原爆投下から78年前、明日は広島の平和記念公園で、8月9日は長崎の平和公園で、原爆死没者の慰霊式と平和を祈念する式典が執り行われる。
原爆の日の思い出とセミの鳴き声
1945年(昭和20年)8月6日(月)午前8時15分、アメリカが人類史上初めて大都市に原子力爆弾を投下した。当時の広島市には35万人もの人が住んでいたが、そのうち10数万人の命が一瞬にして奪われた。
その時に亡くなった方の慰霊式と平和祈念式が明日、原爆が投下された時間に合わせて平和記念公園で挙行される。
小さい時は周りに被爆した人も多く、学校では原爆を体験された方の話をよく聞かされた。その話は子ども心に楽しいものではない。それだけでなく毎年8月6日を前に原爆の特集がそこここで組まれるので、その日に向かっていやが上にも臨場感が高まっていく。私は随分と資料館に入れないほどの元来の怖がり、なのでこの時期は正直あまり好きではなかった。そんな幼少期を送ってきたので、8月6日を前に、この歳になっても色々な意味でそわそわしてしまう。
そういえば、8月6日の式典の日の思い出は晴天とセミの鳴き声だ。この日だけはとにかく暑く、空が青いという印象しかない。そして全ての音をかき消すセミの鳴き声。戦争という事実に原爆が思い出させる諸々、式典で発する言葉に左の皆さんのシュプレヒコール。その雑音の全てをかき消すセミの鳴き声。今これを書きながら、私の中ではセミが平和の象徴に最もふさわしいのかもしれないと思い始めている。
今日の夜、広島に向かう。明日は空本代議士とともに式典に向かう予定だ。仕事は代議士の送り迎え、だから式典に並ぶ事はないと思うが、久しぶりに広島でこの日を迎える。多感な時期に過ごした広島で、原爆の諸々をセミの鳴き声とともに思い出してみたいと思う。明日も暑くなりそうだ。
多感な子なら「戦争を考える」という最も大切な事から逃げてしまうかもしれません。
戦争という非日常
のしかかってくる厳しい現実
そんな中で普通に平凡に暮らし続ける…
戦争は、敗戦、戦勝で庶民には戦死、負傷兵、ガレキの山が、上層部の政治家などが、生き残って、一般庶民には何の得にもなりません。プーチン大統領の逮捕を願うばかりです。 K.M