耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

深大寺

2011年12月21日 14時57分07秒 | 郊外
 冬晴れで暖かく気持ちが大きくなったし、この一ヶ月死ぬ思いをしたタイタイ病
(出タイ、買いタイ、金使いタイ)患者の慰労のために、ドライブしようか、ということ
になった。  (2011年12月13日)

 大磯の旧東海道の松並木沿いに、御膳蕎麦を食いに行こうと意気込んで出掛
けたが、なんせ出たのが10時だし、首都高はベタ混みで昼までに都内を脱出でき
そうにない。しかも彼女は秘かに蕎麦食った後、若いツバメとの逢瀬を目論んでいた
ようで、木場に差し掛かったところで急遽目的地変更。深大寺に行くことになった。

マ、良くあるパターンである。着いて見るまで本当の目的地は分からない。

 深大寺は、昔仙川に住んでいて子供たちがまだ小さかった頃、一度来たことがある
神代植物公園の隣にあるお寺で、何故か蕎麦が有名である。道すがら、道路わきの
電柱に「元祖嶋田家」の看板が有ったのでそこに行くことにしたが、近くまで来ても
駐車場の場所が分からない。
仕方が無いので近くにあった、これも由緒ありげな蕎麦屋に入った。



 ちょうど昼時とて近所のサラリマンや作業員の人達で混んでいて少し待ったが、
蕎麦は美味かった。メニューに大盛りのオプションもあったが、普通盛りでも街中の
蕎麦屋の大盛り位あって、食い応えも十分。



 折角だから深大寺も覗いてみようと、御朱印帳を持ってお参りした。こじんまりとした
境内で、それでも地震の被害は大きかったようだが、閑散としていた。

本殿脇に、虚子の句碑が立っていた。



        遠山に日の当たりたる枯野かな

明治33年はこの辺りの武蔵野も、荒涼とした枯野であったのかもしれない。

 門前の土産物屋は人出もなかったが、竜の藁細工に冬日が当って長閑な風景
だった。



 感傷に浸っている私を尻目に、カミサンは孫の顔見たさでうずうずしていて、
早々に寺域を後にすることになった。


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