中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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モンブラン登頂記(21):シャモニーへ戻る

2010年04月29日 15時20分01秒 | フランス・スイス;モンブラン登頂
                       <厳しい下り坂>

           モンブラン登頂記(21):シャモニーへ戻る
               (アルパインツアー)
          2005年9月8日(土)。その1。曇。

■食欲が進まない朝食

 7時頃,起床。
 7時半から朝食である。自覚症状は余りないが,やっぱり身体の何処かに疲労が残っているのか,あまり食欲はない。シャリバテになっては困るので,無理に食べようとするが,どうしても食が進まない。結局,スープにパンを少々食べただけだった。
 飲料水が不足気味なので,小屋の従業員から,約1リットルの水を買い足す。4.8ユーロもする。随分高いなと思ったが,致し方がない。


■グーテ小屋を出発
 8時30分,全員が,自分のガイドにロープを確保して貰いながら,グーテ小屋を出発する。朝食が余り食べられなかった私は,ポケットに小さななヨウカン3個と,飴を少々入れておく。出発すると,すぐに岩場である。急傾斜だが,足場がしっかりしているので,3点確保はとても容易である。何の苦もなく,安全かつ快調に下山できる。
 昨日は,散々「早く歩け,早く歩け」を言い続けていた私のガイドも,今日は,
 「あなたの岩場歩き,なかなか良いぞ」
と私を褒める。
 岩場下りが何時までも続く。剣岳をはるかにしのぐスケールである。しかし,危険な箇所はないので,岩場下りが快感になってくる。
 急な岩場を通り抜けると,尾根を右方向に回り込んで,危険な谷間,クロワールの左岸に出る。もちろん,落石に備えて,全員がヘルメットを着用している。痛いほど首を上に向けて,谷の上を眺める。そこには,今にも転がり落ちそうな岩石が累々と積み重なっている。ちょっとでも地震があったら,間違いなく崩壊するだろう。私と前後しながら,消防署長も少し間隔を広めて,クロワールを,無事,通過する。どうやら,フクロウは私たちよりも,大分先にクロワールを通過したようである。昨日は,あれほど疲労困憊していたフクロウだが,今日は快調のようである。大分先へ行っているらしくて,もう,彼の姿は見当たらない。
 私たちは進行方向右手に向かってトラバースを続ける。そして,テートルース小屋の建っている尾根からひとつ東隣の尾根を下り始める。大きくカールした氷河を挟んで,テートルース小屋が見える。私たちは稜線沿いに岩稜を下る。この辺りになると,勾配が比較的緩やかになっているので,随分と歩きやすい。
 幅200mほどの氷河を横断する。右手から左手に流下している。とても滑りやすい。所々に表面がつるつるしている氷が現れる。上体を真っ直ぐにしたまま,腰を下ろして,フラットフッティングに注意しながら,慎重に渡る。まさに登山学校で習った基本通りの歩き方をする。その甲斐があってか,一度も転倒せずに氷河を渡りきる。ガイドが,
 「なかなか良いぞ」
と私を褒める。



<テートルース小屋が見える>

■漸くアンザイレン
 氷河を渡りきったところで,アンザイレンされ,私は自由になった。そこからなだらかな斜面を少し登ると稜線に出る。ここで,消防署長,ノシイカ,ガイドの佐々木さんが待っている。ここで,ガイドの皆さんとはお別れである。私のガイドのデービッドともお別れである。彼は,
 「おめでとう(Conglaturation) !」
とニコニコ顔で私に握手を求める。
 「本当に有り難うございました。お陰で山頂まで行けました。感謝します」
と私は下手な英語でお礼をいう。
 大分,標高が低くなったせいか,気温が上がってきた。相変わらず急なガレた下り坂だが,気分はルンルンになり始める。尾根を回り込んで,東側の斜面に出て振り返ると,するどく尖がった双耳峰が見える。エキュードミディ(標高3842m)である。2峰の間に橋が架かっているのが見える。尖峰の方が,今私たちがいるところより,やや高く見えるので,私たちも大分下まで降りてきたことになる。

