
2012年11月に書いたこのブログを読んで思ったことです。
話は違うけど、昔は子育ては地域全体の仕事だって考えてた。生みの親以外にも、「取り上げ親」とか「乳付け親」「名付け親」「拾い親」とかいったさまざまな「仮親」がいたというのも面白いですね。こりゃぁお母さんが孤立しないわけだ。(2012年11月30日wrote)
かつては出産はもとより大人に成る過程で、血のつながらない親も作る民族慣行がありました。
ここで一つ大事なことは日本の社会では親子という関係には非血縁、血のつながらない親子関係も含まれるということである。(佐野賢治著「ヒトから人へ」)
江戸時代、一人の女性が出産する子どもの数は江戸近郊で平均4~5人とのこと。
医療がまだ十分発達していない、この時代の乳幼児死亡率は生後1年までで20~25%、4人産んだとしても1人無事に成長するかわからない時代の子育ては、当然今とは違います。
乳幼児死亡率が高かった時代、コミュニティを維持するためには一人一人を大切に育てなければいけません。
日々の労働に追われ、加えて栄養や衛生状態の好くない時代においては、実の親が我が子に幾ら愛情を注いでも、肉親だけで子供を育てるのは大変なことであった。子供は実の親だけでなく多くの仮親に囲まれて育っていった。
(佐野賢治著「ヒトから人へ」)
コミュニティのそこいらに親がいる状態、子どもを寄ってたかって育てる習慣、親子が孤立しがちな昨今と比べ、どちらがいいのかわからなくなってしまいます。
成長した子供に対する親の「だれのお陰でこんなに大きくなったのだ」という言い方が、かつてはその意識に当然、神仏の加護や血縁・地縁の人々の顔が重ねられていたはずなのに、時が経つにつれ、実の親の苦労に思いをいたせとの意味に変わってきた。
(佐野賢治著「ヒトから人へ」)
いつの時代もコミュニティで育てるのが当たり前なのが人間なのですが、何を間違え、何を見失ったか、子育てが非常に難しくなっているのは本当だと思います。そしてそれを変えるのはとても大変なことだと思います。
ところでコミュニティで寄ってたかって育てていた時代の「仮親」について、道を歩けばなんらかの親がいるって、そうそう悪いことはできませんね。
仮親について
- 取り上げ親
自分を取り上げてくれた人。取り上げ婆さんとかいうみたい。
その子の生死権を握る大切な恩人義理を尽くすべき大切な人。 - 名付け親
本家の当主や神主さんや僧侶、教師のような人がなった。 - 拾い親
42歳の大厄の年に生んだ子どもは健全に育たないかもしれないというところから、一旦村辻などに箕に入れて捨てる真似をして拾い親となる叔父などに拾ってもらっていた。
厄落としの儀式みたいなもの。
産んだ子の健全な成長を祈るための風習。 - 乳付け親
初乳は母親以外からもらい乳をするのがよいとされていた。
男子の場合は女の子のいる母親、女子の場合は男子を持つ母親から乳をもらうと丈夫に育つとか。
もちろん母乳の出ない場合も含まれる。 - 守親
子守りをしてくれる親のこと。
東京都伊豆諸島や沖縄県宮古諸島では、子守をされた子どもと子守の親との間の仮親関係をいう。 - 烏帽子親
武家の男子が元服の際、親に代わって烏帽子をかぶらせ、烏帽子名を付ける人。
普通は将来を託すべき有力者にこの烏帽子親を頼むとのこと。 - 鉄漿親(鉄漿=カネ、御歯黒の液のこと)
初めて鉄漿を付けてお歯黒にする時にその世話をする女性。
親族や知人の中で、福徳な婦人が選ばれてこれに当たった。
おはぐろおや。 かねつけおや。 - フンドシ親(回親とも)
男子の一三歳前後に定める仮親。
この仮親からふんどしが贈られる。
性教育方面を担当した痕跡もあるみたい。 - 宿親
若者宿の主人のこと。
若者宿や娘宿を引き受けた家の主人。
監督・指導の責任者であり、また、仮親や結婚の仲人となることも多い。
同宿のものは一生堅い付き合いとなり、宿親への義理は欠かさない - 筆親
寺小屋の師匠 - 針親
裁縫の師匠
地域で子育てをするために行政はどう舵取りをしていけばいいのか、また私たちはどう関わっていけばいいのか、この辺りにもヒントがあるのではないかと思います。
了)
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