「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

獣性と仏性の間で

2023年11月06日 | 考えていることとか思っていることとか
昨日雑司ヶ谷で出会った猫ちゃん。
とっても気持ちよさそうでした。
こんな風に生きたいなぁ、、

人に優しくありたいという自分がいる反面、憎くて殺してやりたいとか、良い暮らしをしやがってとか、そんな二面性を持つ自分が腹立たしい。相手を傷つけたいほど怒りにまみれる事もあるが、それをやらない自制心は前頭前野のなせる業、とは以前のブログに書いた通りだ。

社会から抹殺される可能性があるにもかかわらず、何故にすし屋で醤油さしを舐めたり、はたまた結婚しているのに浮気をしたりするのか。わかっていても止められないこの獣性とでもいうべき裏の心を人間は誰もが持ち合わせていると思うのだが、実はこの獣性こそが表かもしれないし、そんな攻撃的な心を誰がいつどう示してくるかわからないから、初対面の人を信用するまでに時間がかかる。だから世界平和や人類皆平等、誰とでも仲良くみたいな標語をちゃんちゃらおかしく感じてしまう自分がいる。

でも優しくありたい、尊敬されたい、人に良く思われたいといった、仏性とでも言うべき心も併せ持つのがこれまた人間で、この獣性と仏性の間で人間はもがき苦しむ。それで宗教や道徳が必要になってくるのだろうと、朧げながらも考え始める自分がいる。

人はか弱い。霊長類の中で恐ろしくか弱い。未熟児以下で生まれ、肉体的には動物世界でもっとも弱い体で生き抜かなければならない。だから多くの子どもが死ぬのがデフォルトで多産が義務付けられる。そんな人間だから、霊長類の中でも血縁だけでないコミュニティーが大切で、社会で子どもを育てる道を選んだ。

多産が義務付けられているから人のオスは年がら年中発情することが当たり前となり、敵たるコミュニティーのメスとも交尾ができるまでに進化した。その性欲は支配欲と重なり、獣性を絶えず内在しながら、コミュニティの一員としてその部分を隠して生きていかなければいけないという、相反する自分と葛藤する事が当たり前となってしまった。それを自らがどう受け入れるか。その矛盾を解決するために宗教や道徳が必要となるのだろう、だがそれでも本能的な性欲を抑える事は難しい。

しかし、それを丸ごとひっくるめて受け入れるしかない。裏も表もひっくるめての「おおした」を認めるしかない。それが人間、それが自分。そんなどろどろした自分を受け入れようともがくからこそ、人は強く大きくなれる、と信じたい。そんな自らの二面性に苦しんできた自分だから、平然と正義を振り翳す人を信用しない。

【2023年2月のブログです】
「不倫しない自制心」「不倫しても見つからない用意周到さ」のこの相反する働きが前頭前野にあるらしい。

【2023年6月のブログです】
どうしようもないその性欲。
綺麗ごとではすまされない。
男の性欲なめるな!
はずかしいんだけど、世の男性はこれにどれだけ苦しんできたことか。
なんで好きでもない女性に欲情しなくてはいけないのか。

【2023年3月のブログです】
多産を義務付けられ、何時でも誰彼とも無く性欲を発揮できるようになった人間のオス、『「ゴリラの森、言葉の海」(山際寿一・小川洋子著)』を読んで色々と考えてしまった。特に人間の貪欲なまでの性への欲望、性欲を理性が抑える事ができない嘆かわしさ、後先考えずに不倫をしてしまう愚かさ等々、なんと悲しい性なのだろう。

【2023年10月のブログです】
綺麗ごとばかりいう輩は信用できない
神宮外苑伐採反対運動している人達って、大問題になっている熊被害に対し、やれ熊が可哀想だ、やれ熊を殺すなと電凸する輩とダブって見える。

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