人は皆素晴らしい個性を持っており、「あなたはあなたでいいの」だということを言った詩という一般的な解釈は、かなり一面的である。
(日本名詩選2[昭和戦前編]西原大輔著)
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「私と小鳥と鈴と」金子みすゞ
私が両手をひろげても、
お空はちつとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私が両手をひろげても、
お空はちつとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすつても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがつて、みんないい。
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「人は皆それぞれに特色を持って生きている。人と違った部分がしんどいこともあるけどそれもまた自分、その違う部分も長所かもしれない。違う部分も含めて自分を大切にしよう。」
そんなメッセージを無生物をも引き合いに、何もかもが優劣をつけることのできない尊い存在なんだとうたった詩、そんな風に解釈していました。
家事育児を第一とし、好きな詩作を諦めつつある中で、あるべき姿を失った自己への呼びかけが作品の本質である。
「みんなちがって、みんないい。」と無理やり自分を納得させようとしたのだ。
家庭を守るために文学活動を犠牲にした金子みすゞ。
自由の象徴としての小鳥に憧れるけど所詮私は「籠の鳥」。家庭を支え、地べたを這うようにしか生きることができなくなったみすゞの悪あがき、そして自分への無理やりな納得。
「ない」が四回使われおり、詩には否定的な感情が流れている。
生活に疲れ切っていたみすゞときれいな音を出せない鈴との韻的なオーバーラップ、大好きな詩を諦めざるを得ない中、それでも諦めきれない、誰が書く詩よりも自分の詩の方がすごい、でも認めてもらえない、だから「鈴よりもたくさんの唄を知っている」と質を量で語ろうとするそのごまかし、そんな複雑な感情を否定形で終わらせることで、現状を肯定できない自分を納得させようとしたとの解説、そこに金子みすゞの慟哭を聞く思いとなりました。
私のような詩ビギナーにとって、金子みすゞだけでなくその解釈がとても面白いこの本。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の評なんて、
金銭の苦労を知らない資産家詩人の純粋な願いが、素直に表現されている。
といった、ちょっと棘のある書き方で終わっていたり。
時代や背景がとてもわかりやすく、詩の世界を楽しむことができました。
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