[復刻版] 東南アジア紀行[3] エレクトロニクスのA社とJETRO訪問
(マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
1997年8月26日(火)~9月4日
※以下は当時(1997年),執筆した原稿のままである.
東南アジアの取材旅行終えて,早,半月ほどが過ぎようとしている.まことに月日の過ぎ去るのは早いものである.もう,新学期が始まる目前である.
(2012年注)当時FHは某大学の学部と大学院で「経営情報システム論」の講義・実習を担当していた.
この時期には,例年,大学恒例の1泊の研修教授会が開催される.今年は,箱根で18~19日の2日間、開催された.19日には,ちょっとばかりエスケープして,ARENAの皆様にはお馴染みの「鳥打帽」先生と2人で,芦ノ湖の西岸のハイキングコースを,3時間余りかけて歩き回った.そして,早秋に色付き始めた湖畔の森を十分に堪能した.その間,一組のグループに会っただけであった.
何時訪れても,箱根の自然は,繊細で美しい.マレーシアやシンガポールの燃え立つような雑然としていて大まかな緑を見てきた眼には,箱根の緑は,正に芸術品のようにデリケートに見えるてしまう.
これまで東南アジアにおける日系企業の生き様を垣間見てきた私には,この自然の差が,そのまま日本人や東南アジアの方々の生き様に反映しているように思えてならない.日本人の持つデリケートさが(実は,それと同じぐらいの無頓着さもあると思うが,それはさておき),製造業で強みを発揮している源泉のような気がしてくる.
さて、本題に入ろう.
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第3話 調査開始
第2日目;1997年8月27日(水)
■バイキング形式の朝食
早朝,3時50分に目が覚める.クアラランプールでの最初の朝である.一瞬,寝ぼけて,自分が何処にいるのか分からなくなる.ややあって自分がクアラランプールのホテルの一室にいることを認識する.東京とは時差が1時間ある.従って,日本の標準時では,本当は,もう4時50分の筈である.それならば,平素,起床する時間なので,目覚めるのも当たり前だと納得する.
外は,まだ,真っ暗.ずいぶんと明るくなるのが遅い.
それにしても,今,起き出すには早すぎる.やむなく,無理に目をつぶり眠ろうとする.でも,すこしウトウトとするが,すぐ眼がパッチリとあいてしまう.どうしても間が持てない.6時には,たまらず起き出してしまう.
まずはシャワーを浴びて,寝汗を洗い流す.漸く7時.朝食の時間になる.
やっと,外が明るくなり始めている.早速,3階のプールサイドにあるレストランへ行く。レストランに入る.
黒い服を着たウエイトレスが,私を見ながら,ボデーランゲージで,
「一人か?」
と指一本を立てて聞く.
"Yes! please. No smoke !!"
と私は念を押す.
朝食はバイキング形式である.西洋料理とインド料理が中心である.何時も感じるが,このバイキング形式の食事が曲者である.ついつい欲張って,沢山の食べ物をお皿に取りすぎてしまう.その結果,体重増が気になる.私は自重しながら,なるべく低カロリーで,野菜を中心に食べ物を選ぶことにする.
卵がある.前回,台湾の高雄へ行ったとき,生卵をゆで卵と間違え,不用意に割って,食卓をどろどろにしてしまったことを思い出す.そこで,今回は,自分が手にしている卵が,確かに「ゆで卵」かどうかを念入りに確かめる.
席について暫くすると調査団のリーダ「真面目」がレストランに現れ,私の席の隣に座る.
内心では,
「何も,よりによって,私の隣になんか座らなくても良いのに・・・」
と思うが,そんなことは言わない.
「真面目」と一緒に朝食を摂りながら,本日以降の調査の詳細の再確認をしたり,報告書のまとめ方,執筆分担などについて,軽く打ち合わせをする.
調査初日の今日は,午後から2社を回ることにしている.ただし,午前中は調査先とのスケジュール調整の都合で空きになっている.従って,本日は,10時40分にホテルを出発して,途中で昼食を摂ってから,クアラランプールから遥か南西にある第1の訪問先へ向かう予定である.
