「ころされるう。こ ろ さ れ る う。他人ひとにころされるう――」
患者さんに紹介してもらった北條民雄著「いのちの初夜」を胸ぐらつかまれる思いで読みました。
この作品は第2回文學界賞(昭和11年/1936年)受賞作であり、第3回芥川賞(昭和11年/1936年上期)候補にもなっています。
現在では治療方法が確立された癩病(これは差別用語、正式にはハンセン病。しかし本書に書かれている通り、敢えて使用させてもらいます)ですが、1943年に治療薬「プロミン」が開発されるまでは不治の病とされ、癩病と診断されれば、当時の警察法により強制的に社会から隔離されました。ですから「癩病」と診断されれば生きながらにして死を宣告されるようなものでした。
ハンセン病といえば、カルカッタの人ごみを歩いていた時にいきなり表れたその顔貌に、思わず眼をそらしてしまった苦い思い出があります。
そう言えば、象皮病の方が普通に軒先でおられたのもビックリした出来事の一つです。
あれはバスから外を眺めていた時の事なので、デリーからカシミールのシュリナガルに向う途中かその帰りかな?いやプリー辺りでもバスに乗ったから、あの辺かな?
あまり覚えていないのですが、とにかく胴体の太さ以上ある下腿部をさらしている男性が目に飛び込んできて、これまた思わず眼をそらしたのを覚えています。
初めての海外旅行、それも初めて乗った飛行機で連れて行かれたところがインドだったというのもなんだか懐かしい思い出です。
ということで話をもとに戻します。
癩療養所に入所する初日の出来事を書いたこの短編小説。
著者「北條民雄」の略歴ですが、大正3年に父親の勤務地だったソウルに生まれ、その後徳島で育ちますが、結婚した翌年に癩病を発病してしまいます。すぐに破婚を余儀なくされ癩療養所に入所。昭和12年に結核で亡くなるまでわずか23年の生涯でした。
…「破婚」…
「破婚」とはすさまじい言葉です。
意味を調べてみると離婚と同義のようですが、私は「強制的に行政等の手により結婚を解消させられる事」のような意味で捉えてしまいました。
当時ハンセン病は不二の病。その容姿からも強制隔離。昭和8年に癩療養所に入所とのことですからつい80年前の出来事です。
それにしても、生きることの恐ろしさ、だけど終わりにできない生への執着、このような果てしない苦役があるとは。
ギリシャ神話に出てくるシジフォスを思い出した次第です。
もっと読まれて良いのではないかと思うこの著書…
解説によると北條民雄はドストエフスキーを聖書のように読んでいたとのこと。ドストエフスキーの文学に耽溺することにより新旧約聖書を読み、イエス伝を読み、キリスト教思想に触れていった、とあります。
ここにもドストエフスキー!!
まだ読んでいませんが、一度読んでみたいと思っています。
借りたのが近代日本キリスト教文学全集でその中の一編としてこの短編が収められていました。
ですから北条民雄だけでなく、坂口安吾、太宰治、小山清、芹沢光治良の短編が掲載されていました。
本はそれほど読まないですが、「人間の運命」を読んで主人公・森次郎の生き方に感銘を受けて以来、芹沢光治良は好きなので、ここで出会えたのも何かの縁かと思い、他の短編も読み耽ってしまいました。
ありがたい出会いですね。
小説によって胸ぐらをつかまれたような気持ちになったのはほんとに久しぶりでしたので、紹介してくれた患者さんに感謝するばかりです。
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