お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

船江城

2013-01-08 19:29:11 | 三重県
 船江城

2012/12/24

三重県松阪市のお城めぐり

 現在はお寺になったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 船江城
よみ:フナエ
別称:
所在地:三重県松阪市船江町549
現状:浄泉寺
築城年代:応永年間
築城者:北畠満雅
形式:平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日:2012/12/24


≪ 訪城記 ≫

伊勢自動車道松阪ICを降りて、そのまま県道59号を東へ松阪市民文化会館南を左折し、川井町4を左折、約600mで船江町信号を左折すると浄泉寺に着きます。
寺へ入ると御堂の前にお寺の沿革が書かれた碑があり、そこに浄泉寺が船江城址に建立されたことが書かれているのみで遺構はありません。


≪ 歴 史 ≫

応永年間(1394-1428) 北畠満雅が挙兵したとき、船江城に兵を籠らせた。
永禄十二年(1569) 織田信長の侵攻の際、北畠被官本田氏が立て籠もる。


≪ 写 真 ≫


浄泉寺


沿革の書かれた碑

≪ アクセス ≫

<車>
伊勢自動車道松阪ICを降りて、そのまま県道59号を東へ松阪市民文化会館南を左折し、川井町4を左折、約600mで船江町信号を左折すると浄泉寺に着きます。


≪ 位置図 ≫

浄泉寺


紹介したお城の数 5城



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枳城

2013-01-07 20:14:16 | 三重県
 枳城

2012/12/24

三重県松阪市のお城めぐり

 阿坂城の出城だったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 枳城
よみ:カラタチ
別称:
所在地:三重県松阪市小阿坂町枳
現状:山
築城年代:不明
築城者:不明
形式:山城
遺構:曲輪・土塁・堀切
規模:標高180mの山頂に60m×30mの台状地
文化財:国指定史跡
訪城日:2012/12/24


≪ 訪城記 ≫

伊勢自動車道松阪ICで降りて松阪インター入口十字路を左折、県道58号を北上して宮村医院を過ぎて斜め左の道へ入り、JA松阪阿坂の十字路を左折し、そのまままっすぐに行き高速のガード下を抜けるとミカン畑が広がっている。
駐車する場所がないので、高速ガード下東側の道を高速沿いに400m程走ると野球グランドがあり、そこの駐車場に駐車することができる。

ここから歩いて高速ガード下を抜け、斜め左に行くとミカン畑の中に西へ行く3本の道がある。その真ん中の道を山に向かって歩いていくと登城口に着く、案内板がないので注意。
わたしは、間違って南側の道を行ったため道のない山を登り、尾根づたいに30分ぐらい歩いてやっとたどり着けました。
登城口から登ると10分程度で頂上に着けます。尾根づたいに東へ進むと最初に堀切が見られ、さらに東へ上っていくと一段高い場所があり、そこが本丸跡です。登り道が道なき道で斜面を人の足跡を頼りに上ります。登った先に文字が消えていて見えない案内板があり、台状地の西側に小さな仏様の石像があります。
ここから阿坂城が良く見えます。
本丸の東側下は切岸と土塁跡が見られます。


≪ 歴 史 ≫

詳しいことは分かっていない。
永禄十二年の織田信長の侵攻で他の諸城と同じく落城し廃城となったものと思われる。


≪ 写 真 ≫


登城口に続くミカン畑の真ん中の道


登城道の途中


本丸へ登る道


本丸東側下の切岸


本丸跡


枳城本丸から見る阿坂城


本丸西側の堀切

≪ アクセス ≫

<車>
伊勢自動車道松阪IC下車、松阪インター入口左折、県道58号を約1.2km、JA松阪阿坂を左折約700m高速ガード下を抜けたミカン畑右手の山


≪ 位置図 ≫

野球グランド駐車場


ミカン畑真ん中の道


枳城


紹介したお城の数 4城



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高城

2013-01-05 21:50:44 | 三重県
 高城

2012/12/24

三重県松阪市のお城めぐり

 阿坂城の出城

≪ お城の概要 ≫

城名: 高城
よみ:タカ
別称:たかんじょ・高城城
所在地:三重県松阪市大阿坂町市谷
現状:山
築城年代:不明
築城者:不明
形式:平山城
遺構:曲輪・堀切・土塁
規模:東西140m、南北100m、標高70mの丘陵頂部に位置する。
文化財:国指定史跡
訪城日:2012/12/24