■朝のクアラルンプール散策
まだ,出発まで若干の空き時間がある.
ゆっくりと朝食を摂った後,レストラン近くのプールサイドを一周する.このプール,ブーメランの両端に丸みをつけて,ぎゅっと押しつぶしたたような形をしている.
白人のカップルがタオルにくるまったままプールサイドのチェアーで,じ~っと抱き合っている.
調査に出発する前に,「真面目」とロビーで落ち合って,小1時間,ホテルの周辺を散策する.われわれのホテル"The Regent Kuala Rumpur"は,サルタンイスマイル通りとブキットビンタン通りの十字路に位置している.つまりクアラランプール中央駅から約4キロメートルほど東である.どうやら繁華街のド真ん中らしい.ブキッドビンタン通りを西南西の方向に歩いてみる.この大きな道を挟んで,ホテルの真向かいに伊勢丹が見えている.
伊勢丹を左手に見ながら,ほんの1~2分進むと大きな交差点がある.サルタンイスマル通りとの交差点である.横断歩道のマークあるし,信号機もついている.道路を横断して,真っ直ぐ歩き続けたい.
ところが信号が「青」なのに人も車も動かない.私達は信号が「青」なので,道路を渡りたいと思うのだが,みんなが停まったままである.そこで,私達も,やむなく立ち止まったまま.
その内に,信号が「赤」になる.それなのに,自動車や人が動きだす.一寸目には,完全に「赤」「青」が反対になっているようである.私達は,納得のいかないまま,1~2分,辺りの様子を伺う.
すぐに.事情が飲み込める.実は,この大きな交差点の真ん中で、1人の警官が,手信号で交通整理をしていたのである.したがって,警官の手信号とは全く無関係に,信号機が「赤」「青」「黄」を繰り返している.
別に突発的な事故があって,手信号をしているわけでもなさそうである.警官の手信号は,多分,いつもの平凡な情景なのだろう.
「これで,みんな、良く混乱しないな」
が私の街角での第一印象である.こんな,ちぐはぐな風景は,日本では,滅多に見られないだろう.警察官が手信号で交通整理するならば,信号機は消しておくか「黄」または「赤」を点滅させておけば良いのにと,余計な心配をする.
ともあれ,広い歩道を散歩するのは気持ちがよい.多少,蒸し暑いのに閉口するが,10分ほど歩き続けると,賑やかな街も寂(サビ゛)れてくる.歩道は、ところどころ痛んでいる.それに全体が何となく油っぽいところが香港や台湾の街角に似ている.街を行く人たちの服装はこざっぱりしていて,明るく,清潔そうである.それに街角に野良犬もいない.ここがタイとは決定的に違う.交差点では,確かに車優先なので,現地の人たちの後を追うようにして恐る恐る渡る.街角のあちこちにおびただしい数の日本企業の広告が見える。 やがてプドウ通りの角まで来た。角に映画館がある。パビリオンシネマという看板が掛かっている。北方の数百メートル離れたところに、東洋一高いと言われるのっぽビルが見える。もう、ホテルから、かれこれ500~600メートルほども歩いたことになる。そろそろ心細くなってきたので、ホテルに引き返すことにする.
■ Hotel Water Frontで昼食
10時40分が集合時間。.の時間に合わせて,私はロビーへ降りる.
全員揃ったところで,午後の取材の打ち合わせと,注意事項の再確認を行う.ガイドの王さんは,約束の時間より,大分前にロビーへ到着している.パンクチュアルで好感が持てる.
11時出発.われわれを乗せたバンは高速道路を一気に南下する.片道3車線の素晴らしい道路である.3車線の外側にはバイク専用の道路がもう1車線作られている.
日本人墓地の脇を通り過ぎる.車は心地よいほど,どんどんと飛ばす.空は朝から一面に曇っている.聞くところによると,マレーシアでは9月から雨期を迎える.そうなると,毎日雨になるという.
そういえば,タイのバンコクでは,至る所で見られたスラム街が,ここでは見当たらない.クアラランプールは,やはり,タイとは生活水準が決定的に違うことを実感する.
