お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

鉈尾山城

2013-01-18 20:28:56 | 岐阜県
 鉈尾山城

2012/12/12

岐阜県美濃市のお城めぐり

 佐藤氏三代のお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 鉈尾山城
よみ: ナタオサン
別称: 藤城山七尾城・上有知城
所在地: 岐阜県美濃市保木脇
現状: 山
築城年代: 十六世紀
築城者: 佐藤氏
形式: 山城
遺構: 本丸・虎口・三の曲輪・石塁
規模: 18m×36m、標高437m、比高257m
文化財:
訪城日: 2012/12/12


≪ 訪城記 ≫

小倉山城から鉈尾山城へ向かう。
小倉山城前駐車場から南へ走ると殿町交差点を左折、国道156号を約200mで泉町交差点を左折、約800m北上し、曽代の交差点を右折、すぐのトンネルを過ぎた十字路を左折すると美濃市運動公園に着く。この道の突き当たり付近の美濃市体育館前駐車場に駐車する。

鉈尾山城の登城口は、体育館右手の競技場の東側を迂回する歩道を進むと、弓道場があり、その弓道場の裏手に「頂上まで1,700m」と→された小さな案内板があるので、案内板に従って弓道場敷地と杉の木の間を恐る恐る入っていくと、道が開けて、その先に「やすらぎの森案内板」がある。ここが登城口です。
しばらく進むと沢があり、沢に架かる階段を通ると左右に通る大き目の道とまっすぐ進む小さめの登山道の十字路に出る。山頂まで1.3km40分の案内板の示すまっすぐの登山道を進む。
雪の残る山道をひたすら進んでいくと途中に休憩所がある。ここから小倉山城跡が良く見え雪の残る景色は最高です。
ここから山頂までひらすら雪道を登ること約50分、山頂手前には削平地らしき曲輪跡があり、ここが虎口のようで、そこを一段登ると本丸です。
本丸はかなり広い台状地で降口側にあづま屋があり、その左側に説明板、右側に城址碑が建っていて、木の切れ間からの小倉山城方面の雪景色は、またも絶景です。
帰りは来た道の反対側から降りました。
本丸のすぐ下が三の曲輪で看板が建っているのみで、曲輪らしい削平はありません。その下に石塁があり、崖の方まで残っていて感動です。
後は何もなく、ひたすら降りていくと登ってきたときの沢の十字路に出ます。そこから弓道場まで裏の登城口まで帰りました。


≪ 歴 史 ≫

佐藤三河守通信の子修理大夫宗信が応仁の乱の戦功で武儀郡を得て鉈尾山に築城した。または天文九年(1540)、佐藤六左衛門尉清信が築城した等、諸説ある。
元亀元年 (1570) 鉈尾山城城主佐藤清信の子方秀は金森長近の姉を娶る。
本能寺の変後、方秀は長近とともに豊臣秀吉に従う。
天正十三年 (1585) 飛騨の三木氏を討つ。
文禄三年七月 (1594) 方秀が没する。
慶長五年八月 (1600) 方秀の子方政は関ヶ原合戦で岐阜城城主織田秀信に従い西軍に加わり、岐阜城の攻防戦で敗れる。
関ヶ原合戦後、金森長近が戦功により上有知領を与えられ、小倉山城を築き、鉈尾山城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


鉈尾山城全景


登城口


遊歩道途中


途中の休憩所から小倉山城方面


本丸手前の虎口


本丸


鉈尾山城址碑


本丸から小倉山城方面


三の曲輪


石塁


現地縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
長良川鉄道美濃市駅からバスで道の駅美濃にわか茶屋下車、徒歩15分。長良川鉄道梅山駅から徒歩30分。
<車>
東海北陸道美濃ICを降り、インター出口を右折、県道94号を東進、約400m行った下松森交差線を左折して、国道156号を北上、美濃市役所を通り過ぎ泉町交差点を左折、約800m北上し、曽代の交差点を右折、すぐのトンネルを過ぎた十字路を左折すると美濃市運動公園に着く。この道の突き当たり付近の美濃市体育館前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

