goo blog サービス終了のお知らせ 

ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

イスラームは私の人生をどのように変えたか ①

2010年03月29日 | ムスリムになるって?(入信体験記)

アーミナ・アッスィルミさんはアメリカ人の白人女性で、オクラホマ州南部バプテスト教会の熱心なクリスチャンかつ急進的なフェミニストでした。
大学時代、アラブ人同級生をキリスト教に改宗させたい一心でクルアーン(コーラン)やサヒーフ・ムスリム、その他イスラームに関する本を15冊読み、結果として、ご自身がイスラームに改宗するに至りました。
下記は、彼女による入信記です。

第一章 決心

私が初めてムスリムに出会ったのは、大学でレクリエーション学の学位を取得しようとしているときでした。
その年は、ちょうどコンピュータで事前に履修登録ができるようになった最初の年で、私は事前に次学期の科目登録を済ませ、家族の仕事の関係でオクラホマ州へ出掛けました。
ところが、思ったより仕事が長引いたので、2週間遅れで大学に戻りました。
私は当初、出遅れた分を取り戻すのに、さほど不安を感じていませんでした。
専門科目ではクラスで常にトップの成績を修めていたし、学生でありながら、専門家を交えたコンテストで賞を獲得したこともあったからです。

多くの友人に囲まれて、大学では成績優秀、さらに自分のビジネスを運営・・・となれば、皆さんは、当時の私が文句なしの経歴を持っていたように思われるかも知れません。
しかし、実のところ、私は極端な引っ込み思案でもありました。当時の成績証明書にも「非常に無口である」と書かれています。人と仲良くなるのにとても時間がかかりました。相手がすでに知っている人か、必要を要しない限り、自分から人に話しかけるということも稀でした。
当時の私の履修科目は、どれも管理学や都市計画、児童対象のプログラム作成に関するものばかりで、私にとって、子供たちだけが心から寛げる話し相手でした。

本題に戻りますが、プリントアウトした事前登録科目を見て、私は目を丸くしました。
なんと私は、演劇科目にも登録されていたのです。
つまり、実際の観衆の前で、何かを演じることが要求される科目です。私は萎縮してしまいました。クラスで質問すらしたことのない私が、どうやって人前で舞台に上がることができるというのでしょう?
私の夫は、いつものように冷静で賢明な判断をしてくれました。そして、「先生に事情を説明して、背景画を描いたり、衣装の縫製をする係に回してもらったら?」と、アドバイスしてくれました。

先生が、私にできる参加の仕方を考慮することに同意して下さったので、翌週の火曜日、私はクラスに出席しました。
さて、教室に一歩入ったところで、私は再びショックを受けてしまいました。
教室は「アラブ人」と「ラクダ乗り」でいっぱいだったからです!といっても、そうした名で呼ばれる彼らのことを実際に目にしたことはなく、単に話を聞いたことがあっただけですが・・・。
こんな薄汚い未開人だらけの教室に座れるわけないじゃない?!こんなところにいたら、何か悪い病気をもらってしまいそう!彼らが汚いってことは、みんなよく知っているし、まして信用なんてできっこない!
私はそそくさと教室のドアを閉めて、帰宅してしまいました。
(その頃の私は、ワイングラスを片手に、ぴったりした革ズボンにホルターネックといういでたちでした。にもかかわらず、彼らのことを「悪い奴ら」だと思っていたのです。)

私は夫に、クラスにいたアラブ人の話をし、あんなところにまた戻るつもりはないということを打ち明けましたが、夫はいつものように落ち着いて、こう話してくれました。
「君はいつも、こう言っていたじゃないか。何事にも理由がある。神様は理由なしには何事もなされない御方だ、って。」
私は、このクラスについて、最終決断を下す前にもう少し時間をかけて考えてみる必要があると思いました。
夫は、私が奨学金を受けていること、今後も交付を受けるには今の成績を維持しなければならないことを指摘しました。実際、この科目を落とすことは、奨学金を断念することを意味していました。
その日から2日間、私は導きを求めて祈りました。そして木曜日、「神様は、あのかわいそうで無知な未開人を地獄の炎から守るために、私をクラスに送られたに違いない」と確信して、クラスに戻りました。

