私たちが今生きているこの世界では、お金持ちの人だけに手に入って、貧しい人には手に入らないものや、一部の人だけが経験し、他の人は経験しないこと、というのがたくさんありますが、世界中のどんな人にも、お金持ちの人にも貧しい人にも、男性にも女性にも、すべての人に、必ず一度訪れるものがあります。
それは、何でしょうか?
クルアーンにその答えがありました。
【でも皆、死を味わうのである。】(3 イムラーン家章:185節)
すべての人に必ず訪れるもの、それは「死」です。
普段忘れていますが、私たちは、将来必ず死にます。
それが、30年後なのか、1年後なのか、明日なのか、もしくは、10分後なのか、アッラー以外誰にもまったくわかりませんが、ひとつだけ確かなことは、私たちは、生まれてきた以上、必ずいつか死ぬ、ということです。
イスラームは、その必ず訪れる死に対して、背を向けて逃げ出し、耳をふさいで目を瞑って考えないようにするのではなく、面と向かって、この世において準備をするよう教えてくれます。
ムスリムは、死んだ後、あの世で、最後の審判の日に必ず、唯一の神さまであり、もっとも公正なアッラーの前に行き、この世でした自分の行い、一つ一つ、一瞬一瞬が記録されているビデオテープのような記録書を見せられると信じています。
そして、「このとき、あなたはこうしましたね?」と全てのことをご存知のアッラーに訊かれ、自分の行った善行と悪行を精算されると信じています。
ですから、アッラーの前に出たときに恥ずかしくないよう、生きている最中もアッラーのことを忘れないよう、イスラームは教えてくれます。
アッラーの前に出たときに、自分が何を望むか?をいつも考えて生きるよう、教えてくれます。
そのときに、「これをしておけばよかった!」と悔しがることを、なぜ今しないのか?と教えてくれます。
生きている今は、それができます。
死んでしまっては、「もう一度この世界に戻してください」と言っても、もう遅いのです。
アッラーがクルアーンの中で言われている通りです。
【だが死が訪れると,かれらは言う。「主よ,わたしを(生に)送り帰して下さい。 わたしが残してきたものに就いて善い行いをします。」】(23信者たち章:99,100節)
しかし、死んだ後、誰もこの世に戻されることはありません。
そして、自分がいつ死ぬかは、誰にも知らされていないのです。
【アッラーの御許しがなくては,誰も死ぬことは出来ない。その定められた時期は,登録されている。誰でも現世の報奨を求める者には,われはこれを与え,また来世の報奨を求める者にも,われはそれを与える。われは感謝(して仕える)者には,直ちに報いるであろう。】(3 イムラーン家章:145節)
あの世でアッラーにお会いしたときに、自分の役に立つことかどうか、自分を救ってくれることかどうかを考えて、行動するよう、イスラームは教えてくれます。
そのとき、「これをしておけばよかった!」と思うものだったなら、それをしなさい、と教えてくれます。
アッラーはクルアーンの中で言われています。
【あなたがたは主からの寛容(を請うため)に、相競って努力しなさい。】(57鉄章-21節)
人生にはいろんな目的があります。
仕事に成功して地位を手に入れること、愛する家族を持つこと、欲しい物がすべて手に入るくらいお金持ちになること、世界中を旅行すること、他にも人それぞれ様々な人生の目的があります。
しかし、目的に見えているそれらのものは、実は、「幸せ」を手に入れるための手段です。
イスラームは、人が本当に幸せに生きるために、「手段」に夢中になって本来の「目的」を忘れることがないよう教えてくれます。
周りに振り回されて自分を見失うことがないよう、しっかりと地に足をつけて、確実に訪れる死に対して面と向かって生きなさい、と教えてくれます。
この世で稼いだお金や家族を全て置いていかなければならない死が訪れたとき、あなたには、あの世でアッラーのところに持っていけるものがありますか?
死を確実なものとして捉えたとき、今、生きているこの一瞬がより貴重なすばらしいものだと実感でき、アッラーが与えてくださった生という贈り物を、台無しにすることなく、人生を本当の意味で楽しんで生きることができるのです。
【本当にそれ(魂)を清める者は成功し、それを汚す者は滅びる。】(91 太陽章:9.10節)
参考:聖クルアーン検索