美濃市運動公園


登城口


鉈尾山城


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小倉山城

2013-01-16 22:16:15 | 岐阜県
 小倉山城

2012/12/12

岐阜県美濃市のお城めぐり

 頂上にお城風の展望台のある城跡、金森長近の隠居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小倉山城
よみ: オグラヤマ
別称: 小倉居館
所在地: 岐阜県美濃市小倉公園
現状: 小倉公園
築城年代: 慶長十年(1605)
築城者: 金森長近
形式: 山城
遺構: 頂上展望台・隅櫓・大手門跡・本丸・石垣・曲輪・竪堀
規模: 144m×72m、標高160m、比高60m小倉山
文化財:
訪城日: 2012/12/12


≪ 訪城記 ≫

国道156号沿いの美濃市役所を左手に見ながら北上し、殿町交差点を左折、150m程で美濃市図書館に着く、その東側に駐車場がある。そこに駐車する。

いきなり駐車場北側に隅櫓と石垣が目に入る。さっそく図書館と隅櫓の間の大手門跡の石段を登る。石段を登った右手側の隅櫓前は広場になっていて、ここが居館跡かなと思うが、何の説明板もないのでわからない。広場側から隅櫓を見ると、またびっくり隅櫓正面には大きなシャッターが付いてるではないか。駐車場側から隅櫓を見ると良かったのですが、気を取り直して山頂へ向かって整備されたハイキング道をジグザグに30分ほど登ると頂上にお城風に見せた展望台があり、二階展望台から長良川の雄大な景色と東の山に鉈尾山城がある古城山が見られる。
見どころは、大手門跡と門跡に連なる石垣です。
また、わたしは散策しなかったのですが、城下町のうだつの町並みを見ると良いでしょう。


≪ 歴 史 ≫

慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦の戦功で飛騨高山城城主金森長近が美濃国上有知・関を加封される。
慶長十年 (1605) 金森長近は高山城を養子可重に渡し、小倉山の麓に居館を構え、小倉居館と称し、城下町を整備した。
慶長十二年八月 (1607) 長近が没し、可重が家督を継ぎ、長近の実子五郎八長光が上有知二万石を分知される。
慶長十六年十月 (1611) 長光がわずか六歳で没し、無嗣除封となり城は廃棄された


≪ 写 真 ≫


小倉山城址碑


隅櫓


大手門跡


隅櫓前広場


お城風の頂上展望台


展望台からの景色1


展望台からの景色2


駐車場北側の石垣

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
長良川鉄道美濃市駅からバスで美濃小倉公園前下車、徒歩1分。長良川鉄道梅山駅から徒歩15分。
<車>
東海北陸道美濃ICを降り、インター出口を右折、県道94号を東進、約400m行った下松森交差線を左折して、国道156号を北上、美濃市役所を通り過ぎ殿町交差点を左折、150m程で美濃市図書館に着く、その東側に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

小倉山城本丸跡


頂上展望台


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明智城

2013-01-12 22:05:59 | 岐阜県
 明智城

2013/1/5

岐阜県可児市のお城めぐり

 斎藤義龍(道三の子)に滅ぼされた明智光秀生誕地

≪ お城の概要 ≫

城名: 明智城
よみ: アケチ
別称: 長山城・明智長山城
所在地: 岐阜県可児市瀬田
現状: 山
築城年代: 十三世紀
築城者: 土岐頼基
形式: 平山城
遺構: 本丸曲輪・二の丸曲輪・中ノ曲輪・大手曲輪・東出丸曲輪・西出丸曲輪・西大手曲輪・乾曲輪・台所曲輪・水ノ手曲輪・馬場・見張台・大手門
規模: 長山の一帯
文化財:
訪城日: 2013/1/5


≪ 訪城記 ≫

久々利城から明智城へ向かう。
県道84号を西へ引き返し二野・羽崎交差点を右折し、花フェスタ記念公園を通り過ぎ次の信号一つ手前の細い十字路を左折県道341号を700m程進むと川に架かった橋があり、その橋を過ぎたらすぐに左折、100m程で次のT字路を左折、80m程で次のT字路を右折、200m程で光蓮寺の駐車場に着く。

