[復刻版] 東南アジア紀行(2):クアラランプールへ到着
(マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
1997年8月26日(火)~9月4日(木)
第1日目:1997年8月26日(火)
■調査先を何処にするか苦労する
私たち関係者が,今回の調査旅行の準備に具体的に取りかかったのは,今年(1997年)、6月頃のことであった.過去,数年にわたり,東南アジア諸国で健闘している日系企業の実態調査をしてきたので,今年こそ,一連の調査に区切りをつけたいと思っていた.そこで、未調査のマレーシアとシンガポールに焦点をあて,実行計画を立案することになったのである.
昨年のタイ調査の際は,大げさに言えば,正に地獄のような交通渋滞の中で,極めて多くの時間を,無意味に調査先との往復の自動車の中で過ごしてしまった.今年こそ,そんな過ちを繰り返さないように,慎重に訪問先を選定するつもりであった.とはいえ,なるべく日本の代表的な企業、それも製造業を中心に調査したいという願望は強かった.
そこで,マレーシア,シンガポールの両地区で積極的に事業を展開している企業や,JETROなどに,団員が手分けしてアレンジメントを進めることになった.私は成り行き上,日本のエレクトロニクスの代表的企業であるA社,およびISでは定評のあるB社,およびジョホールバル近郊の工業団地のアレンジメントを引き受けることにした.
A社といえば,これまでも海外,国内を問わず,各種の調査旅行に協力していただいた「ソカさん」を経由して,現地に依頼するのが近道である.なぜならば「ソカさん」は,元A社の幹部社員であり,実務経験を買われて経営学では名門の某大学の教授として迎え入れられた方だからである.
私たちは,いろいろ行きたいところがあるが,とりあえずはクアラランプール市近郊に所在する企業に重点を絞りたかった.クアラランプール北方にあるペナン地区へ行けば沢山の企業が立地しているのは承知していたが・・・・・・
ところが,いざ所在地を知ろうとすると,マレーシアの詳細地図の入手が意外に困難なことが分かってきた.そこで,とりあえずは大雑把な地図を頼りに,各種資料から,調査したい企業を選び出し,その中から,何となくクアラランプール市近郊と思われる所在地が記載されているところを選び出して,それぞれがコンタクト先を分担して,アレンジを進めた.
■出発前の混乱
ある日,某学会の研究部会で「ソカさん」に会った.「ソカさん」は,
「クアラランプール近郊にあると思っていたA社の所在地は,偉く遠いところにあるらしいですよ.どうやらタイ国境付近のようです」
というのである.
私は驚いた.
すでに,大まかなスケジュールでは,クアラランプール滞在後,シンガポールへ移動することで航空機やホテルの手配を済ませてしまっている.最早,大幅なスケジュール変更は不可能に近い.とはいえ,訪問先が遠いならやむを得ない.ペナン地区に立地するA社,B社の見学に切り替えようかと,あたふた,団員と相談を開始した.そうこうしている内に,数日が過ぎた.
そんなときに,「ソカさん」からメールが入り,
「いや~,実はA社の所在地は,クアラランプールから北に自動車で1時間半ばかり行ったところのようです.国境ではなく,日本でいえば県境のようなところにあるらしいです」
という情報がもたらされた.実は,この種の不確定情報に,これまでも翻弄され続けていた.
後日談として,この会社は,実は,クアラランプールの北ではなく,南に位置していた.しかもA社はクアラランプールの近郊にあった.ただ,交通渋滞にはまると,時として,市内からA社まで,小1時間かかることがあるということであった.
一方、「真面目」はJETROなどをアレンジしていた.ところが,現地の旅行社が,どこか間違った機関にコンタクトしてしまったために,飛んでもない誤解をしたまま,われわれは旅立つことになってしまった.この事の顛末は,次回以降のしかるべきタイミングで披露するつもりである.