11時50分.昼食を摂るために,途中で,"Hotel Water Front" の1階にあるレストラン「紅焼天九翅」に立ち寄る.入口の広場に「泊車2ドル」という看板が立っている.多分「泊車」は「駐車料」の意味だろう.レストランの入口の壁には,
RESTORAN ××× とマレー語で表示してある.レストランのスペルに"O"が入っているのが奇抜である.そういえば,一見,日本のローマ字を思わせる表示が,あちこちで見掛けられることに気付く.ガイドに聞くと,マレーシアでも,近年,ローマ字を表音文字として使うのが一般的なようである.また,街角で漢字も見掛けるので,れわれ日本人にも違和感が少なく,何となく親近感が涌くところでもある.返って洪水のように漢字が押し寄せる台北や香港の街中より,、適度に漢字とローマ字が混ざっているクアラランプールの市街地の方が,私には落ち着けるような気がする.
レストランに入ると,「定座」とかいてあるコーナーに案内された.「定座」はいうまでもなく「予約席」のことである.ガイドが道すがら,席を予約しておいたらしい.一皿200円の飲茶(ヤムチャ)を適当に注文する.ガイドが自慢していたように,確かに美味しい.また,シナ茶がやたらと旨い.たらふく食べて,2,000円/人はお値打ちである(最も日本円に換算しての話なので現地の方には,ベラボーに高い食事なのかも知れない).
レストランの壁には,大きな赤い字で,
「特別聘請金舞台○△OK多位歌星演唱懐旧歌曲」
定於 22-8-97 和 30-8-97 時間 晩上8時
と書いていある.ただし,「○」は「上」と「下」を重ねて真ん中の棒を一本省略した字(注;2010ATOKには「卡」が入っている).「△」は「手」編に「立」という字である.こんな「へんてこな」字は,私の愛用する一太郎V.6.3にはない(注;ATOK2010には「拉」が入っている).つまり「○△OK」は,「カラオケ(卡拉OK)」のことである.途中から,ローマ字の「OK」が入るのが,いかにもユーモラスである.そういえば,つい先日訪れた台湾でも,カラオケのことを「・・・OK」と標記していたのを思い出す.
■高速道路を南下
12時45分,レストランを出発.
立派な高速道路を,引き続き南下する.赤白のストライプと三日月に星を印刷した旗をなびかせて走っている車がやたらと多い.これはマレーシアの国旗である.マレーシアの建国記念日(8月31日)が近いので,国旗を飾った車が多いのだという.
13時近くになると、大きな新興住宅地が見え始める.どの住宅も2軒から4軒が連なる長屋風になっている.大きな平屋建てである.住宅開発で,見事に緑がなくなっているのが,大変残念である.緑を失ったことを,後になって,きっと後悔するだろうと確信している.
ところどころに古くて粗末な家も混じっている.でも,粗末に見える家が,見事に自然の緑野中に溶け込むように見える.もし,私が住民ならば,多少不便でも,多分,緑豊かなボロ屋を選ぶのではないかと思う.
住宅地が過ぎると,また,椰子の林が延々と続く.この椰子には黒い実がなり,これが「椰子油」の原料になるのだという.
小学校の脇を通り過ぎる.頭から布を被った子供達が,三々五々,家路についている.頭の布を見て,改めて,ここは回教の国だったと再認識する.
■大手エレクトロニクス会社を見学
13時10分.「ソカさん」にお世話いただいた大手エレクトロニクス会社の現地法人A社工場に到着する.工場内には,
"Challenge to the best!"
という標語が掲げられている.
小集団活動やTQCなど「日本的経営」といわれる手法が,ここでも息づいてるようである.5Sが日本語のまま,工場内のあちこちに掲示されている.生半可な英語を使うより,日本語のままが明確で良いという.
同社では,中堅管理者と技術者不足が悩みの種だとのことである.それにジョブホッピング.
最近,マレーシアの人件費も高騰している.マレーシアの人件費は,すでにインドネシアの5倍程度に達しているという.同様な悩みを,昨年,タイでも伺っている.
ここでの取材は,大変、興味深いものだった.
