勢が必要なのだと思う。
今回、「つくば国際ウオーキング大会」で、初めて派遣手話通訳者を配置した。
私の手話では不十分なので、何度も主張し、やっと実現した。
長々と書いたが、何が言いたかったのか、理解してもらえただろうか?
スポーツ大会の終了後、混乱が起きそうな状況下、警察官が機転を利かした対応をした。
この場合は、サッカー観戦の帰りに駅周辺を移動する群衆に対して語りかけ、功を奏した。
思い出すのは、昨年の7月、下のような状況のもと、この画像の右手に止められた車の上で、
今回のDJポリスばりに、マイクを片手に呼びかける警察官がいた。
なかなかソフトな対応であったが、サッカーのサポーターとは違い、
呼びかけに乗る雰囲気ではなかった。
どんな職域においても、工夫をして職務を全うしようとする人はいるものだと感心した。
「危機管理教育研究所」の国崎さんという人が夕方のラジオに出演していた。
昨年の出演の際も、大きな鞄を持参。本日も、旅行帰りのようにキャリーバッグ持参。
鞄の中には、いざという時のためにさまざまな防災用具が入っている。
作業をしながら聞いていたので、聞き漏らしが多いが、個人的な行動の際にも、
必要なものを常備しているという。
果たして私たち歩く会ではどうだろうか?年間15くらいの例会を実施しているが、
事故があった場合、どう対応するか。
原則的に、自己責任という言い訳は頭の片隅にあるが、いざとなればそうもいかない。
これまでにもできるだけ救急箱を用意し、熱中症、怪我への対応も考えてきた。
ただ、組織的な対応となっているかというと心許ない。
救急箱の中身は誰がどう管理し、所持するか?
会員や役員個々人の問題ではなく、組織としての危機管理の問題だろうと思う。
今朝、NHKラジオを聞いていると、宮尾登美子の名前がでてきた。芥川龍之介や、
小林多喜二とも交友のあった佐多稲子の対談でのこと。
宮尾登美子が古河で講演をしたとき、私が手話通訳をしたことで微かな関わりがあった。
あとの3人は、私とはまったく関わりがないが、その時代の古河の空気を吸っていた。
7月6日、「鷹見泉石が日本の近代化に果たした役割とは」と題して、講演がある。
主催の岩波ブックセンターに聴講を申し込んだ。
鷹見泉石は、江戸後期古河藩の有能な官吏?であった。雪の殿様土井利位を補佐した。
熊沢蕃山は、晩年古河藩に幽閉されたが、高い能力をかわれ、近隣諸藩に影響を与えた。
また、蕃山溜などに代表される治水事業で、古河近隣に恩恵をもたらしたことでも知られる。
蕃山溜は、7月7日の元気ウォークでも訪れるところ。
田中正造も、古河駅からたびたび東京に向かった。当時の古河町長が支援したという。
これらの偉大な人々が生きた古河市に私も住んでいることを思うと、かすかに興奮を覚える。