私は事あるごとに、イエスを個人的な救世主として受け入れなければ、地獄で永遠にどんな風に焼かれることになるか・・・といったことを彼らに話して回りました。
彼らはとても紳士的に対応してくれましたが、改宗はしませんでした。
そこで私は、イエスさまがどれほど彼らを愛しておられるか、そして、彼らをその罪から救うために十字架にかかって死んでくださったことを説明しました。
とにかく、イエスを彼らの心に受け入れさえすればいいのだ、と。それでも、彼らは紳士的に対応するものの、改宗はしてくれませんでした。

それで、私は、彼らの聖典を読み、イスラームが偽物の宗教であること、ムハンマドが偽物の神様であることを証明してみせようと決心しました。
クラスメイトの一人が、イスラームに関する本とクルアーンをくれたので、早速、それを読み調べ始めました。
必要な証拠はすぐ見つかるだろうと確信していたのですが、クルアーンを完読し、もう一冊の本も読み終え・・・、他にも15冊の本とサヒーフ・ムスリムを読み、その後、再びクルアーンを読み始めました。
「きっと、彼らをキリスト教に改宗させてみせる!」そう決心していた私は、その後1年半に渡って、調べものに明け暮れていました。

そうこうしているうちに、私は夫との間に幾つか問題を抱え始めました。私に、少しずつ変化が現れていたのです。ほんの少しずつでしたが、夫の気分を害するには十分でした。
私たちは、毎週、金・土曜日には、よく一緒に飲みに出掛けたり、パーティに出席していました。でも、もはや、そうした場に出掛けたいとは思わなくなっていたのです。
私はより物静かになり、夫は私との間に距離を感じるようになりました。
夫は、私が浮気していると確信し、私を家から追い出しました。私は子どもたちと一緒にアパートを借り、その後も、ムスリムたちをキリスト教に改宗させるために必死に努力をしました。

そんなある日、誰かが私のアパートのドアをノックする音が聞こえました。
ドアを開けると、長くて白いナイトガウンを着、紅白のチェックのテーブルクロスを被った男性が立っていました。他にも、寝巻きのようなものを着た男性が3人立っていました。(彼らの伝統的な民族衣装を目にしたのは、その時が初めてだったのです。)
寝巻きを着て私の家の前に立っている男たちには、本当に腹が立ちました。
私のことを一体どんな女だと思ってるの???あなた達には誇りや尊厳というものがないの???

私の受けたショックを想像してみてください。テーブルクロスを被った男性に「あなたがムスリムになりたいということを知っています」と言われたときのことを!
すぐに私は、ムスリムになりたいなどと思ってはいないことを伝えました。私はクリスチャンだったのですから・・・。
でも、もし少し彼に時間があるなら、幾つか質問したいこともありました。
彼の名前はアブドゥ・ル=アジーズアル=シェイフといい、私のために時間を割いてくれました。彼は私の抱いている疑問に一つ一つ答えて、忍耐強く説明してくれました。
私が質問する内容をバカにすることは決してありませんでした。

私は彼に「神さまは唯一の御方であることを信じているか」と聞かれ、「ええ」と答えました。そして、また、「ムハンマドは神の使徒であることを信じているか」と聞かれ、「ええ」と答えました。
すると、なんと、私はすでにムスリムであると言うではないですか!私はクリスチャンであることを主張し、イスラームのことは単に理解したいだけなのだ、と言い張りました。
(と同時に、内面ではこんな思いが駆け巡りました。自分がムスリムになんて、なれるわけがない!私はアメリカ人で白人なんだから!夫になんて言われると思う?もし私がムスリムだったら、夫と離婚しなきゃならないじゃない!家族を失ってしまうじゃないの!)

私たちは話し続けました。そして、彼は、こう言いました。
「知識を得、精神性を理解するということは、はしごをのぼるようなものです。はしごをのぼるとき、数段またいで一気にのぼろうとすれば、落下する危険があります。シャハーダ(入信告白)は、はしごの最初の一段にすぎないのです」、と。
私たちは、まだしばらく話す必要がありました。

そして、その日の午後、1977年5月21日アスルの時刻に、私はシャハーダ(入信告白)をしました。
それでも、私はまだイスラームの教えについて納得の行かないことが幾つかあり、自分の気質から、完全に真実だと認めることができるまでは、これらのことについてまだ責任を負う気がないことを表明しました。
私は、「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」ことを証言しましたが、「それでも、決して髪の毛を覆ったりなんかしないし、夫が他の妻を娶ろうものなら、去勢してやる!」と言ったのです。
同伴していた男性の間から「はぁ・・・」というため息が洩れるのが聞こえましたが、アブドゥ・ル=アジーズは彼らを制しました。
あとで聞いたところによると、アブドゥ・ル=アジーズは、そのとき、「彼女の言ったこと(スカーフと一夫多妻のこと)については、彼女と決して議論しないように。いつか、必ず正しい理解にたどり着く日が来るだろうから。」と彼らに話していたそうです。