光蓮寺の東側が明智城址公園となっていて、そこから山へ入る道が大手道です。
登城口には明智城大手道の石柱があり、左側には明智城址公園と土止め壁に書かれていて、その上の高台には展望台があり、見晴らしが良い。
大手道入り口には、明智城址公園散策マップと明智城址の説明板がある。
大手道を登ると大手門があり、山の谷間に作られた大手道は登るのにちょっとえらい。
大手道の左側が東出丸曲輪ですが、水道施設の配水場があり入れない、右側が中ノ曲輪で不整地の台状地があるのみです。
大手道を登り切ったところが二の丸曲輪と馬場で、馬場には弘治二年の落城で戦死した明智軍の七武将を葬った七ッ塚があります。さらに馬防柵が作られています。
二の丸曲輪を西に進むと本丸曲輪で城址碑や説明板、展望台があります。
さらに進むと西出丸曲輪で頂上に三角点があります。ここが長山の頂上のようです。
本丸曲輪と西出丸曲輪の間に搦手道があり、降りていく途中に台所曲輪、水ノ手曲輪があり、さらに進むと西大手曲輪が一段高い台状地にあり、そこには昭和四十八年に発見された六親眷属幽魂塔が祀られています。さらにベロ状の尾根を進むと見張台跡があります。

登城口を東へすこし行ったところに天龍寺があります。そこには明智氏歴代の墓所があります。
この城は、かの有名な明智光秀の出生したお城だそうです。

馬場跡のすぐ下に団地があり驚きました。


≪ 歴 史 ≫

十三世紀 土岐頼基が築城、その後、美濃国守護、土岐成頼の十男で明智荘に住み明智を称した頼兼の子孫に代々継がれる。築城者土岐頼基は成頼の兄である。
弘治二年 (1556) 斎藤義龍に攻められ落城、明智氏は離散した。おそらく離散した明智氏と明智光秀とは何らかの因果関係があるものと思われる。


≪ 写 真 ≫


登城口である明智城大手道


大手展望台


大手門


大手道


中ノ曲輪


二の丸曲輪


馬場跡にある七ッ塚


本丸曲輪展望台


明智城址碑


本丸曲輪


馬防柵


西出丸曲輪


台所曲輪


西大手曲輪の六親眷属幽魂塔


乾曲輪の見張台跡


搦手道


天龍寺にある明智氏歴代の墓所


現地明智城址公園散策路マップ(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR太多線可児駅からバスで羽生ヶ丘下車、徒歩15分
<車>
東海環状道可児御嵩ICを降りて右折し、国道21号可児御嵩バイパスを西に直進し、約400mで柿田交差点を左折、次の信号を超えてすぐの十字路を右折して、県道341号を700m程進むと川に架かった橋があり、その橋を過ぎたらすぐに左折、100m程で次のT字路を左折、80m程で次のT字路を右折、200m程で光蓮寺の駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

登城口


明智城


天龍寺


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大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社

久々利城

2013-01-11 22:09:11 | 岐阜県
 久々利城

2013/1/5

岐阜県可児市のお城めぐり

 久々利城主悪五郎が金山城主斎藤正義(道三の養子)を久々利城に誘い出し謀殺したお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 久々利城
よみ: ククリ
別称:
所在地: 岐阜県可児市久々利
現状: 山
築城年代: 延元・正平年間(1336-70)
築城者: 土岐康貞
形式: 山城
遺構: 本丸・二の曲輪・三の曲輪・帯曲輪・東出丸・堀切・土塁・竪堀・虎口・井戸
規模: 久々利地区集落を南に見下ろす丘陵上に位置し、比高68m、面積18,000㎡程
文化財:
訪城日: 2013/1/5