そんなこんなで,実は,出発前に準備には,かなりの混乱や,不手際なことが発生してしまった.そのため,振り返ってみると,
「実際の旅行より,準備の方が大変だったな」
という実感がわく.しかし,こんな準備段階の話は読者の皆様には興味がないだろう.
■成田空港へ
出発日の前日,8月25日の真夜中,零時31分に「ソカさん」から,電子メールが入った.
「日本での最後のメールです.8/26ですので忘れないように横浜発8:26の成田エクスプレスで参ります.それではクアラランプールでお会いしましょう」
というメッセージである.
成田発の飛行機は,JAL723便,13時00分発クアラランプール行である.
横浜8時26分発成田エキスプレスで行くとなると,私の当初の予定よりも,約1時間ほど早く成田に着く勘定になる.
主宰者の1人として,私は「ソカさん」よりも早く成田へ着きたい.しかし,私は残念ながら成田行の特急券は手配していない.
出発前日の寝がけに,そそくさと荷造りをした.荷造りといっても,パスポートと航空券をバッチリ確認するだけで,あとは適当に着替えをトランクに放り込むだけである.
度々,海外旅行をしていると,どうしても準備が面倒で,物臭になってしまう.
特急券は買ってないので,やむなく大船を7時17分頃発車する成田行の普通列車で,成田へ向かうことにする.自宅から湘南モノレールの最寄りの駅までは,例によって,引っ張るとガラガラと大きな音の出る安物のトランクを引っ張っていった.
成田までの列車は通勤時間帯に掛かっているので混んでいそうである.そこで,グリーン車を奮発する.グリーン車の中には,大きな荷物を持った乗客が、結構、沢山乗っている.
成田駅で「ソカさん」を待つ.そして,一緒に出発ロビーへ向かう.当然のことながら,まだ,同行者のの誰も来ていない.しばらく一行の到着を待っていたが,「ソカさん」は窓際の席を確保したいし,私は通路側の席が欲しい.取りあえずは,2人で搭乗手続を済ませてしまう.同行者とバラバラの席でも一向に構わないと思っている.私は,禁煙席(2012年注;当時は機内に喫煙席があった)の最後部に近いところで,飛行機の胴体が括れ(クビレ)始めた部分の席を確保する.この辺りになると通常は3列の席が,窓際と通路側の2席だけになっていて,気分的にもユッタリする.
私たちが席を確保してから約1時間後,全員が揃そろう.飛行機が混雑していたために,結局は,全員バラバラの席となってしまう.
秀逸なのは「ゴムゾーリ」の出で立ちである.
ジャージ姿で,ゴムゾーリを履いている.そして,機内で必要な最小限度の品物だけを,スーパーのポリ袋に入れてぶら下げている.どう見ても大学教授には見えない.
「だって,ポリ袋が一番軽いんだもの・・・」
と平気である.
JALのスチュワーデスが見かねて,真ん中に黒くJALのロゴが印刷されているボリエチレン製の手提げ袋を「ゴムゾーリ」に手渡す.「ゴムゾーリ」は,嬉しそうに「にたにた」しながら,ポリ袋をそのまま手提げ袋の中に入れる.
■シンガポール行の機内
クアラランプールまでのフライトは快適であった.
「ソカさん」は窓際の席に収まって嬉々としている.
いつも東南アジアへ旅行するときに感じるのだが,日本列島は意外に長い.いつまで飛んでも,ず~っと日本の領空内である.クアラランプールまでの全行程の約半分は日本の領空を飛んでいる勘定になる.
JALの機内食は,やっぱり上々である.食い物のことは,いろいろ書きたいが先を急ごう.ただ,ビーフかシーフードのチョイスがあっただけ触れておこう.
退屈したのか,「ゴムゾーリ」「真面目」「貴公子」達が,入れ替わり立ち替わりわれわれの席を訪れる.皆,席がバラバラなので退屈しているようである.
