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治療院近く、神宮外苑いちょう並木界隈の写真です
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認められてから我を出してもいいのではないか?
同調圧力はコミュニティへの忠誠を求める。私は意味なく波風を立てたくないと思っている派なので、同調圧力にはちゃんと屈して忠誠を誓っているように見せるかける。変なところでマークされてもマイナスにしかならないと思っているので、そこは受け入れ目的地へできるだけ早く近づくようにするだろう。とにかく中に入るためには、表面的に偽善的に良く思われるのは得策で、コミュニティに受け入れられて初めて意見を述べると思う。
官僚や企業の上の人の来院も結構ある。本当に優秀な人は頭が良いだけでなく人あたりが良い。そして自分の立ち位置をしっかり守っている感じもする。官僚だと政治家の使い走りのような仕事も多いはずだが、中にいるからこそできることがあり、思いを勝ち取るために政治家を利用する。いや利用されているとは思わせないで利用する。本音と建て前、肉を切らせて骨を断つ覚悟、何かを動かす時にはいらないところで波風を立てない、そして自分の思いを政治や国造りに反映する。そのためには表面的に合わせる事なんて楽勝。多分東大を出ることが目標ではなかったのだろう、よそにいけば今の月給の倍以上を提示されるが、国に直接かかわる官僚の仕事は何ものにも代え難いようで、甘い話に目もくれない。そんな、これが本物かと思わざるを得ない人に会うと、自らの道を邁進しなければと思ってしまう。まあ思うだけなのだが。
色々な人を見て思うこと。ちゃんとしている人は所属するコミュニティにより、そこでのアイデンティティの出しどころをちゃんと弁えている感じがする。所属に合わせてTPOを変える力量、ある時は父親であり母親であり、先生の時もあれば、会社員としての自分がいる。その場その場で自分を演じる、節操がないわけではない、求められることが自然にできるのだ。
そのコミュニティで信頼されてからだ改革は。これはとても大切なことで物事を焦っては仕方ない。上司の圧力に委縮し、パブロフの犬の如くその人の前で自律神経が乱れてしまう。それではダメだ。大きな仕事をするために意志を隠し、時期がくるまで静かに根を張り続ける。今のこの叱責は修行とばかり、あとで見返すために全てを身に刻む。あなたのその言動は一生忘れない、戦い抜くための態度を忘れない。戦いは本題に入ってからが勝負。肉を切らせて骨を切る。
なんだかすごい話を聞いて、妄想が暴走してしまった。私は個で動いてきたので組織をあまり知らない。なので組織で力を発揮する人の話を聞き、勝手にイメージが膨らんでしまった。自分は自分、あなたはあなた、みんな違ってみんな良いのは確かだ。しかしまずはそのコミュニティを俯瞰するべく、自分の立ち位置を見据えて居場所を確保したい。コミュニティ内の序列を考慮し、慎重に事を進める。最初から自分を押し通してそれを求めるのは違うのだろう。まあそんな場所に身を置く事は今世はなさそうだが、良い勉強になった。
そもそも日本人は個人よりも人間関係、会話の内容よりも文脈の中にいる自分を大切にしてきた。
相手に合わせることが最も大事、立場により先生として、パパとして、上司として、部下として、相手に合わせて一人称を巧み操り、自分の側に属す人かどうかを瞬時に判断し、尊敬語や謙譲語、丁寧語なども駆使しつつ人間関係に気を遣って会話をしてきた。
コミュニティーにおける自分の立ち位置。まさに村社会的な思想だと思うのだが、これが都会でさえも求められる日本だ。より個の概念が消される田舎暮らしに都会の流儀を持ち込んだとしたら、どうなるかは言わずもがなである。田舎におけるローカルルールは絶対だ。
来る前に相手を吟味しているのだ。あなたは吟味されているのだ。ここまで言ってくれたら安心して移住できる、そういう人もいると思う。そういう人だけを相手にしたらいい
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