≪ 訪城記 ≫

金山城から久々利城に向かう。
金山城へ来た県道を南に向かい1.7km程で国道21号に出る三叉路を右折し、すぐに左折、県道381号を南下約3kmで二野・羽崎交差点を左折、県道84号を東へ約2km行くと右手に可児郷土歴史館が見えてくる。ここの駐車場に駐車する。歴史館が正月休みのため入館できず。歴史館入り口の診療所西南角に千村氏屋敷跡の標柱と消えて見えない説明板がある。歴史館を含めこの一帯が江戸期の千村氏屋敷跡だったそうです。
久々利城の登城口は歴史館を県道84号を挟んだ北側の山で登城口に案内板、城址碑、消えかけた説明板があるので分かりやすいです。
石段を登ってすぐに分かれ道があり、まっすぐに行くとけっこう大きな水たまりがあり、鬱蒼としていて入れませんでした。東出丸への入り口もわかりませんでした。
さっきの分かれ道を右に上ると2・3分で虎口に到着します。虎口には土塁のほかに左側に行く筋かの短い竪堀があります。虎口を入ると正面に井戸跡があり土塁も切岸があります。
その奥に三の曲輪へ入る虎口があり、削平された三の曲輪から高い切岸越しに上を見上げると、二の曲輪、本丸が見えます。
さらに東裾野の竹林を進むと二の曲輪、さらに進むと土橋に出ます。左へ行くと本丸に出られます。
本丸はさほど広くはなく、上から久々利の集落を見渡せます。
さきほどの土橋を北へ進むと右に堀切があるようですが、竹が多くてよくわかりません。
その奥に一段高く東西に細長い台状地があり、その裾を西に迂回すると、一番目の堀切があり、さらに危険ですが山裾を回ると2番目の多きな堀切に出ます。さらに奥には三番目の堀切があり、幾筋かの竪堀が見られます。
道がないうえに、滑りやすい斜面を行くため非常に危険です。


≪ 歴 史 ≫

延元・正平年間 (1336-70) 土岐伊予守頼清の四男三河守康貞が築城という。
文和二年 (1353) 吉田合戦で康貞が戦死し、子の行春が地名をとり久々利氏を称し、代々、三河守、悪五郎を名乗った。
天文十七年二月 (1548) 金山城主斎藤正義を久々利城内で謀殺した。
永禄八年 (1565) 森可成が金山城に入るとその配下となる。
天正十一年 (1583) 森長可は悪五郎を金山城内で謀殺し、久々利城を落城させる。長可は久々利城を家臣戸田基左衛門に守らせる。
慶長五年 (1600) 森忠政が川中島に移封されると廃城となった。
江戸初期 千村平右衛門良重が陣屋を構える。


≪ 写 真 ≫


千村氏屋敷跡


登城口


久々利城址碑と説明板


虎口


井戸跡


三の曲輪から見上げた二の曲輪・本丸切岸


本丸


一つ目の堀切


二つ目の堀切


三つ目の堀切


三つ目の堀切の北の土塁跡


三つ目の堀切の北の竪堀


東出丸の土塁


現地案内板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
東海環状道可児御嵩ICから国道21号可児御嵩バイパスを約400m西進して、柿田交差点を左折、県道381号を約2km南下して、二野・羽崎交差点を左折、県道84号を東へ約2km行くと右手に可児郷土資料館が見えてくる。資料館の北側の山の山頂が久々利城です。


≪ 位置図 ≫

可児郷土歴史館


登城口


久々利城


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金山城

2013-01-10 19:40:14 | 岐阜県
 金山城

2013年初訪城

2013/1/5

岐阜県可児市のお城めぐり

 本能寺の変で信長とともに散った森蘭丸のふるさと

≪ お城の概要 ≫

城名: 金山城
よみ:カネヤマ
別称:烏峰城・兼山城
所在地:岐阜県可児市兼山字古城山
現状:蘭丸ふるさとの森・山
築城年代:天文六年(1537)
築城者:斎藤正義
形式:山城
遺構:天守跡・本丸・二の丸・三の丸・出丸・東腰曲輪跡・二の丸物見櫓跡・北方物見台跡・三の丸門跡・大手桝形・天守台西南隅石・搦手門礎石・伝森蘭丸産湯の井戸・建物礎石・石垣
規模:標高276m、比高172m、180m×108m、面積20,000m2程
文化財:県指定史跡
訪城日:2013/1/5


≪ 訪城記 ≫

国道21号を木曽川沿いに車で走り、新太田橋信号を右折して木曽川に架かる新太田橋を渡り、住吉南の信号を左折、上恵土本郷西の信号手前で左脇道に入り、もう一度国道21号に入る、しばらく直進し、上恵土信号を左折県道381号を直進、下渡橋南信号を右折して、すぐのT字路を左折、約300mで次のT字路に案内板があり南に右折、谷を越えると兼山小学校の北側角に「蘭丸ふるさとの森」第一駐車場がある。

