kagawa404's さんの日記を読ませて頂いた中に、芥川龍之介の羅生門の事がかかれていました。
これについて私なりに考えてみました。
羅生門で下人が老婆の身ぐるみを剥ぎ取ってしまう行為について、老婆は自分が飢え死にせずに生きて行くために死人の髪の毛を抜いて鬘にすると言う、その行為が是か否かは、人間的に赦されるものでは無いことは分かる。
が老婆が今出来て、糧を得るためには今はそれしかない。
一方主人から暇を出された下人は、老婆の行為が許されるのなら、老婆の身ぐるみを剥ぎ取って売り飛ばし、糧を得ても許されると思い、すがり付く老婆を蹴飛ばし身包みを剥ぎ取って去っていく。
これをそのまま派遣を切られた人々に当てはめるなら、実際に起きた無銭飲食や刃物を振りかざした人達は許されるものである。
ではこれ等の人が、仕事を切った人が悪い、だから俺達は自分が生きるために、このような事件を起こしたと主張しても罪は罪である。
勿論情状酌量の余地は有りますが。
しかしこれ等は正義に反する行為や犯罪は、あくまでも個人に対する罪や行為として裁かれるべきものであり、周りに介在する人たちとの因果関係は考えるべきではない。
今年始まる裁判員制度にも、この羅生門の命題は難関として立ちはだかっている。裁判員が情に棹をさせば流され、この制度は崩壊する。
智に働けば、裁判員は一生重荷を背負う事にも成りかねない。
これについて私なりに考えてみました。
羅生門で下人が老婆の身ぐるみを剥ぎ取ってしまう行為について、老婆は自分が飢え死にせずに生きて行くために死人の髪の毛を抜いて鬘にすると言う、その行為が是か否かは、人間的に赦されるものでは無いことは分かる。
が老婆が今出来て、糧を得るためには今はそれしかない。
一方主人から暇を出された下人は、老婆の行為が許されるのなら、老婆の身ぐるみを剥ぎ取って売り飛ばし、糧を得ても許されると思い、すがり付く老婆を蹴飛ばし身包みを剥ぎ取って去っていく。
これをそのまま派遣を切られた人々に当てはめるなら、実際に起きた無銭飲食や刃物を振りかざした人達は許されるものである。
ではこれ等の人が、仕事を切った人が悪い、だから俺達は自分が生きるために、このような事件を起こしたと主張しても罪は罪である。
勿論情状酌量の余地は有りますが。
しかしこれ等は正義に反する行為や犯罪は、あくまでも個人に対する罪や行為として裁かれるべきものであり、周りに介在する人たちとの因果関係は考えるべきではない。
今年始まる裁判員制度にも、この羅生門の命題は難関として立ちはだかっている。裁判員が情に棹をさせば流され、この制度は崩壊する。
智に働けば、裁判員は一生重荷を背負う事にも成りかねない。