お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

松平氏館

2013-01-23 20:18:19 | 愛知県
 松平氏館

2013/1/12

愛知県豊田市 徳川氏発祥の地、松平郷のお城めぐり

 徳川家の祖、松平太郎左衛門家の居館 松平東照宮

≪ お城の概要 ≫

城名: 松平氏館
よみ: マツダイラシ
別称: 松平城
所在地: 愛知県豊田市松平町赤原
現状: 松平東照宮(松平神社)・高月院
築城年代: 公安年間(1578-88)
築城者: 在原信盛
形式: 平城
遺構: 石垣・水堀・井戸
規模: 50m×50m
文化財: 国指定史跡「松平氏遺跡」
訪城日: 2013/1/12


≪ 訪城記 ≫

松平城から松平氏館(松平東照宮)に向かう。
国道301号松平郷案内板のある三叉路を案内どおり左折、約500m北上すると松平東照宮があり、松平郷亭の手前に無料駐車場がある。

松平東照宮は方形の石垣と水堀があり、堀の水鏡に木々が映えます。季節的に冬なのでもう一つですが、春や秋にはもっと綺麗になると思います。
この東照宮は、松平家の氏神として祀られていて、元和五年(1619)に久能山東照宮より徳川家康公の御分霊を合祀しているそうです。
入口鳥居の左側には松平氏館の碑が建ち、奥に進むと松平東照宮が祀られていて、その右側には無料の松平郷館があり、松平家の系図や甲冑・槍等を見ることができます。
さらに奥には、松平家・家康公産湯の井戸があり、他にもいくつかの井戸があります。
松平東照宮を出て大きな案内板のある三叉路を左に行くと、初代松平太郎左衛門親氏の立像があり、その奥の山へ登ると、松平太郎左衛門家の墓所がある。
先ほどの大きな案内板のある三叉路をまっすぐ登っていくと松平家の菩提寺高月院があります。この道の途中右側に天下茶屋があり、名物の「天下もち」が食べられます。

わたしはちょっと覗いただけでした。こんど来たときには絶対食べるぞ。

駐車場の場所は桜馬場の跡だそうです。


≪ 歴 史 ≫

応永年間 (1394-1428) 上野国新田郡世良田荘得河郷から徳阿弥という僧が松平郷に来て、松平太郎左衛門信重の婿となり、親氏を名乗り松平家が始まったとされる。信重の父、在原信盛によって構えられた居館が松平氏館の始まりとされる。

≪ 写 真 ≫


石垣と水堀


松平東照宮入口


松平氏館趾碑


松平郷館


松平東照宮


松平家・家康公産湯の井戸


高月院


高月院にある初代親氏、二代泰親、四代親忠夫人の墓


初代松平太郎左衛門親氏像


松平太郎左衛門家の墓所

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄豊田市駅からとよたおいでんバス大沼線松平郷バス停下車、徒歩約15分。
<車>
東海環状道豊田松平ICを降りて国道301号を東進、巴川に架かる橋を越えた地点の松平橋東の三叉路を右折、そのまま国道301号を川に沿って南下、九久平町簗場の三叉路を斜めに左折、川沿いの国道301号を東進、約5kmで松平郷入口に着く。「松平氏発祥の地」と書かれた道路標識や「松平郷」と書かれた看板があるので分かりやすい。この看板のある三叉路を案内どおり左折、約500m北上すると松平東照宮があり、松平郷亭の手前に無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

松平氏館(松平東照宮)


紹介したお城の数 15城



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松平城

2013-01-22 20:58:17 | 愛知県
 松平城

2013/1/12

愛知県豊田市 徳川氏発祥の地、松平郷のお城めぐり

 徳川家の祖、松平太郎左衛門家の持城

≪ お城の概要 ≫

城名: 松平城
よみ: マツダイラ
別称: 郷敷城
所在地: 愛知県豊田市松平町字三斗蒔
現状: 山
築城年代: 応永年間
築城者: 松平親氏
形式: 山城
遺構: 本丸・曲輪2・曲輪3・曲輪4・櫓台跡・井戸跡・横堀・堀切
規模: 標高300m
文化財: 国指定史跡「松平氏遺跡」
訪城日: 2013/1/12