そこに車を駐車して、そこから徒歩で小学校沿い約250m行くと、右手が団地になり、「金山城跡へ」と書かれた案内板がある。ここが登城口で山へ登っていくと第二駐車場が右手、左方向に行くと「蘭丸広場」、わたしは本丸跡を目指してまっすぐの道を登っていくと大堀切で三叉路があり案内板のとおり左方向へ進む、しばらく行くと崖に出た物見櫓(あづまや)がある。
そこから「蘭丸広場」や出丸跡の崩れかけた石垣を見ることができる。

物見櫓からすぐに本丸へ向かう階段があり、登っていくと三の丸門跡に礎石が残っている。右手には石垣跡、さらに奥が三の丸で、そこから水の手へ降りる道がありますが、危険なため通行止めになっています。山の丸の一段上左側には北方物見台跡があり崩れた石垣の石が散乱しています。その奥に行くと二段の帯曲輪があります。
引き返して石段を登ると右側に二の丸跡があり、奥に行くと二の丸物見櫓跡があります。
さらに本丸目指して石段を登ると大手桝形に着きます。そこを右に行くと広い曲輪があり、建物跡の礎石が残っている。
元の道に帰ると本丸入り口に天守台西南隅石があり、算木積みの石垣が残っています。ここを抜けるといよいよ本丸です。
本丸跡は広い台状地で奥に神社の社殿があります。その前に金山城天守の説明板がります。ほかに建物跡の礎石や城址碑、「美濃金山城-興亡の歴史-」と書かれた説明板もあります。
さらに社殿右側に搦手とおもわれる桝形が残っています。そこを通って搦手へ向かう神社裏側が東腰曲輪跡で石垣が残っています。さらに搦手門礎石、その下が左近屋敷跡です。
そこから引き返し物見櫓(あづまや)からすぐの登り口へ、そこから案内板に従って出丸跡へ行きました。出丸を抜けて下へ降りていくと「蘭丸広場」で大手道を降りる右手に「伝森蘭丸産湯の井戸」があります。
第一駐車場から本丸まであちこち見て歩いたので約1時間かかってしまいました。
駐車場はほかに出丸跡や蘭丸広場にもあります。

金山城の天守閣を犬山城に移築された「金山越え」の伝説が残る。


≪ 歴 史 ≫

天文六年(1537)     斎藤正義が斎藤道三の東美濃攻略の将となり兼山村の烏峰山頂に烏峰城を築いて与えられる。
天文十七年二月     正義が久々利城において久々利悪五郎に謀殺される。
永禄八年(1565)     森三左衛門可成、兼山城主となる。
元亀元年九月(1570)  可成が近江宇佐山の戦いで討死する。
              二代目森長可が跡を継ぐ
天正十年四月      武田勝頼攻めの功により信濃四郡を加封され川中島海津城城主となる。
天正十年六月      信長が本能寺に斃れると金山城に帰城する。
              東美濃を制圧
天正十二年四月     長可が長久手の戦いで討死する。
              長可の末弟忠政が跡を継ぐ。
慶長五年二月(1600)  忠政が川中島十三万七千五百石に移封され、犬山城主石川光吉領となり、翌年廃城となる。


≪ 写 真 ≫


登城口


物見櫓から見た蘭丸広場


物見櫓から見た出丸石垣


本丸への登り口


三の丸門跡


三の丸門跡の右側石垣


二の丸物見櫓跡


大手桝形


天守台西南隅石


本丸跡


金山城址碑


搦手桝形


東腰曲輪の石垣


左近屋敷と思われる帯曲輪


本丸から見た大手桝形


出丸跡


物見櫓


伝森蘭丸産湯の井戸

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄広見線明智駅からYAOバスで城戸坂バス停下車、徒歩15分
<車>
東海環状道可児御嵩ICを下り、国道21号を右折、柿田交差点を右折、県道381号を直進し高倉口交差点を右折、約100m行って左折する。まっすぐ行って山田公民館前の三叉路を右折、東海環状道の下を抜けしばらく行くと兼山小学校がある。小学校北側三叉路を右折すると金山城入口です。


≪ 位置図 ≫

登城口


本丸跡


紹介したお城の数 6城



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