≪ 訪城記 ≫

駐車場がないため阿坂城を訪城した後、浄眼寺前の駐車場に車を置いたまま徒歩で高城まで行く。

浄眼寺から道なりに東へ約1㎞進むと大阿坂町の岩倉口バス停前の十字路に出る。そこを右折して、すぐに大阿坂町内へ入り、民家の間を抜けて300m程で菰池にでる。池を右手に見ながら進むとベロ状に山が出ている。そこを過ぎてすぐの1軒目の民家を過ぎて右折してまっすぐ100m程進むと右手の山へ入る細い山道がある。

山道をまっすぐに登って山林に入るとすぐに説明板があり、虎口を抜けるといきなり土塁に囲まれた郭跡が広がる。
特に西側の土塁は高く厚みがあり見ごたえ十分です。その土塁の切れ目に搦手と思われる虎口があり、その向こうは笹が茂っていて入れませんでした。なお、城へに入る口の虎口左側に竪堀を見られます。
登城口が非常にわかりにくいので注意。

阿坂城の出城<日本城郭体系より>


≪ 歴 史 ≫

詳しいことは分かっていない。
永禄十二年の織田信長の侵攻で他の諸城と同じく落城し廃城となったものと思われる。


≪ 写 真 ≫


登城口


虎口


本丸跡


西側の高い土塁

≪ アクセス ≫

<車>
伊勢自動車道松阪IC下車、松阪インター入口を左折、県道58号を約3km岩倉口を左折して山裾の道を高速下を過ぎ約1km行くと浄眼寺前の駐車場に着く。


≪位置図≫

登城口


高城


紹介したお城の数 3城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
クリエーター情報なし
辰巳出版

阿坂城

2013-01-04 20:39:00 | 三重県
 阿坂城

2012/12/24

三重県松阪市のお城めぐり

 信長の伊勢侵攻に伊勢国司北畠氏の家臣大宮氏が籠城したお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 阿坂城
よみ アザカ
別称:白米城・椎ノ木城
所在地:三重県松阪市大阿坂町桝形
現状:山
築城年代:応永年間(1394-1428)
築城者:北畠満雅
形式:山城
遺構:阿坂城の郭・椎ノ木城の郭・土塁・堀切・竪堀・虎口
規模:東西約150m、南北約300mの城域、標高321m、比高250m、南郭(阿坂城)は25m×30m高さ12mの台状地、北郭(椎ノ木城)は東西40-70m南北150m
文化財:国指定史跡
訪城日:2012/12/24


≪ 訪城記 ≫

浄眼寺前にある駐車場に車を駐車して、浄眼寺と駐車場の間にあるハイキングコースを登ります。

ハイキング道脇には土塁跡や畝堀跡が見られます。
約40分で北郭の椎ノ木城に着けます。椎ノ木城手前の虎口を抜けると視界にいきなり壁状にそびえる城の切岸が見られます。よく手入れをされていて雑草の刈込がされています。この切岸を左手に見ながら道を行くと右手に帯曲輪があり土塁跡も見られます。左側の台状の曲輪真中あたりから椎ノ木城へ入ることができます。登るとまず左側に出郭があり、右側に土塁に囲まれた本郭があります。さらに南へ進むとまたで出郭があり、ここから南郭の阿坂城を見ることができます。
北郭を降りて元の道をさらに南へ進むと途中に堀切を二つ見ることができます。
さらに進むと南郭の阿坂城へ上る階段があり、登りきった所の台状地が阿坂城です。ここには城址碑があるのみです。
北郭の一段下の東側には堀切で区画された出郭があります。
北郭と南郭からの見晴しは絶景で伊勢湾が一望できます。
全体的に良く刈り込みがされていて遺構が見やすい環境になっています。お世話をされている方の努力がよくわかります。

阿坂城の東北東1.4kmに高城、南東1kmに枳城の出城がある。また、登城口にあたる麓の浄眼寺は北畠材親の菩提寺となっている。<日本城郭体系より>


≪ 歴 史 ≫

建武二年(1335) 北畠親房は顕信、顕能、顕雄の三子と共に伊勢に入り数城を築き、その一城が阿坂城である。
応永二十二年(1415) 北畠満雅が北朝方の足利軍から防御するために築城して籠ったそうで、その時に籠城軍は水を絶たれ、苦肉の策で馬の背に白米を水のようにかけて、敵に水が豊富にあるように見せかけて欺いたことから白米城と言うようになったそうです。
その後、北畠氏の重臣、大宮氏が代々居城とする。
永禄十年(1567) 滝川一益が伊勢攻略を命じられ、阿坂城を攻めるが失敗を重ねる。
永禄十二年(1569)八月 織田信長軍が南伊勢に侵攻した際、北畠氏の家臣大宮入道含忍斎が立て籠もったが、落城し廃城となった。


