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写真は本日12/9(日)7時前の外苑いちょう並木です。
まだ青葉をつけてる木もありますが、かなり散ってしまいました。
最近考えていることについて。
人付き合いは難しいです。
人付き合いで十二指腸潰瘍になってしまい、近しい人としか付き合わないようになってしまいました。
だからそんな私が、合わない人とは極力一緒にいないようにしている私が言うのも説得力がないのですが、世の中チョット合わないなぁとか、しんどいなぁとか、無神経だなぁとか、意地悪だなぁとかいった人との付き合いかたについて、考えていることを書いてみます。
合わないな人に出会ってしまった時、反論しても収拾がつかなくなることばかりです。
相手を変えるだなんてとんでもないと、ある意味悟ってしまった今日この頃、相手じゃなくって自分が変われば良い変化が起こるかなぁ…と色々と実験をしている最中です。
確かに良いイマジネーションをあらかじめ持って会うようにするとか、楽しい会話を想像して場に向かうとかすれば、意外とうまくいくことが多いです。
イヤな人や苦手な人に対して「怒り」の感情を持ち続けると、「肝気」が興奮して眼や筋肉、爪に悪さをします。
怒りはイライラに変わり、焦りを生じてますます「肝気」に影響して、興奮を抑えられなくなります。
前頭葉のタガが外れた状態なんでしょうね。
それが嵩じて「こんな人は許せない」という気持ちがますます強くなります。
邪気が残るんでしょうね。
それで自分自身に病変を生むことなるのかと思っています。
何もしていないのに自分だけこんな病気に、といった方も、どこかに病変を育む素質があったのでしょう、先ずは自分と向き合うことから始めないといけません。
嫌な相手に真っ向勝負を挑む方は「相手は変わる、変えられる」といった気持ちでいるのだと思います。
とても優しい方なのでしょう。
でも相手によって病気を作られてはたまったものではありません。
それでも言い続ける事が大切だとか、人としてそうあるべきだとか、ちゃんと相手に教えるべきだとかいう人もいるかもしれません。
でも培ってきた環境が違うので、その価値観も当然違います。
案外あなたのその気持ちこそが、本当は間違いなのかもしれません。
う~ん…なんと形容したらいいのか。
嫌な相手に真っ向勝負を挑んでいる人ってスゴイなぁ…と思った時期もありましたが、嫌な相手が変わるわけもなく、無意味なことしているのではないかと思うわけです。
だからこそ世の中「変わらない人もいる」と思う必要があるのです。
そういう時は「こんな人もいるんだ」といった嫌な人の存在を肯定することから初めてみてはいかがでしょうか。
もっと自分に嫌な事をしてみろよ!
どんなひどいことをされても受け流してやるぜ!
なんて気持ちで挑んでもいいかもしれません。
そういった人と出会うことも何か意味がある、しんどいことも意味があると、フランクル先生の著述を読んで、意味について考えるようになって得たことです。
今を受け入れて次に進めば何かが見えてくるんだろうなぁ、と思ってもらいたいのです。
近づかないで済ますことができれば一番なのですが、そうもいかない事が多々あります。
その時は「いい修行させてもらいに行こう」と思って、楽しみにしてみるのもいいかもです。
(これは斉藤一人さんが言ってたことかな?)
受け流せない時も受け流せた時も、楽しい時も辛い時も、生きてりゃ何かが起きるんじゃないかと思います。
ということで今日も一日良い日になりますように!
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