[復刻版] 東南アジア紀行(1):プロローグ
(マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
1997年8月26日(火)~9月4日(木)
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はじめに
私のブログにアクセスしていただいた皆様へ
誠に迷惑なことと思いますが,このところ私は,あちこちに散乱している過去の資料を,今のうちに,ナントカ整理したいなと思っています.その理由は,資料をメチャメチャにしたままでは,目出度く往生できそうもないなと心配になったからです.
そんなわけで,このブログを使って,まずは3.5インチフロッピーディスクに貯まっている資料の整理を始めます.その第1号が,今回からときどき登場させていただく『東南アジア紀行』です.
ここで登場させるのは,もう古い古い資料なので,現状からはかなりかけ離れた内容になってしまったと思います.しかし,私にとっては大切な資料です.
申し訳ありませんが,ご不快のようでしたら,このシリーズはスキップしていただけますようお願い致します.
なお,この当時は,デジカメのような便利なものはなかったし,なにせフロッピィディスクの時代ですから,写真も殆どありません.そんな点をご容赦いただきお付き合い下されば幸いです.
内容は,1997年に書いたものを,そのまま投稿しています.
蛇足ですが・・・この記事は研究報告ではありません.単なる雑記です.
**********<以下は当時のままの記事>*********
さて,皆さん.
(2012年の注)ここでいう「皆さん」とは,ARENAオフミのメンバーのこと.
この度,8月下旬から9月初旬にかけて,マレーシア,シンガポールを駆け足で旅行して参りました.訪問先の企業・団体は15ヶ所,入手した資料の厚さ約15センチメートル,本番の取材メモは大学ノート2冊,旅行中のゴシップメモは2冊でした.炎天下(と言うほどでもなかったが),ほとんど取材に明け暮れていたため観光はホンの一寸だけでした.でもガッチリお土産屋2軒に連れ込まれました.勿論,私は何も買いませんでした.
A×××の皆さん!
そこで,このゴシップメモを題材にして,数回にわたり,この会議室で「東南アジア奇行」と題して,さまざまな話題を提供したいと思います.「紀行」でなくて「奇行」ですから,話題の内容の正確さには,一切責任を持ちません.また,登場人物も「全てバーチャル人間」であることを,特に,特に,特に・・・強調しておきます.同時に,このシリーズの内容について,お読み頂く皆様から「疑念が生じた」場合は,直ちに連載を中止して,全文を削除いたします.
お読みいただく方の中に,
「これは自分のことではないか?」
と疑念をお持ちになる方が,万一居られたとしても,それは全く違います.すべて私の創作人物であることを,くどいけれども,何回も,何回も,強調し,強調し,さらに明記しておきます.
さて,これから本文に入りますが,プロローグのあたりは真面目に書こうと思っています.
また,本文に入った後は,「・・・・・である」調の文章に致します.
では,始まり・・・・
*********************************
第1話 プロローグ
1.調査旅行の概要
(1)調査目的
東南アジアにおける日系企業の実態調査を目的としている.
(2)調査地域
これまで,過去,数年にわたり,韓国,香港,台湾,中国経済特区(深せん,珠海),タイにおける日系企業,現地資本の企業などを調査してきた.
今回はマレーシア,シンガポールを調査対象地域にした.
(3)調査期間
1997年8月26日(火)から9月4日(木)まで,10日間
8月26日 成田発→クアラランプール着(JAL)
8月30日 クアラランプール発→シンガポール着
9月 3日 シンガポール発
9月 4日 成田着(JAL)
(4)調査団メンバー(7名)
K大学 A教授以下,B,C,D教授,E助教授,F専任講師,
KB大学 G教授
※本文中では「真面目」「ゴムゾーリ」「瘋癲」「貴公子」「ソカさん」などの愛称で登場するが,これらは
バーチャル化した人物なので,上記の方々と1対1に対応してはいないことを,あらかじめ,くどいように
明記しておく.
(5)調査項目
主要調査項目は以下の通りであった.
1.現地進出の目的と動機
2.進出先の政府の規制(環境に対する配慮,税制など)と優遇措置
3.外注企業との関係
4.現地従業員の意識,雇用状況,教育水準など
5.日本からの技術移転と設備投資の状況
6.原材料・部品等の調達方法と製品の販路
7.道路,港湾,上下水道,電力,通信などのインフラストラクチャの状況
(6)調査対象企業・団体
次に示す企業・団体・地域を,15ヶ所,訪問調査した(順不同).
マレーシア シンガポール
Ko社 ○ ○
N社 ○ ○
M社 ○
T社 ○
D社 ○
H社 ○
S社 ○
Y社 ○(会食)
Kn社 ○(会食)
JETRO ○ ○
日本商工会議所 ○
パシアグタング工業団地 ○
なお,これらの企業名は,このフォーラムにアップする際は,これ以降,原則として,全て名前を伏せる.ただし,公刊されている新聞・雑誌等に掲載されているものは実際の企業名で記述することもある(出所をできるだけ明記する予定).