退屈紛れに,機内免税品のカタログを見る.その内に,カタログの中にある綺麗な扇子が目に入る.
この扇子,「四季花鳥図絵」という.花の名前は正確には分からないが,葉ケイトウと思われる赤紫の花が左手に一輪,すみれ草のような紫の花が右半分に咲き乱れている図案である.江戸時代の酒井抱一の筆である.東京国立博物館が発売元になっている.私は思わず見とれて,3000円也のこの扇子を購入する.高いか安いか分からないが,今回の一連の旅での私の唯一の買い物になった.
「ソカさん」も,私につられて・・・というわけではないだろうが,この扇子を購入する.
その後、「ソカさん」は盛んに,窓外の風景を写真に収めている.
飛び始めて2~3時間も経っただろうか.スチュワーデスが窓のブラインドを閉めるように言いまわる.映画を上映したり,疲れた人に眠って貰うためだろう.私は、もともと外の景色には,あまり興味がない.だから自分から希望して通路側の席をとっている.でも外の景色に興味がある「ソカさん」は,ブラインドを閉めるのに不満である.ときどき,気付かれないように"そぉ~っ"と,ブラインドを少し開ける.途端に明るい陽光が「さぁ~っ」と放射状に,暗い機内に漏れる.その度に,隣の席の私はハラハラする.
「ソカさんは,子供みたいな方だな」
と,私は勝手に思っている.
機内が静かになったところで,私は早めにトイレに行く.
これまでの外国旅行の経験から,大抵の人は,搭乗直前にトイレに行くらしく,機内のトイレは,離陸後,3時間ほど経ったときに,必ずラッシュアワーのように混雑する.だから,意識的にトイレ時間をずらすのである.これも,生活の知恵というのだろうか.
隣の「ソカさん」にも,トイレの時差利用をお薦めする.
■時間が掛かる入国審査
私たちの飛行機は,やがてクアラランプールの上空に差し掛かる.
窓外を見ていた「ソカさん」が驚いている.至る所で,大地が掘り返されているという.私も身を乗り出して,窓を覗かせて貰う.
なるほど,至る所で,緑の大地が掘り返されて,無惨にも赤土が露出している.自然破壊もここまでくると言葉もない.赤土の連続には何ともいえぬ強烈な印象を受ける.
クアラランプール空港には,予定通り18時30分頃到着する.ただし,日本とマレーシアの間には1時間の時差がある.したがって,約6時間余りのフライトだったことになる.
クアラランプールの国際空港の建物(注;1997年当時のこと)は,それほど広くないが,赤や黄色の装飾や壁がやたらに目立つ.なんとなく華やいでいる.やはり、「異国へ来たな」という強い印象を受ける.
入国審査が大変である.
5~6ヶ所,窓口があるが,どの窓口も30~40人の待ち行列になっている.何をやっているのか知らないが,とにかく時間がかかる.1人当り5分程度はかかっているのではないかと思う。ここを通過するだけで,2時間ほども掛かる.超のろのろの審査に苦情をいいたくなるが,窓口の前に,
「お待たせして申し訳ありません.現在,システムを改良中です」
という言い訳の英語の掲示が貼ってある.
(注)翌年,1998年にクアラルンプールを訪れたときには,新しい空港が開港していて,入国審査も円滑だった.
手荷物検査場では,若い税関の女性職員が,ぶっちょう面(ズラ)をして,訪問先に持参する15個ほどのお土産の包みを開けろという.やむなく包みを一つ開けると,面倒くさそうに
「全部同じか?」
と聞く.
「そうだ,同じだ」
と答えると,
「OK!・・・・OK!・・・」
と早く通れとばかりに,手で合図をする.私は心の中で「くそったれ!」と悪態をつく.
この空港,どうも係員の笑顔が見えない.そういえば,2年前に訪れたシンガポールの空港でも,係員が"ぶっちょう面"していたのを思い出した.
