今朝の写真です。
今週は雨の日が多いみたいですね。
ナチュラルとか自然といった言葉をファッション的な意味で捉える人は多いと思うが、私はこの言葉にいつ暴れるかわからない自然災害をイメージしてしまう。子育てもそう、いつ何がどう爆発するかわからない。楽しいだけではない子育てを、自然災害と感じることは多々あった。
大人になって、この小さき者にこんなにかき乱されるとは正直思ってもみなかった。もちろん大変だというのは重々承知していたつもりだが、ここまで思うようにいかない他者を私は知らない。なだめても怒っても煽てもだめ、全くもって自己中心的な子ども達と対峙する中で、こんな私でも少しは寛容さが備わっていった。
自然災害といったが、台風一過、その後に広がる青空を見上げ、その美しさに目を奪われる瞬間とかに通じるのが子育てだ、ギャン泣きしたかと思えば、愛くるしい目でこちらを見つめ、思いっきり抱きついてきたりする時のたまらない可愛いさ。思うようにならないからこその喜びがそこにはあった。
ところで自然相手の仕事、例えば農業や漁業はその日の天候に合わせて仕事を組み立てる。雨が降ればこの仕事、晴天が続けばあの仕事といった感じで、日々やることをその場その場で決めていく。子育ても然り、その子の今に合わせて毎日を共に生きていく。本来子どもなんて今を生きているだけなのだから、過去でも未来でもなく、また誰と比べるでもなく、その子の今を、そのちょっとした成長を喜ぶだけで良いのではないかと思うのだが、子どもを見ずに土作りにだけ精を出し、土をこねくり回した挙句、枯らせてしまう例が後を絶たない。
子育て大変だよね、ってうん、無茶苦茶大変だよ。でも子どもといる経験を通して自分のキャパは確実に広がったと思う。あのどうしようもなく大好き過ぎて、それでいて思うようには育ってくれない自然災害たる子どもと生活をして、この世知辛い世の中で、自分自身かなり生きやすくなったように思う。そう、子どもとの生活を通して生き方に適当さが生まれた感じ、自分自身そう変わらざるを得なかったのは生きる上で大きな収穫だったように思う。そして物の見方というか、生きる物差しも増えたように思う。今の日本、余程のことが無い限り飢えることは無いだろう。子育てを経験したおかげでこれからもなんとか生きていけそうだ。
過去を追うことなかれ。
未来を追うことなかれ。
過去はすでに過ぎ去れり。
未来はいまだ来ざりき。
ゆえに、ただ今なすべきことを、そのところにおいてよく観察し。
揺らぐことなく動ずることなく、よく見極めて実践せよ。
ただ今日なすべきことをよくなせ。
誰か明日の死あることを知らん。
『賢愚因縁経 大聖武』
未来を追うことなかれ。
過去はすでに過ぎ去れり。
未来はいまだ来ざりき。
ゆえに、ただ今なすべきことを、そのところにおいてよく観察し。
揺らぐことなく動ずることなく、よく見極めて実践せよ。
ただ今日なすべきことをよくなせ。
誰か明日の死あることを知らん。
『賢愚因縁経 大聖武』
子育ては本来このような本能的なものだと思う。とは言うものの、子どもなんてそのほとんどが自然災害みたいなもの、あのか弱き生き物はとても弱くてちゃんと生き続ける事ができるか不安でしかない。
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