モンブラン登頂(20):山頂から一気に下る
2005年9月6日(火)。その3。曇時々霧氷時々晴。
■モンブラン山頂
私はやっとの思いで,モンブランの山頂にたどり着いた。
山頂には,何の標識も立っていない。なだらかで広い丘になっている。山頂だけが雲海から突き抜けているような印象を受ける。
とにかく,極度の疲労困憊で,山頂に到着した時間を確かめる気にもならない。夢に見たモンブラン登頂が実現したのに,どういうわけか特に嬉しいという気持ちは湧いてこない。ただ,ただ,疲れただけの空疎な感じがする。
私は先に山頂に到着していた消防署長の隣に,へたり込むように座る。座って,30秒ばかり静かにしていると,呼吸も正常に戻り,気分的にも落ち着いてくる。
消防署長が行動食を摂りだして食べ始める。それを見ていた私のガイドが,私の方を見ながら,
「彼にも分けてやれ!」
と消防署長に言う。彼女は私にヌガーのようなものを一つ分けてくれる。
私は,あまりに疲れていて,何も食べたくなかったが,これ以上疲労しないために,頂戴したヌガーを有り難く頂いた。実は,私自身も胸ポケットの中に,小さなヨウカンを2切ほど,何時でも食べられるように,入れておいたが,あまりに疲れているため,そのヨウカンを取り出して食べる気にもなれない。
ただ,水だけは無性に飲みたかった。グーテ小屋を出発するときに2リットルばかりの水をキャメルバックに入れてきた。途中で何回もこの水を飲んだ。外気の温度がどの程度か分からないが,ガイドの話だとマイナス10度以下だという。実は,キャメルバックが,これほど有効だとは,事前には全く気が付かなかった。リュックの中で,水が適度に冷たくなっている。歩きながら,少しずつ飲む水が実に美味しい。
<モンブラン山頂>
■下山開始
10分ほど,山頂で休憩した頃,ガイドのSさんが,
「そろそろ下山しましょう」
と私に声を掛ける。何時までも,山頂に留まっているわけにも行かないので,重い腰を上げる。山頂を出発する時間をメモしようと思うが,その気にならない。ましてや,ポケットから記録ノートを取り出す気には到底ならない。山頂でSさんの撮って貰ったデジカメの写真を頼りにして,後で時間を推定するしかない。
まず,私が先に山頂を出発する。山頂で10分ほど休憩したため,少し体力が回復している。すぐにナイフエッジに差し掛かる。稜線の幅は50~60センチしかない.しかも急な下り坂である.とにかく一歩,一歩,慎重に歩く。稜線の両側が70度ほどの傾斜で1000m程落ち込んでいる。
ナイフエッジを通り過ぎると,さらに急な下り坂に差し掛かる。私は,下りながら,逆に,
「よくもまあ,こんな急坂を登ったものだ・・・」
と疲れた頭の中で感嘆する.
下りでは,登山学校で学んだ雪山の技術がとても役に立つ。疲れてはいるものの,アイゼンを引っかけたり,ぐらつくこともなく,何とか下山を続ける。途中で,これから登ってくるフクロウとすれ違う。彼は低地では凄く強いが,高いところには弱いようである.
さらに,下りが急になる。足が棒のように疲労してくる。こうなると,自分が思うように足が動かなくなる.
「少し休ませろ・・・」
と私はガイドに言う(ちなみにガイドとの会話はすべて英語)。
「じゃあ・・私と一緒に下ろう」
とガイドが私の左側に立って,私と腕を組む。そして,もの凄い勢いで,一気に200mほど急傾斜を下る。雪崩の危険がつきまとう急斜面で,休憩など取っていられないことは,私にも十分分かるが,それにしても,疲労困憊している身には実に辛い.
私はフラフラになりながらも,何とかヴァロ避難小屋の前まで到着する。途中で私を追い越して下っていった消防署長が休憩している。私も休憩したかったが,ガイドが許してくれない。大げさに言えば,もう,記憶が定かでないほど疲労している私は,何も考えずに,ただひたすら下り続ける。
ドームデグーテからの急な下り坂は,もう死ぬかと思うほど辛かった。私はたまらず,
「すこし休ませろ・・・」
とガイドに言う。そして,30秒ほど,立ち休憩をして,呼吸を整える。ガイドが,自分のピッケルで,山頂を指しながら,
「ここは一番危ないところだよ。上を見てご覧。今にも崩れ落ちそうな雪庇や岩が見えるだろう・・・」
と私を諭す。
立ち休憩をしながら,周りを見回す。晴れた青空をバックに,白く美しい雲が,一面に広がっている。ドームデグーテのすそ野が終わりに近付くと,眼下になだらかな丘陵が見え始める。その丘を巻くように踏み跡が続いているのが見える。途中で,私を追い越した消防署長の姿は,いつの間にか見えなくなっている。それだけ,私が遅れたのだろう。
<前方を行くのは同僚かな>
<大きなドーム沿いに足跡が見える.あそこを登るのだ!>
<氷河の断崖の縁を歩く>
<迫力のある氷壁が見えている.氷壁から少し離れたところを歩く>
<バロー避難小屋がようやく見えてくる>
■ちょっとの登り坂が辛い
少し登り坂になる。途端に呼吸が乱れる。
「あと,グーテ小屋まで何分ぐらい・・・?」
とガイドに聞く。
「そうだな,まあ20分ぐらいだろう」
とガイドが答える。
この20分が長いこと,長いこと。実に長い.
