久しぶりに表参道交差点の近くにあるこの銭湯に足を運んだ。次男が産まれた時から住み始めているこの界隈、表参道にあるこの風呂屋、改築する前からとてもお世話になっている。
ここに住む前は麻布十番という所に住んでいた。暗闇坂下の十番温泉の銭湯の方である「越の湯」は、家から歩いて1分くらいにあったので、子どもを連れてよく通った。まだ大江戸線と南北線が開通する前の、麻布界隈が「陸の孤島」と言われていた頃の話だ。この銭湯にも色々な思い出があるのだが、とくに覚えているのが甥っ子と長男を連れて行った時の事。時間帯によっては誰もいない時があり、そんな時に偶然居合わせたこの銭湯に馴染みの深そうな兄やん、甥っ子に風呂場ではこうして遊ぶのだと、湯船からお湯をジャブジャブ床にかけて、腹ばいになり湯船の端を蹴り、さながらスーパーマンの如く更衣室のところまで滑る遊びを指南。今の銭湯事情を考えると全く考えられない話だが、そんなのどかな時代が20数年前の十番には残っていた。その後、二の橋近くのアパートに引っ越し、「竹の湯」が主になるのだが、どちらも同じ黒褐色のお湯、懐かしい思い出だ。
銭湯で思い出した。京都で過ごした学生時分は台所も風呂もない部屋に下宿していた。だから風呂はもっぱら銭湯だった。最初に下宿したのが修学院、幽霊の掛け軸で有名な曼殊院門跡の近くだ。そこから一番近い銭湯が「雲母湯」で、ここには本当にお世話になった。電気風呂があってビリビリするのも楽しかったが、今も健在かとググってみると、まだ営業しているみたいだ。
次に住んだのが出町柳駅近くの田中という場所。当時はいわゆる「そういう」所で、安価な住宅に安い銭湯が存在した。100円で入浴できる公共の銭湯、近所の人は煙たがっていたが、100円銭湯は学生にとって、とても魅力的だった。
実は当時住んでいたところをストリートビューで眺めつつこれを書いている。そのほとんどが全く思い出せないほど変わっているのだが、実際に歩いてみたらどうだろう。少しは思い出せるものだろうか。時間がないので足を運ぶのはなかなか難しいが、思い出の場所巡りのためだけに京都に行くのも悪くないかもしれない。
明治36年生まれの祖母が生まれたときにはすでにあったそうなので、100年以上の歴史があることは間違いありません。
大正2年『ラジウム温泉』として開業して以来、麻布竹谷町の人に愛されてきた竹の湯は、平成14年に『麻布黒美水(こくびすい)温泉』として温泉の認可を取りました。
港区・麻布十番商店街の名物温泉「麻布十番温泉」が2008年3月末で営業を終了する。
同店は、当初銭湯として営業を行っていたが、井戸を掘ったところ温泉が湧いたことをきっかけに業態を変え、営業を続けてきた。1967年から現在の建物で営業を行う。
最初の下宿やの近くにあった一乗寺の雲母湯さん。今も健在みたいです!
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