■出迎えの王さん
漸く空港の外に出ると,現地旅行社の王(ワン)さんが「○○大学様」と書いた紙を持って待っていた.王さんは,30歳台前半の好青年である.少々たどたどしいが,上手に日本語を話す.日本語は,約1年の勉強でマスターしたという.
それに較べて,こちとらは何年も英語を勉強しながら,結局,ろくに英会話ができない.思わず恥ずかしくなってしまう.
王さんには,クアラランプール滞在中,ず~っとお世話になる予定である.
われわれは手荷物を,2台の荷車に載せて,早足で歩く王さんの後を追う.荷車を押しながら,空港左手の狭い坂道を50メートルほど登る.そこにバンが1台停まっている.ワン山の指示で,このバンに乗車する.
道すがら,王さんが,いきなり説教調で,われわれに長々と注意を始める.
「・・・・まずボーイさんへのチップですが,荷物1個あたり1マレーシアドル渡して下さい」
「・・・・・生水は飲まないで下さい.別に汚いわけではありませんが,日本の皆さんには胃腸が弱い方が多いので,生水を飲むとお腹を壊すことがあります」
王さんのお説教は尽きない.
「マレーシアは車優先の社会です.道にはほとんど横断歩道はありません.だから十分気をつけて下さい.どうしても道路を渡らなければならないときは,現地の人が道を渡るときに合わせて渡って下さい・・・・また,ホテルでは貴重品は,必ずセフティボックスに入れて下さい・・・・・・ホテルのメードへのチップは,毎朝,1~2ドルおいて下さい・・・」
ところで・・・・
そんなことを言われても,空港に到着するや否やバンに押し込められてしまったので,現地通貨が全くない.
「これは困ったな!・・・・」
と思った途端,
「もし,皆さんさえ宜しければ,多少の現地通貨を準備していますので,お取り替え致します.ホテルのレートより有利に交換いたします.1万円で224マレーシアドルでいかがですか?・・・・・・」
これには良いも悪いもない.全員,とりあえず1万円/人ずつ両替をする.
始めて見る夜のクアラランプールの市街地は,道幅が広く,街路樹が豊かで,明るい.何となくシンガポールに似た印象である.それほど,ひどい交通渋滞はなく,空港から40分ほどで,われわれが滞在するホテル,ザ・リージェント・クアラランプール(The Regent Kuara Rupur)に到着する.
ここは,市内の中心地にある五つ星の豪華ホテルである(でも,料金は比較的安い).
チェックインしたときは,もう20時50分を過ぎている.
王さんが,各自に部屋の鍵を渡している間に,私は,バンの中で両替した現地通貨を調べる.お札ばかりで小銭が足りない.すぐキャッシャーの所へ行って,お札を両替する.
"Small change, please・・・・"
をやる.みんな真似をしてチェンジスモール.
そういえば,去年,タイへ行ったときも,最初の日に,私が代表してチェンジスモールをしたことを思い出す.
■マレーシア最初の夜
さて,夕食.その前に,全員でホテルの近傍を散歩してみる.
ホテルのすぐ近くにセブンイレブンがある.私は,早速,1.5リットル入りのミネラルウオーターを購入する.このミネラルウオーターのボトルには「霧山天然硬流水」と漢字入りのラベルが貼ってある.1本の値段は,RM3.30であった(1RMは約46円).アメリカからの輸入品である.
遅い夕食は,レストランを探し回るのが面倒なので,ホテル1階のレストランで摂る.
まずはワイン.夜が遅いのに,飲み始めれば,だんだんと盛り上がってしまう.