(7)調査結果の公表
○○大学○○研究所年報(1998/3/E発刊予定)に発表する.なお,この年報は,全国主要大学,研究機関,国会図書館に配布されている(非売品).正式な調査結果は,こちらを参照願いたい.
年報発刊前なので,当フォーラムには,研究内容そのものは公表できないが,こぼれ話を主体に記述することにする.
なお,新聞・雑誌(現地を含む),PR誌などに公開されている事項については,会社・団体等の実名を使って,当フォーラムに掲載することもある.ただし,他へ積極的に転載することは控えていただきたい(秘密ではないが).
また,記事に思い違いや不正確な箇所も多々あるかと思うが,この点はご容赦頂きたい.さらにフォーラムへ記載する内容は,全て,記事をアップする筆者個人の意見,感想であり,調査主体を代表した意見ではないことを明記しておく.
(8)主要入手資料
今回の調査で入手した主要資料は以下の通りである.
1.公刊資料
『マレーシアでの事業展開』さくら総研,1997(日本で入手可能)
『マレーシア-アジアにおける利益の宝庫』Malaysian Industrial Development Authority,1996 『マレーシア-製造投資~政策,優遇措置および制度』Malaysian Industrial Development Authority,1997
『数字で見るマレーシア経済(Malaysian Economy in Figures)』JETROクアラランプール
『第4回アジア主要都市・地域の投資関連コスト比較』日本貿易振興会,1997
『マレーシア概要』JETROクアラランプール,1997
『マレーシア現状』マレーシア工業開発局(リーフレット)(発行年不詳)
『シンガポールの概況』JETROシンガポール,1997
『在アジア日系製造業活動実態調査(1996年)』日本貿易振興会海外経済情報センター 1997(日本で入手可能)
「日系製造業実態調査(シンガポール)」『通商弘報』,1997(日本で入手可能)
"Success in Japan-Changes and Oppotunities,"JETRO,1997
"Singapore 1000 Ranked by Nationarity,"DP Information Network PTE LT, Singapore,1996
2.各社リーフレット類(主要なものだけ)
※われわれ調査団向けの特別資料を除く
"Toyota Touch,"July 1997
"UMW Annual Report 1996"
"DENSO"
"Matshusita Group of Companies in Malaysia"
"MELCOM,"Matsushita Electric Co.(M)BHD
"NEC,"NEC Singapore Pte.Ltd.
"NEC,"NEC Semiconductors(Malaysia)SDN BHD
"KAO,"KAO Singapore Pte.Ltd.
"HITACHI,"Hitachi Electronic Devices [S] PTE LTD
"PCS,"Petrochemical Corporation of Singapore
"tpc the Polyolefin Company,"The Polyorefin Company (Singapore)PTE LTD
2.寸評
「多様性と停滞のアジア」.これが一昔前の一般的なアジア観であった(もっとも,これは西側の経済学者の意見だが・・・).
しかし,ここ数年にわたり,東南アジアを実際に調査してみると,そのような観念的な抽象論では,とても表現できないほど,混沌としているのにダイナミックで,かつ,多様的であることが実感できた.また,「東南アジアあっての日本」「日本あっての東南アジア」であることも強く印象に残った.
今回の調査で感じたマレーシア,シンガポールの第一印象は,
「そんなに地面を掘って"どうするの".あとで後悔するぞ!」 がマレーシア,
「一人当たりGDPが23000ドルにもなっているのに,これから何処へ行くの」 がシンガポールの率直な印象であった.
シンガポールは正に自転車を漕ぎ続けるバーチャル国家という印象が強く残った.
とにかく,きつい旅だった.
間に土日が挟まったので,日曜日だけは多少の観光ができたが,初めて訪れた肝心のクアラランプールは,小一時間,ホテルの周辺を散歩しただけで,あとは交通渋滞の中で,朝から晩まで(夜食の時まで),殆どの時間を調査に費やす結果になった.何時の日か,バンコクから国際列車でクアラランプールまで絶対に旅してやるぞと,心に固く決意した次第である.
(2012年現在の注)
振り返ってみると,この記事を書いた1997年の頃の日本は,今よりずっと元気が良かったなと思う.
昔,西洋側から見たアジア観が如何に間違っていたかが,今になってみると良くわかる.
3.第2回以降の掲載予定
(1)掲載方法
次回の第2回以降数回は,旅の経緯に沿って逐次的に記述して行くが,途中から,主要テーマ別に記事を整理してご披露する予定である.
全体で10回程度,250行/回を目安にして,1回/週を,おおむねの目標にして掲載する.ただし,お天気任せ,気分任せの掲載なので,あまり当てにはならない.