マレーシアは多民族国家である.そのために,食べ物の習慣も多種多様.そこで,この会社では,食堂を「マレー系」「中華系」の二系統を併設しているという.また,回教徒の従業員のために,お祈りのスペースを提供したり,お祈り時間の配慮をしているという.
このフォーラム(注;ARENAのこと)では,残念ながら,これ以上の調査内容を,現時点でご披露するのは困難である.
■JETRO訪問
15時.とんぼ返しで,これまで南下した高速道路をクアラランプールへ向けて北上する.あまり激しい渋滞もなく,16時頃,JETROに到着する.
途中,再び,小学校の側を通る.
高学年らしい数人の女の子が,広い歩道で,ランドセルを放り出して,頭から被った布をなびかせながら,ゴム飛びに夢中になっている.その仕草は,日本の小学生と何ら変わらない.
屈託なく遊ぶ姿は,本当に可愛いい.暫く様子を見ていたいなという衝動に駆られる.
ガイドの王さんに伺うと,マレーシアでは先生の数が不足していて、小学校は二部制になっているとのことである.
当初,旅行社の手配ミスもあって,JETROからは冷たい出迎えを受けるものとばかり思っていた.しかし,実際に訪れてみると,出迎えたJETROのA氏のご子息が,私たちの大学を卒業していることもあって,大変親切に応対していただいた.そのために,予定時間をオーバーして,懇切丁寧に,さまざまな話題をお伺いすることができた.また,沢山の資料を根気よく探していただいた.
第3回おわり
(第4回につづく)
************************************
[資料編]マレーシアの概況(続き)
出典:JETROマレーシア
(2012年注)これらのデータは1997年のもの.現状とは大幅に違って入る可能瀬あり.
2.政治
(1)政体 立憲君主制
(2)元首
トゥアンク・ジャアファー国王(ネグリセビラン州のサルタン)
1994年即位。任期5年。9州のスルタン会議の互選。
国王はイスラム教の主長であり、
a.内閣総理大臣を任命
b.国会を通過した法律の裁可
c.内閣の助言にもとづいて、行政権その他憲法および連邦法で定められた行為
の実施
d.陸海空の三軍の統率 を行う。
(3)連邦政府
a.議会
二院制。選挙権は21歳以上、被選挙権は上院が30歳以上、下院が21歳以上。
b.上院:69議席(内、43議席は国王が任命、26議席は州議会選出)
c.下院:192議席。任期5年。1995年4月、第9回総選挙実施。
与党
国民戦線(BN) 168(議席)
新統一マレー国民組織(UMNO) 95
マレーシア華人協会(MCA) 30
マレーシアインド人会議(MIC) 7
マレーシア人民運動党(GERAKAN) 7
サラワク州BN 25
サバ州BN 3
無所属 1
野党 24
民主行動党(DAP) 9
サバ統一党(PBS) 8
凡マレーシア回教党(PAS) 7
(4)歴代首相
与党連合が、独立以来、一貫して、政権を維持している。
第1代目首相 Tuku Abdul Rahman (1957-1970)
第2代目首相 Tuku Abdul Razak (1970-1976)
第3代目首相 Tun Hussein Onn (1976-1981)
第4代目首相 Datuk Seri Dr Mahathir Mohamad (1981-現在)
(5)建国の理念
国是5項目は以下の通り。
a.神への信仰
b.王と国家への忠誠
c.憲法の尊重
d.法の支配
e.相互尊重と良き社会行動
(6)外交
外交は以下の5点に集約できる。
a.ASEAN諸国の中心とする近隣諸国との協力推進(ミヤンマーに対しては建設的協力
の推進)。
b.イスラム諸国との協力
c.非同盟中立
d.大国との等距離外交
e.自由主義諸国との協力
(7)司法
三権の一つとして独立した地位。
連邦裁判所-高等裁判所-控訴裁判所、治安判事裁判所、少年審判所、地区長裁判所。
回教徒法定はスルタンの管轄下にあり、相続問題、回教道徳違反など限られた刑法分野で扱う。
<資料編は次回へ続く>
「東南アジア紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/93892c4a48cecd5fd2cb6fe4560a7c6b
「東南アジア紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/019387eeb0e9fdb31f96da893bf15537
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