私はお腹が空いていないので,シュリンプ入りサンドイッチだけを注文する.大きなお皿の左側にサラダ,中央にサンドイッチ,右側にフライドポテトがどっさりと山盛りにのっている.これを全部食べたら,確実に体重が増える.ただでさえ運動不足なのに・・・
フライドポテトは,全員に分けてしまう.一行7名の内,3名は,こんな深夜に,フルコースでバンバンと食べる.最初は,各自,食事代を支払う積もりだったが,酔う程に,何が何だか分からなる.面倒だから,割り勘負けを承知で,均等割りにする.それでも,1人当たり2,000円足らずで済む.しかも,結構,美味しかった.
部屋に戻る.
酔眼ながら,ホテルルームの間取りをしげしげと眺める.
ダブルベットが2台.でも,独り寝.何だか侘びしくなる.
事務机の上に綺麗な紙袋が置いてある.何かなと思って中を覗くと,洗剤,シャンプー,ボデーフォームのセットが入っている.これらは,明後日,訪問する予定のB社からの差し入れである.訪問先の窓口担当者の方の名刺と挨拶状が添えられている.この窓口の方の親切な心遣いに,思わずホロリとなる.
__
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄| ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄|
/ | ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄| |-- +---+| |
窓 / ○ | || | | ○ 洗面 | |
//\ | || | |トイレ | バス |
/ \/ | ダブルベッド | |--+ | |
/ ○ 応接セット | || | |シャ | 入口 | |
\ |___||___| |ワー ↑ _ __|___|
\  ̄ ̄ ̄ |
\ ←|
窓 \ 事務机 ○ テレビ 冷蔵庫 クローゼット 入口|
\ +-----+--+ | ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄|
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セフティボックス
ユーティリテイは寸法が大きく、シャワーも付いている。でも、洗濯物を干す紐がが付いていない。普通はバスの上に付いているものだが・・・・ 高級ホテルに泊まる人間は自分では選択しないものかな?
セフティボックスもある.番号を自分でセットするようになっている.折角,番号をセットしても,その番号を忘れたら面倒だ.そこで、私はサラリーマン時代に会社で使っていたマンナンバーを,そのまま利用することにする.
冷蔵庫には色々なものが入っている.小さなボトルながらミネラルウオータが置いてある.これは無料のようだ.林檎と梨が置いてある.これも無料のようだ.
三角に飛び出た広い窓がある.日本の都会の比較したら夜が暗いようだが,それでも,あちこちにネオンの輝きが見える.ただ残念なことに,随分と長い間,窓ガラスの拭き掃除をしていないらしく,ガラス一面に泥がこびり付いている.
室内には,強い冷房が利いている.寒い.
「これはたまらん・・・・」
と冷房を「弱」に切り替える.もうバタン,キューである.
それでも寒いので,夜中に目が覚めてしまう.ついに冷房をオフにする.
第2回終り
[資料編] 出典:JETROマレーシア
マレーシアの概況[1]
1.基礎事項
(1)位置
赤道北方(北緯3度前後),熱帯性気候(年間通じて25~33度)
(2)行政
首都:クアラランプール
半島11州、東マレーシア2州、合計13州からなる連邦制.内,9州はスルタン制である.首都およびラブアン島は連邦直轄地.
(3)面積
約33万平方キロメートル(日本の面積の約90%)
(4)人口
1995年現在,2,069万人.約80%が半島部に居住している.首都の人口は約115万人.
(5)民族
マレー系を中心とするブミプトラ(土地の子の意味)が58.8%,中国系26.2%,イ ンド系7.5%,その他7.5%.
(6)言語
マレー語,中国語,タミル語,英語,その他.
(7)宗教
イスラム教,仏教,儒教,ヒンズー教,キリスト教,原住民信仰
(8)略史
1957年8月31日 英国からマラヤ連邦独立
1963年9月16日 マレーシア連邦成立
1965年8月 9日 シンガポール独立
1969年5月13日 人種対立事件
<マレーシア概況は次回に続く>
第2回終わり
「マレーシア紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/69089d3ed134b200e641d549e9f62a9c
「マレーシア紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/485186f1b29c61d51b0a61acde1d1bbf
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