何を持って治ったというのか…
ラジオの番組で伊集院光さんが五木寛之さんの話をされていました。
それを聴いて面白そうだと思い、一冊読んでみました。
この本に「病気に完治なし」とあります。
そして「治る、のではなくて、治める、というべきである」という一文…
これって最近よく考えていたこと。
でも言葉にできなかった。
「治める」
言葉としてとても納得!
「ガンを治した」
「鍼灸師に腰痛を治してもらった」
実際、完治はないですよね。
一度なったら繰り返す事が多いです。
とりあえず「治めた」に過ぎないわけです。
「治す」とか「治した」とか、なんておこがましい!!
ココとても大切!
90.こんな時代に毎日、明るく爽やかに生きていける人は、病気である。「世間病むが故にわれ病む」というのが人間的な人間である。だからこそ、病める時代に病みつつ生きる養生の工夫が必要なのだ。
五木寛之著「養生の実技」
私達は生まれた瞬間に死を約束された存在です。
生まれた時から死に向かってひたすら病み続ける存在。
いつまでも健康で生きられるだなんて幻想以上のなにものでもない。
だからこそ、どんな病み方で生を全うするのか、工夫が必要。
40歳過ぎて発症した喘息。
寝ても立っても座っても息が吸えない。
息が吸えないってこんなに苦しいことなのか。
こんなの続いたら生きてられない。
たかが喘息で死ぬことまで考えてしまうだなんて。
二度とならないようにしたい…
そうは思っても年に何度も繰り返す喘息…
そんな時に10日間の瞑想体験。
一昨年の暮れの話です。
瞑想してる時に思い出したのが昔の私(ホントはそんな事を瞑想中に考えちゃいけないのですが^^; )
以前断食をした時の事とか、菜食や健康法等色々と試した事を思い出してしまいました。
自分が生きてきた道を思い出してからでしょうか、喘息も「気づき」の一つだったのかと…
「よし一生上手に付き合っていこう」
そう心に決めて観察してみると
「お酒を飲み過ぎると喘息が強くでる」
「うんちが出なくなると喘息が強くなる」
「低気圧が近づくと喘息が強くなる」
「花粉症の季節に喘息が強くなる」
ということわかりました。
瞑想終えて、アルコールをしばらくやめる事にしたので、これを機会とばかり、喘息養生。
それからほぼ出なくなりました。
喘息が怖くて薬を肌身離さず持っていましたが、今は薬箱で待機中。
もちろん治っただなんて思っていません。
ただただ「治め」ているだけ。
今はお酒も再開しているので、危険徴候出ること多々ありますが、喘息の徴候あれば不摂生している証拠。
色々と自重させてくれる存在ですね。
だから今や
「喘息さんありがとう!」
という感じでしょうか。
病も体の一部です。
どうつきあうか、どう「治める」か。
鍼灸師でよかったと思う毎日です。
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