ちょっと腰を痛めてしまい、、
そして入院した叔母の見舞いで車に乗る機会が増え、なかなか腰痛が癒えませんでした。
車社会、怖いです(笑)
少し良くなったので、いつものこの小高い山に登ってみました。
真ん中に見える島が宮島です。
やっぱここからの眺めは最高です!
この記事によると、幸せな人生に必要なのはただ1つ、「人間関係の満足度」だそうだ。1300人超の被験者をして80年以上の歴史を持つこの研究の4代目の責任者、ウォールディンガー教授によると、80歳を超えた被験者のほとんど全てが、人生を振り返った時に最も誇りに思っている事として、人間関係を挙げている。
何かをなした、人一倍稼いだ、そんなことで幸せになれるだなんて、誰も思っていないと思うが、巷を見渡せば、どの会社に就職してどんだけ稼いでいるかとか、どの学校に行くかとか、どこに家を買うかとか。人との競争に体も心も壊してえらい目にあっている人の多いこと多いこと。
とどのつまり、人間はあまりに個体が弱いから、コミュニティーを外れて生きることなんてできないのだ。だからアドラー曰くの共同体感覚なのだ。人より秀でることを良しとする生き方から抜けださなければ、幸福になんてなれやしない。
そのためには、人との関係も大切だし、食事に運動、睡眠等、健康にももっと関心を持ちたい。だが健康であってもお金が無いと嘆き悲しむ者がいれば、毎日おいしいものを食べ、毎月のように旅行に行ける経済力があるにもかかわらず、不眠や糖尿、血圧等でつらいしんどいと言い続けている人もいる。人間万事塞翁が馬とはこれ如何に、幸せに生きる難しさをつい考えてしまう。
明日何が起きるかわからない身だからこそ、人間関係と健康、そして人は誰もが死ぬといった、この3つさえ意識していれば、これからの人生、それほど大きな間違いを犯さないような気がするのだが、果たしてどうだろう。
お金があっても無くても、健康であっても無くても、それに対する態度は自らが決める。その時、死を意識すると人生が引き締まる感じがする。借金を返すだけでへとへとだとか、透析がきついとか、でもだ、どっこいみんな生きている、苦しまない生き方をしている人なんていやしない。そう思えば、呉越同舟、死に向かう船に乗る者同士、互いを励ましつつ生きることもできそうだ。とりあえず「たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える」とのルターの言葉も思い出しつつ、とにかく淡々と毎日を過ごしてみよう。死ぬのは怖いが、死を留意しつつ、所属するコミュニティを大切に、そんな感じのことをこれからの羅針盤に、人生後半を生き抜きたいと思うのだ。もちろん不安や心配も溢れ出すが、それでも同じ時間を共有する仲間と生き抜いてみたい。
明日死ぬと思って生きなさい永遠に生きると思って学びなさいマハトマ・ガンジー
カップラーメンを平気で食べ、家のドアは常に開け放たれている…いつの間にか100歳を超えた人の意外な食生活
100歳のおばあちゃんの家を訪ねると、玄関はカギがかかっておらず、いつも誰かが出入りしている。要するにおばあちゃんの様子を、周囲の人たちが自然に見守っているわけです。
おばあちゃんに「何してるときが、一番楽しいですか」と訊くと、「テレビ見てるときだな」と答える。食事にしても、カップラーメンを平気で食べていたりする。
この人たちは、長生きしようと思って頑張っているわけでは、全くない。周りの人たちと仲良くしながら、自然に楽しく生きているだけです。
コメントありがとうございます😊😊
「、大切なオットとのささやかな食事、、」
素敵すぎます❤️😆
私もそうありたいな!って思っちゃいました🥰
ルター氏が聞いたら「なんて奴だ!」と嘆かれるかもデズね。