ようやくの思いで,エギューデグーテの麓まで辿り着く。山頂を回り込むようにして進むと,数張りのテントが見えてくる。幕営地である.テントを見て,私は,心底から,もう少しでグーテ小屋につくなと実感する。
テントの脇を通り過ぎる。数名の登山客から,いろいろと質問を受ける。
「山頂まで登ったですか?」
「何時に小屋を出発したの?」
「疲れたか?」
等々の質問を次々に浴びせてくる。ガイドと私は,交互に質問に答える。
■グーテ小屋に戻る
小屋直前の最後の下りを降りる。小屋の入口で私たちの下山を待っていた仲間が,拍手と万歳をしながら私を迎え入れてくれる。この瞬間,私は言いようもない達成感と嬉しさが込み上げてくる。
疲労でごちゃごちゃになっている頭の中で,
「そうなんだ! 今,気がついたが,お前さんもモンブラン登頂に成功したんだ!」
という声が鳴り響く.
ホッとした気分で小屋に入る。丁度,18時30分である。消防署長は,私より大分前に帰着していたようである。高山病で悩まされていたフクロウは,私より30分ほど遅れて,無事に小屋へ帰着した。
ガイドのSさんから,靴とアイゼンを棚に仕舞うように指示される。
私は倒れ込むように,あてがわれたベッドにへたり込む。もうどこも動かしたくないほど身体全体が疲れ切っている.
「ああ・・・これで念願のモンブランも終わった」
私は仰向けに寝転んだまま,言いようもない快感に浸る.登頂に成功した喜びが沸々と湧き上がってくる。
「もう,後は嵐でも,台風でも構わないよ,どうなっても,俺は満足!」
と,妙な気分になる。
同行者の様子を聞いてみる。結局,山頂まで登ったのは,消防署長,フクロウ,それに私の3人。ノシイカと,大阪のTさんは,ヴァロ避難小屋で,登頂を諦めて引き返した。そして,ドッジさんは,終始,グーテ小屋に滞在していた.ドッジさんは,脈拍がなかなか元の状態まで下がらないので,登頂を諦めたとのことであった。
私たち5人中,山頂まで到達できたのは3人.登頂率60%,平均値と同じである.
<グーテ小屋に無事戻る>
■夕食もそこそこにベッドへ
すぐに夕食になる。
メニューは,スープと固い豚肉。疲労がひどいためか,あまり食べる気にならない。少しスープを飲んだだけで,すぐにベッドに潜り込む。ベッドに入っても,手足がやけに冷たく感じる。毛布を2枚かぶるが,どうにもならないほど寒い。夕食を抜いて,私より先にベッドに入っていたフクロウは,私の隣で,静かに横になっている。
何時か分からないが,うとうとしている内に,他の方々も,ベッドに潜り込んでいる。ガイドのSさんは,私の隣のベッドで横になる。Sさんは,夜中に,香辛料のにおいががタップリ入った臭いおならを何回もするので,隣の私は,大変困惑した。
<グーテ小屋の夕食>
■グーテ小屋を夜明けに出発するグループ
早く寝たためか,夜中,何時頃だろうか,トイレへ行く。ついでに,テラスから下界を見下ろす。眼下にシャモニーの街の灯りが見える。美しい風景である。静かにベッドに戻り,横になる。どうやら,モンブラン登頂の疲労は,すっかり取れているようである。
しばらくの間,眠っているような,眠っていないような,中途半端な時間を過ごす。
午前2時頃,私たちの反対側の2段ベッドに寝ていた10数名の団体が,ごそごそと起き出す。これからモンブランへ向かう登山客である。本当ならば,私たちも,この人たちと同じスケジュールで,今日,登頂する予定であった。この人達の騒ぎは,小1時間で終わり,再び静かになった。私は,暫くの間,うとうとと曖昧な時間を過ごす。
※結局,彼らは悪天候でモンブラン登頂を断念したという.
(つづく)
「モンブラン登頂記」の前回の記事
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