<エキュードミディ>

 岩陰で日向ぼっこをしながら,休憩を取る。モンブランの山頂へも行ったし,あと少しで電車の駅,ニーデグルまで降りられる。何となく,ホッとしたような,気が抜けたような気分になる。実は,これが怪我の元なのだ。ドッジさんは,大分,疲労しているのか,まだ姿が見えない。モンブラン最後の下りぐらいは,ドッジさんと一緒に歩きたい。私は,
 「ドッジさんが降りてくるまで,ここで待っています」
と周りの人に言う。もう,出発してしまったフクロウと大阪のTさんは,どんどん先へ下っているが,残りの消防署長,ノシイカ,それに私の3人は,ドッジさんの到着をのんびりと待つことにした。
 このとき,俄に下腹が痛くなってきた。
 私は,一同から離れて,少し離れた岩陰で,「大」の用を足す。大量の下痢。済んでも,少し「渋り腹」状態が続く。シャモニーで凄い下痢をしてから,まだ,身体が本調子ではない。私は,済んだものを小さな岩石をいくつか乗せて隠してしまう。多分,その内に,鹿がやってきて,ここを掘り起こし,ペロペロと舐めるだろうなと余計な想像をする。
 それから5分ほど待っていると,最後尾のドッジさんが到着する。私が,ドッジさんを待っていたと言うと,
 「すこし休ませて~ぇ」
と悲鳴を上げる。
 「もちろん,待ちますよ・・・!」
 それから,10分ほど休憩を取って,消防署長,ドッジ,ノシイカ,それに私の4名がパーティを組んで下山を開始する。私は集団の最後についた。
 つづら折りの下り坂が,下っても,下っても続く。全く厭になるほど,長い下り坂が続く。昨日はあれほど元気だったのに,消防署長がバテ気味である。
 「まだ,駅は見えないんですか」
と頻りに弱音を吐く。

■ニーデグル駅が見え出す
 やがて,広い谷間が眼下に広がるところまで降りてきた。遠くに氷河を抱いた山塊が広がっている。その手前に隣の稜線が連なっている。その谷間の山麓に,小さな小屋が建っているのが見え始める。
 「電車の駅が見えますよ」
と誰かが言う。でも,良く見ると,工事中の建物のようである。工事の資材を運ぶためか,ヘリコプターが頻繁に往復している。ヘリコプターが見え始めると,大きな爆音が聞こえ始める。でも,ヘリコプターが山陰に隠れると,途端に爆音も聞こえなくなる。


 ザレた急坂が続く。いくら歩いても一向に駅が見えてこない。坂の下の遠くの方から,ガイドのステファンさんが,ときどき,心配そうに私たちを見上げている。
 道路が幾つもの小径に枝分かれしている。先頭のノシイカが,どちらへ行くか戸惑う。疲労気味の消防隊長は,いつの間にか,後ろの方にまわっている。どの道を進むにしても結局は同じところへ行くようである。私たちは適当に道を選びながら急坂を下り続ける。やがて,やっと駅舎が見え始める。

■観光客で賑わうニーデグル駅
 12時30分,私たちは,ようやくニーデグル駅に到着した。最速のフクロウは,11時10分に到着したとのことである。実に1時間以上の差が付いたことになる。早く着いたので,ガイド連中は,私たちが乗る電車の前の電車に乗って,早々と下山したらしい。
 駅前のベンチに座る。
 ついでに,売店でオレンジジュースを買ってきて飲み干す。
 13時頃,下から登ってきた電車が到着する。たちまちの内に駅前の広場は観光客で一杯になる。
 服装を見ると,大多数の観光客は,どう見ても山登りはしそうにない。とても,とてもテートルース小屋にすら行けそうもない格好の人たちが大部分である。この辺りにはホテルも,小屋もない。ということは,この駅まで電車で登ってきて,そのまま,また,電車に乗って,下へ下る人が大部分だということになる。
 確かに,この駅の広場に立つと,左手から右手の流下する氷河を見ることができる。どうやら,この氷河を,この広場から見渡すだけの目的で,多くの人たちが,ここを訪れるらしい。少し努力して,もっと上に行けば,もっと素晴らしい光景が楽しめるのに,ここだけ見て帰るのは,いかにももったいない。でも,そんなことを言っても,詮ないことである。
 沢山の観光客の中に,年輩の夫婦の日本人観光客が1組混じっている。声を掛けないと悪いかなと思ったが,何となく面倒なので,声を掛けるのをやめる。
 駅舎の前に,たちまちの内に,行列ができる。何の行列か分からないが,先頭の人から順に,駅員から小さな黄色い板切れのようなものを貰っている。ややあって,ガイド頭のピエールが,私たちの乗車券を集める。そして,同じように列に並んで黄色い板切れを貰って,切符と一緒に1枚ずつ私たちに手渡す。電車に乗車するときに,車掌にこの板切れを渡せと指示する。

                          (つづく)
「モンブラン登頂記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/811b2d854397da943deb7706d423bcc5
「モンブラン登頂記」の次回の記事
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