≪ 訪城記 ≫

大給城から松平城へ向かう。
大給城の駐車場から大内町に入口から国道301号を東に約3.3kmで松平郷の入口に着く。「松平氏発祥の地」と書かれた道路標識や「松平郷」と書かれた看板があるので分かりやすい。この看板のある三叉路を越えたところに「松平郷駐車場」の案内板がある左側が駐車場です。

この駐車場の北側にあるトイレの北側に「松平城址」の案内板があり、案内板の示す山へ向かう道を約3分歩くと、道の右側に松平城の説明板と国指定史跡「松平氏遺跡」の石碑があり、その脇に登城口がある。
整備されている登山道を進むと曲輪3・4への分かれ道がある。そのまま進むとすぐ曲輪3との分かれ道があり、そのまま進むと曲輪2に着く。
尾根道のように狭い曲輪2を通り過ぎ、一段登ると主郭である本丸にたどり着く。
本丸には説明板と南東側にある岩の上に松平城址碑が建てられているのみで、削平された台状地があるだけです。
主郭を後にして曲輪3へ向かう。曲輪3も尾根上を利用した狭い空間です。
さらに一段下へ進むと右手に古い神社があり、右に曲輪4、左に井戸跡の案内板がある。先に曲輪4へ、すぐに尾根の先端になり、先端の広場に壊れた社殿があり、その横の木に櫓台の看板が張ってある。
そこから逆方向の井戸跡へ向かう。山裾を切り開いたような畝道を過ぎ、案内板に従い左の山裾道を登っていくと井戸跡の石碑と丸型の井戸が残っている。
井戸から下へ道なき山道を東へ行くと堀切に出る。堀切の底を登っていくと横堀に出られる。
この横堀は、本丸の下に位置していてる。
横堀から北へ山裾道をぐるっと回ると最初の曲輪3・4の分かれ道へ出る。そこら下山しました。


≪ 歴 史 ≫

応永年間 松平親氏が築き、普段は館にいて、夜間は松平城に籠ったといわれ、以後松平郷松平氏の居城となる。
天正十八年 (1590) 三河に入封する田中吉政の時に廃城になったと言われる。


≪ 写 真 ≫


松平郷入口付近


松平郷駐車場


駐車場北側の道の案内板


登城口


登山道


曲輪2


本丸(主郭)


松平城址碑


曲輪3


古い神社


曲輪4


曲輪4の櫓台跡


井戸跡


本丸下の堀切


本丸下の横堀


現地縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄豊田市駅からとよたおいでんバス大沼線松平郷バス停下車、徒歩約15分。
<車>
東海環状道豊田松平ICを降りて国道301号を東進、巴川に架かる橋を越えた地点の松平橋東の三叉路を右折、そのまま国道301号を川に沿って南下、九久平町簗場の三叉路を斜めに左折、川沿いの国道301号を東進、約5kmで松平郷入口に着く。「松平氏発祥の地」と書かれた道路標識や「松平郷」と書かれた看板があるので分かりやすい。この看板のある三叉路を越えたところに「松平郷駐車場」の案内板がある左側が駐車場です。


≪ 位置図 ≫

松平郷入口


登城口


松平城


紹介したお城の数 14城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
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大給城

2013-01-21 20:16:15 | 愛知県
 大給城

2013/1/12

愛知県豊田市徳川氏発祥の地、松平郷のお城めぐり

 松平一族 大給松平氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大給城
よみ: オギュウ
別称:
所在地: 愛知県豊田市大内町字城下
現状: 大給城址公園
築城年代: 天文年間(1532-55)
築城者: 長坂新左衛門・松平乗元
形式: 山城
遺構: 本丸・水の手曲輪・館跡・石塁・櫓台・虎口・土塁・堀切・竪堀
規模: 標高207m、比高120m
文化財: 国指定史跡「松平氏遺跡」
訪城日: 2013/1/12


