11月10日(日)〜11日(月)に広島県福山市・尾道市・竹原市・呉市で行われた「町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
7名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
鞆の浦は北前船などの“風待ちの港”であったことから、古来繁栄を極めた港町として常夜灯や雁木、古い町家など、船がもたらした情緒や文化を残しており、昔の港町の景観を感じることができました。
また、ここから瀬戸内の波静かな島々と潮の風景を見ながら、船旅で尾道に至りました。
尾道では千光寺公園に登り町並みを山下に見て、昭和の残るレトロな町並みを歩きました。
竹原はしっとりと落ち着いた町並で、中世の末頃から港を備えた集落として形造くられ、塩田を基に廻船業や酒造業と共に発展し、その経済力で現在の町並みが造られたそうで多くの物語が残る屋敷や由緒ある寺社があり、往時の雰囲気を伝えていました。
竹原から呉へ、軍港の町として往時をしのぶ「大和ミュージアム」で“戦艦大和”などを見学し、歓談の後、散会しました。
今回の旅では、日本の古い風情がまだ残されており、又、それが生活の中に生きていることに大きな感慨を受けた探訪ではありました。
7名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
鞆の浦は北前船などの“風待ちの港”であったことから、古来繁栄を極めた港町として常夜灯や雁木、古い町家など、船がもたらした情緒や文化を残しており、昔の港町の景観を感じることができました。
また、ここから瀬戸内の波静かな島々と潮の風景を見ながら、船旅で尾道に至りました。
尾道では千光寺公園に登り町並みを山下に見て、昭和の残るレトロな町並みを歩きました。
竹原はしっとりと落ち着いた町並で、中世の末頃から港を備えた集落として形造くられ、塩田を基に廻船業や酒造業と共に発展し、その経済力で現在の町並みが造られたそうで多くの物語が残る屋敷や由緒ある寺社があり、往時の雰囲気を伝えていました。
竹原から呉へ、軍港の町として往時をしのぶ「大和ミュージアム」で“戦艦大和”などを見学し、歓談の後、散会しました。
今回の旅では、日本の古い風情がまだ残されており、又、それが生活の中に生きていることに大きな感慨を受けた探訪ではありました。