≪ 写 真 ≫


浄眼寺


ハイキングコース登り口


ハイキングコース途中の土塁跡


ハイキングコース途中


北郭(椎ノ木城)の切岸


北郭(椎ノ木城)


北郭(椎ノ木城)から見た南郭(阿坂城)


北郭と南郭の間の一つ目の堀切


北郭と南郭の間の二つ目の堀切


南郭(阿坂城)の城址碑


南郭東側の出郭


駐車場の阿坂城・高城・枳城の現地案内板位置図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR紀勢本線松阪駅からバスで北畠神社前下車、徒歩40分
<車>
伊勢自動車道松阪IC下車、松阪インター入口を左折、県道58号を約3km岩倉口を左折して山裾の道を高速下を過ぎ約1km行くと浄眼寺前の駐車場に着く、そこからハイキング道を約40分


≪ 位置図 ≫

浄眼寺の登城口


阿坂城


紹介したお城の数 2城



三重の山城ベスト50を歩く
福井 健二,竹田 憲治,中井 均
サンライズ出版

大河内城

2013-01-03 09:03:10 | 三重県
 大河内城

2012/12/24

三重県松阪市のお城めぐり

 伊勢国司北畠氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大河内城
よみ:オカワチ
別称:
所在地:松阪市大河内町城山525外
現状:神社
築城年代:応永二十二年(1415)
築城者:北畠満雅
形式:平山城
遺構:本丸・西の丸・二の丸・馬場・御納戸・まむし谷・土塁・堀切・竪堀・虎口
規模:標高110m余の丘陵突端部一帯、東西約400m、南北約800mの範囲に築造
文化財:県指定史跡
訪城日:2012/12/24


≪ 訪城記 ≫

国道166号線和歌山街道沿いの大河内町にある大河内地区市民センター右手の市民センター駐車場に車を駐車する。

市民センターから徒歩で山の方向へ向かう、途中、坂内川を渡り、西蓮寺前で右折し、すぐにT字路があり、大河内城跡の案内板がある。
T字路を左折して見学者用の駐車場を過ぎたら上り坂の途中、左手に搦手門跡の石柱がある。

さらに進むと鳥居があり、その鳥居をくぐった先が馬場跡と二の丸跡、御納戸跡です。
そのまま道を登っていくと右手に大河内神社がります。そこが本丸跡で本丸跡の石碑と説明板があります。
さらに奥に進むとまむし谷に架けられた橋があり、渡った先が西の丸でここにも神社があります。
神社の裏には削平された出丸のような杉林とまむし谷の堀切が見られます。
大河内地区市民センターから本丸神社まで約600mで約20分です。

城の西南1㎞の山頂に脇谷城、北東2.5kmの山頂に立野城、北2kmの丘陵突端に岡ノ谷城が大河内城に向かう谷筋を押える位置に出城的に配されている。<日本城郭体系より>


≪ 歴 史 ≫

応永二十二年(1415) 伊勢国司北畠満雅が築城し、北朝方の足利軍と一戦交えようとして、弟顕雅をこの城に籠らせて以後、代々この城を拠点として大河内御所と称した。
永禄年間(1558-69)伊勢国司八代北畠具教が修築。
永禄十二年(1569)八月 織田信長が南伊勢へ侵攻した際、伊勢国司北畠具教はこの城に本拠を移して信長軍を迎え撃ったが、伊勢国司北畠氏の家督を信長次男茶筅丸(信雄)に譲ることで和議が成立し、具教は城を開け渡し落ちて行った。
元亀二年(1571) 家督を継いだ信雄が一時居城とする。
天正三年(1575) 信雄が度会郡に田丸城を築いて移ったため廃城となる。


≪ 写 真 ≫


大河内城全景


本丸跡(大河内神社)


大河内合戦四百年記念碑


西の丸跡


まむし谷


二の丸跡


馬場跡


現地案内板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR紀勢本線松阪駅前から三重交通バス道の駅飯高駅行20分、広坂バスで大河内バス停下車。徒歩約10分。
<車>
伊勢自動車道松阪ICから7.5km。県道58号、国道166号経由で飯南方面へ15分。


≪ 位置図 ≫

大河内地区市民センター


登城口


大河内城


紹介したお城の数 1城



三重の山城ベスト50を歩く
福井 健二,竹田 憲治,中井 均
サンライズ出版