≪ 訪城記 ≫

東海環状道豊田松平ICを降りて国道301号を東進、巴川に架かる橋を越えた地点の松平橋東の三叉路を右折、そのまま国道301号を川に沿って南下、九久平町簗場の三叉路を斜めに左折、川沿いの国道301号を東進、約1.6kmで大内町の集落への入口に着く、その入り口交差点右側に「大給城址公園・松平乗元の墓」と書かれた案内板があり、この案内板を左折し、山へ入っていく、約500m登ると道の右側に車が5~6台止められる駐車場がある。ここに駐車する。

駐車場から徒歩で城跡へ
しばらく道なりに歩くと大給城址と書かれた案内板があり、ここが登城口です。
登城道をしばらく登ると、またも大給城址の案内板があり、左に行くと大給城、右に行くとすぐに松平乗元の墓があります。
左に約5分行くと道の右側に説明板があり、左側に大きな岩が転がる堀切を見られます。
まっすぐに行くと虎口があり、左上に櫓台跡、さらにもう一つ虎口を抜けると本丸下の曲輪に出ます。この曲輪の土塁は左側が本丸へ、右側は水の手へ降りる付近まで続いています。
右手下側に尾根に挟まれた水の手曲輪はまるでダム工事でもしたかのような石塁の土留めが二段になっていて凄いです。ところどころに水溜のような穴が開いていたり、石塁で区画された井戸のような穴もあります。さらに二段目の下へ降りると竪堀跡や左側の尾根の先の大きな堀切を見られますが、足元が滑りやすいので注意が必要です。
右側に尾根には竪堀が見られ、左側の尾根には石塁が土塁の代わりをしている場所もあります。左尾根を越えると本丸からの竪堀が1本見られます。
虎口から入った曲輪まで戻り、本丸の切岸下の西へ進むと本丸への虎口があり、登りながら入ると石塁で真ん中が区画されていて、東の本丸には東奥に土塁跡があり、一段低い西の本丸には大給城址碑と説明板があり、大きな石がたくさんあります。西の本丸の一段下の帯曲輪には物見石があり、ここからの展望はすばらしいです。
本丸南側に降りていくと、ここにも帯曲輪群があり、一番下の梅林が館跡です。
全体的に岩がたくさんあり天然の土塁を形成していて、さらに見やすく良く整備されています。

登城したときは、城跡を見に来たのはわたし一人で、大勢の方がロッククライミングの練習に来られていました。


≪ 歴 史 ≫

天文年間 (1532-55) 初め長坂新左衛門の居城でしたが、松平信光が奪取して次男の乗元に与え、乗元が大給松平氏の祖となる。
天正十八年 (1590) 大給松平氏は徳川家康の関東移封に従い、廃城となる。


≪ 写 真 ≫


大給城への登り口


登城口


松平乗元の墓


お城への入口付近


お城への入口付近の堀切


一つ目の虎口


二つ目の虎口


本丸東の土塁跡


一段低い西の本丸


大給城址碑


物見岩と遠望


館跡の梅畑


本丸を東西に区画する石塁


水の手曲輪東側尾根の竪堀


水の手曲輪


水の手曲輪西側尾根の堀切


水の手曲輪西側尾根の土塁替わりの石塁


水の手曲輪のダム状の石塁 1


水の手曲輪のダム状の石塁 2


現地縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄豊田駅から、とよたおいでんバス大沼線で大内バス停下車、徒歩約40分。
<車>
東海環状道豊田松平ICを降りて国道301号を東進、巴川に架かる橋を越えた地点の松平橋東の三叉路を右折、そのまま国道301号を川に沿って南下、九久平町簗場の三叉路を斜めに左折、川沿いの国道301号を東進、約1.6kmで大内町の集落への入口に着く、その入り口交差点右側に「大給城址公園・松平乗元の墓」と書かれた案内板があり、この案内板を左折し、山へ入っていく、約500m登ると道の右側に車が5~6台止められる駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