(2)主要エピソード
今回の調査旅行で実感したいくつかのエピソードを,時機を見ていくつかご披露していきたいと思っている.
一端をご披露すれば(順不同),
「マレーシアのビールは旨かった」
「右手インプット,左手アウトプット.現地トイレで困った!」
「アイスボックス国家,シンガポール」
「シンガポールは何処へ行く.バーチャル国家の苦悩」
「ハイテクの虚構」
「カリマンタン,スマトラの大森林火災」
「価値観の違うグミプトラの生活感」
「女性上位の国,シンガポール」
「外国へ移住したいシンガポール人」
「自動車が家よりも高価である」
「バイリンガル,トリリンガルの国家意識」
「東南アジアの日本,日本の東南アジア」
「『週刊ポスト』持ち込み厳禁の国」
などなどの話題である.
なお,皆様のご要望があれば,最新の各種統計資料などもご披露したい.
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9月10日(水).6チャンネル,19:10からのテレビ番組を見た.
そこでは,日本人によるユニークな発明品の数々が紹介されていた.見られた方も多いと思うが,紹介された数々の一部を列挙してみよう.
ピンポン玉自動製造装置
(継ぎ目がつるりとしたピンポン玉を自動的に作る機械)
ブルブルと振動する携帯電話用のマイクロモータ
(他人に迷惑をかけないように振動で着信を伝えるアイデア商品)
携帯用パソコンに使用されている超薄型モータ
(プレハブの町工場で作られている.でも高品質,高耐久性で世界を リード.耐久試験では
12年間も回り続ける)
フラットファン付帽子
(超薄型ファンを帽子の中に組み込んで,太陽電池で回す)
キャタピラ
(木村徳三郎が1893年に発明した:アメリカより11年も早かった)
ネズミホイホイからジェットライン方式によるネズミ捕獲機
(チューブの中に配線する.ネズミがチューブに入ると,入口が自動的に閉まり,中のネズミを吸引して
冷凍してしまう)
一連の東南アジアの旅をしてみて,目立たないものの,ある面では日本の強さをまざまざと見せつけられた.敢えて曲解を恐れずに言えば,日本の強さは,次の2点に集約できるのではないかと思っている.
(2012年現在の注)
今思えば,当時,随分と日本を買いかぶっていた.当時,日本が今のような閉塞感に満ちた国になるとは思いもよらなかった.
そんなことが予見できなかった自分が,実にハズカシイ.
1.人口の多さ.
1億人を越える大きな国内市場を持っているので,日本の市場だけを狙っても,十分商売になる場合が多い.その点,中国,インドネシアは別格として,タイ,マレーシア,シンガポールなどは1国だけの市場を目的としたのでは商売にならない.
日本経済の貿易依存率は,せいぜい10数%止まりである.これは特筆すべき事だと思う.いろいろな意味で,正にシンガポールと日本は両極になっているように思える.
「香港は?」 良く分からない.
2.「物好き」が多い.
これは日本人の特性に負うところが多いと思うが,あらゆる領域で,妙なことに凝っている人が多い.端からみると,半ば気が触れたと思えるほど,小さな事にこだわって血道を上げている人が,やたらにいる.
これらの人々が,時々,飛んでもない突飛な商品を作り上げて,世界中に受け入れられている.技術面では,圧倒的に強い日本の金型産業,文房具(どこへ行っても,高級品は,ほとんど日本製),凝った電機製品等々・・・・ でも,どうしようもないほど絶望感を感じる欠点が,われわれにはある.それは英語力である.われわれは,せめて英語が話せるバイリンガルにならなければ絶対にまずい.幼稚園,小学校から英会話を学習すべきである.
というと,すぐ,
「日本語でさえ,ろくに話せないのに,その上,外国語なんてトンデモナイ!・・」
「二カ国語を同時に教えたら,思考能力の開発が阻害される・・・」
「子供の負担が大きすぎる」
などという強硬な意見がでるに決まっている.
でも,こんなのは嘘だというのが私見である.ならば,「バイリンガルの帰国子女は思考能力が劣る」ということになってしまう.また,語学は小さい内に覚えれば苦痛を伴わない.
「とにかく英語を話さないと,世界の孤児になってしまう(なってしまった?)」
という強い危機感を持った旅でもあった.
「国際人になろう!!!」
そんなこんなの危機感から,来年夏には,クアラランプール大学で開催される国際会議に出席しながら,ペナン地区の2~3の企業を見学するISF海外オフミを計画してみたいと,今から真剣に考えている(すでにISFメンバーから同会議で発表することが内定している方が居る).5~6名参加者が集まれば最高だが・・・
(注)1998年7月に,計画通りに第2回のクアラルンプール行が実現している.
(つづく)
「東南アジア紀行」の前回の記事
(なし)
「東南アジア紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/93892c4a48cecd5fd2cb6fe4560a7c6b
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