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秋田ト一屋の思い出。

2021-04-23 22:22:20 | 商売・お店・商工業・買い物
ある袋を発見した。

うまいものならなんでも ト一屋。
そう、これは秋田市民なら誰もがわかる「ト一屋」の日用品袋である。

ト一屋なんてまるでミナミの帝王の金利みたいな名前の店は、1961年に秋田市に開業。
山形の庄内でいまでも展開するト一屋の系列店として楢山裏町から始まった。

ト一屋といえば、この店構え。

楢山本店は1976年に今の姿になったのだが、なんとこの店は昔ボウリング場であった。
秋田ボーリングセンターといい、ボウリングブームがさり改装されて今に至るのだ。

秋田市内の古街にたまーにこんな街区表示板を見る。
名残はこれしかないし、もう減らされる一方だ。

その後、ト一屋は徐々に展開をする。
1988年タウンページにのせていたのはつぎのお店。
・楢山店(南通築地の本店)
・仁井田店(仁井田上新田→仁井田本町4丁目)
・川尻店(川尻上野町)
・野添店(広面野添)
・堂の沢店(寺内堂の沢)
・保戸野店(保戸野桜町)
・飯島店(飯島緑丘町)
・田中店(手形田中)
・御野場店(四ツ小屋中川原→御野場)
・手形山店(手形山南町)
と、五城目店、男鹿店。

仁井田は当然知っていたが、川尻や御野場も記憶にある。飯島や手形山は位置を考えるとかなりアクセスが苦しそうな場所にあったと取れる。

野添店もあった。
なお、1994年になると手形山、野添は閉店。

そして、ト一屋はこのあたりから外食に参入する。
いわゆる「エルバート」である。
焼肉のエルバート、しゃぶしゃぶのしゃぶ亭えるばーと(通称、シャブエル)、寿司のぐるまんである。
ぐるまんを展開するために、新屋店を建てている。
この外食産業は別特集予定。

転機は世紀末。
うりあげが不振となり秋田ト一屋としては経営できなくなり、「ドジャース」傘下にはいる。
メジャーリーグみたいな名前のドジャースは川尻の国道7号(当時)にあるディスカウントストア。
店舗サブタイトルをサニーガーデンから生鮮館に変えたりしていくが、徐々に徐々に店は減っていき、とうとうドジャースに統一。
秋田市民生協川尻店を引き受けたりもしていたが、昭和生え抜きは楢山以外では秋田市内からはみんな消えてしまった。
細々やっていた堂の沢店もつぶれた。(男鹿店は健在)
ぐるまんも気がついたら閉店し、外食産業はなくなった
【訂正】駅東口にドジャース食堂がまだあるのを忘れてました。

やはりじぶんの中では仁井田店であった。
こないだ書いた仁井田五叉路のそばにあり、薬屋以外にも本屋とかイートインがあった。
なべっこの買い出しなど、学校の思い出も。
そういえば3%時代の消費税込みで300円の遠足菓子は一時期(この店かしや開店)までここが定番だったり。
つぶれたあと葬儀屋になったが、もうその面影はなくなっていた。

ト一屋は昭和のスーパーの雰囲気があり、箱から直接安売りを並べる、狭い圧縮店だったのだが、それが悪作用していたのだろうか。

もう、ト一屋は秋田にはない。
でも、自分のなかではドジャースであれど未だにト一屋とよんでしまうのです。

参考研究:1966秋田ボウリングセンターオープン

参考文献:NTT「タウンページ」