大給城への入口


登城口


大給城


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愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版

長浜城

2013-01-20 19:27:12 | 滋賀県
 長浜城

2013/1/12

地元 滋賀県長浜市のお城めぐり

 太閤秀吉 最初の持城

≪ お城の概要 ≫

城名: 長浜城
よみ: ナガハマ
別称: 今浜城
所在地: 滋賀県長浜市公園町10-10
現状: 豊公園・長浜城歴史博物館
築城年代: 建武三年(延元元、1336)
築城者: 佐々木高氏
形式: 水城
遺構: 復興天守・本丸跡・石垣跡・井戸跡・移築門
規模: 250m×250m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2010/4/6・2012/9/2・2013/1/12


≪ 訪城記 ≫

2013/1/12の徳川家康の故郷、愛知県松平郷のお城めぐりの前に朝早く陽が昇る前にわたしの地元のお城である長浜城を訪れた。

豊公園の駐車場に車を止めて、噴水広場を通り抜けて、復興天守である長浜城歴史博物館へ
長浜城歴史博物館は県道331号、通称湖岸道路が長浜駅を過ぎたあたりから大きく左折して琵琶湖を望む付近で道路からその白い復興天守閣の雄姿を見ることができる。
長浜城歴史博物館の前には長浜城址碑と説明板がある。
長浜城歴史博物館の西側(琵琶湖側)には、少し高くなった場所があり、そこが天守閣跡で長浜城天守閣跡の碑、説明の書かれた銘盤や豊臣秀吉の立像があり、さらに琵琶湖の水際には太閤井という井戸跡がある。太閤井から水際沿いに南へ少し行くと浜が無くなって道がになるあたりに昭和44年の発掘調査で発見された石垣跡の碑がある。
また、市内には堀跡等の碑が多く建てられている。探し歩いてみるもいいかも
長浜大通寺には移築された台所門がある。さらに大手門や天守が彦根城に移築されたようです。


長浜城歴史博物館の情報は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

建武三年 (1336) 佐々木高氏(京極道誉)が今浜城を築き、今浜氏が守備をした。
明応八年 (1499) 京極高清が上坂氏の助けで今浜に入城する。
文亀元年 (1501) 高清に抗する京極材宗らが今浜城を攻める。
天正三年 (1575) 浅井氏が滅んだあと、羽柴秀吉が北近江三郡の地を織田信長から与えられ、今浜城に入城し信長の一字をもらい長浜城と改名する。
天正十年 (1582) 本能寺の変後の清洲会議で秀吉に代わり柴田勝家の甥柴田勝豊が城主となる。
冬には秀吉が長浜城を攻めて勝豊は降伏。
天正十三年 (1585) 山内一豊が城主となる。
慶長十一年 (1606) 徳川家康の異母弟にあたる内藤信成が城主となり、天下普請で改修され、その子信正が跡を継ぐ。
元和元年 (1615) 廃城となり、彦根城築城に建物や石垣が使われる。
昭和五十八年 (1983) 復興天守が建てらる。


≪ 写 真 ≫


長浜城本丸跡の碑


長浜城址碑と説明板


長浜城復興天守(長浜城歴史博物館)


朝焼けの長浜城


長浜城天守閣跡


太閤豊臣秀吉立像


太閤井戸


長浜城石垣出土地


湖岸道路付近から見た長浜城

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線長浜駅から琵琶湖側に徒歩約5分。
<車>
北陸自動車道長浜ICを降りて、県道37号を西進して、JR北陸本線のガード下を潜り、約3.2kmで祇園町交差点を左折、約1km直進した公園町信号で長浜城が目に入ってくる。
豊公園駐車場へは、公園町信号を左折、道なりに豊公園を右側に見て約600m南下、港町交差点を右折して長浜港側へ道なりに200mで無料駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

長浜城歴史博物館


駐車場


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近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
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鷺山城

2013-01-19 19:35:25 | 岐阜県
 鷺山城

2012/12/12

岐阜県岐阜市 美濃市のお城めぐりの帰りに寄ったお城

 美濃のマムシ 斎藤道三 最後の隠居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 鷺山城
よみ: サギヤマ
別称:
所在地: 岐阜県岐阜市鷺山
現状: 鷺山公園
築城年代: 文治年間(1185-90)
築城者: 佐竹常陸介秀義
形式: 山城
遺構: 本丸・竪堀
規模: 標高86m、比高54m
文化財:
訪城日: 2012/12/12


≪ 訪城記 ≫

鉈尾山城を訪城後、時間あったので斎藤道三の最後の隠居城鷺山城へ向かう。
美濃市運動公園を出て国道156号を南下し、泉町交差点を右折、そのまま国道156号を南下、東海北陸道の下を抜け、東海環状道の下も抜けて、下有知椙ヶ洞の三叉路を156号のまま道なりに右折、もう一度東海北陸道の下を抜け西進、道なりに次第に南下して、日南南6三叉路を右折、すぐに左折して、国道156号岐阜東バイパスを西進、日野南1三叉路を右折、県道77号を北上、井ノ口トンネル、長良川に架かる鵜飼い大橋を通り、岐阜城を左手に見ながら、長良公園横を通り、大きく左に曲がり、77号岐阜環状線を西進する。ホームセンターバローが左手にある、鷺山新町北交差点を左折、約200m先の突き当たりを左折し、約60mで右折、約50mで鷺山新町南の交差点をまっすぐ進み、すぐに道なりに左折、約150mで左手に鷺山小学校がある。その前に鷺山公民館があり、道の右手の山が鷺山城のある鷺山で、公民館前の道の反対側に公民館の駐車場がある。
公民館の駐車場に車を止めさせてもらう。

駐車場から少し西の道沿いの一段高いところに説明板があり、その前に階段があり、階段を登り、説明板を左に見ると土留め壁の間に階段がある。
ここが登城口で、急な階段を登り、登山道をしばらく登ると古い神社の社跡があり、そのまま進むと山頂の案内板がある。案内板のある階段を登った所が本丸で、台状地の真ん中付近に鷺山城址碑がある。
その一段下にも削平地があり、そこのあづま屋の前にも説明板がります。
先ほどの古い神社の北側にはベロ状に伸びた削平地があり、その先に櫓台があったであろうと思われます。
古い神社から西へ降りる石段を少し降りると左側の本丸下になる杉林の中に複数の竪堀跡が見られます。遺構らしい遺構は、この竪堀ぐらいです。
そのまま道を降りていくと、麓の心洞寺に出ます。こちらの登城口にも説明板があります。


≪ 歴 史 ≫

文治年間 (1185-90) 佐竹常陸介秀義が美濃国山田郷に地頭職を与えられ鷺山に居住した。
戦国期 土岐頼芸が居城とする。
大永七年 (1527) 頼芸は臣の西村勘九郎に勧められ革手城の兄頼政を攻め越前に追放する。
天文十七年 斎藤道三は稲葉山城を子の義龍に譲り、この鷺山城に隠居する。
弘治二年 (1556) 長良川合戦で道三が子の義龍に敗れ討死し、その後鷺山城は廃城となった。


≪ 写 真 ≫


登城口


土留め壁の間の階段


本丸前の古い神社


本丸登り口


本丸


鷺山城址碑


古い神社北側のベロ状の削平地


本丸下の竪堀


心洞寺側の登城口

≪ アクセス ≫

<車>
東海北陸道岐阜各務原ICを降りて国道21号岐大バイパスを西進し、薮田交差点を右折、県道77号岐阜環状線を北上し、鏡島大橋を渡り、正木土居交差点を右折、県道78号を東進、鷺山新町南交差点を右折、すぐに道なりに左折、約150mで左手に鷺山小学校がある。その前に鷺山公民館があり、道の右手の山が鷺山城のある鷺山で、公民館前の道の反対側に公民館の駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

登城口


鷺山城


紹介したお城の数 11城



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大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社