実際、シャハーダは、神さまへ近づくための、精神的な知識への第一歩となりました。
しかし、はしごの一段一段をのぼっていくのに、その後、非常に長い時間がかかりました。アブドゥ・ル=アジーズは、その後も私のもとを訪れ、私の質問に答えてくれました。アッラーが彼の忍耐強さと寛容深さに報いてくださいますように・・・。
彼は私が質問することをたしなめたり、バカにしたりすることは決してありませんでした。一つ一つの質問を尊厳をもって受け止めてくれただけでなく、「愚かな質問とは、尋ねられなかった質問だけです」とさえ話していました。
ううん・・・、これは、まさに、私の祖母がかつて言っていた言葉です。

彼はこう説明していました。「アッラーは私達に、知識を求めるように、とおっしゃいました。そして、疑問を抱くことこそが、その知識に至る道なのです。」
彼が何かを説明するとき、それはまるで、バラの花びらが一枚一枚開き、咲いてゆくさまを見るようなものでした。花が満開になり、アッラーの栄光が満ちあふれるまで・・・。
私がイスラームについて、どうしても納得できないことがあるとき、その理由を彼に告げると、彼はいつもこう言ったものでした。
「あなたの視点から、あなたの言ったことは正しい。」
そして、彼は、その事柄をもっと別の角度から深く掘り下げてながめる術を教え、十分な理解へと導いてくれることが常でした。

アルハムドリッラー・・・。 その後、何年にも渡って、私はたくさんの先生に出会いました。お一人お一人の先生が特別で異なる存在であり、お一人お一人を通して私は成長し、イスラームをもっともっと愛するようになりました。
知識を分け与えてくださった先生方に心から感謝しています。
知識が増すにつれ、私の身に起こっていた変化はますます顕著になってゆきました。

まず、シャハーダした最初の年に、私はヒジャーブを被るようになっていました。
いつ被り始めたのか、よく覚えていません・・・。知識と理解が増すにつれて、自然にそうなったのです。
また、そのうち、私は一夫多妻までも認めるようになっていました。アッラーが許されていることならば、そこには何か良いことが含まれているに違いないと思ったからです。

私が初めてイスラームを学び始めたとき、自分の私生活に必要なものや欲しいものをイスラームの中に見出すことになろうとは、予想もしていませんでした。ましてや、イスラームが私の人生を変えることになろうとは。
そして、私がイスラームゆえに平安と愛と喜びに包まれた人生を送ることになろうとは・・・。
どんな人間にも、私にそんな変化が訪れることを説得することなどできなかったでしょう。

この聖典(クルアーン)は、唯一なる神さま、宇宙の創造主の語られた言葉です。
アッラーが世界を美しく体系づけられたさまを描写したものです。
この驚くべきクルアーンの中に、すべての答えはあります。
クルアーンは、存在するあらゆる物事に言及し、成功への確かな道すじを示してくれます。クルアーンには、赦しの地図が描かれています。
クルアーンは、人生のマニュアルそのものです。
アッラーこそが愛し給う御方、アッラーこそが平安の源である御方、アッラーこそが護られる御方、アッラーこそが赦される御方、アッラーこそが与え給う御方、アッラーこそが維持し給う御方、アッラーこそが慈悲深き御方、アッラーこそが全てのことに責任を持たれる御方、アッラーこそが広げられる御方なのです。

「第二章 イスラームは私の人生をどのように変えたか」へ続く

 

関連記事:

イスラミックソング Harris J - Salam Alaikum

イスラームのここがわからん、Q&A ①   イスラームでは、天国は母親の足元に

世界遺産 ボスラ(ブスラ Busra)     ダマスカス旧市街を紹介するFacebook 

もっとイスラームを知りたい!       イスラームについての無料冊子がほしい

イスラームは私の人生をどのように変えたか ① 


イスラームは私の人生をどのように変えたか ②

2010年03月29日 | ムスリムになるって?(入信体験記)

第二章 イスラームは私の人生をどのように変えたか

「私たちは光をどれほど愛することでしょう・・・。かつて暗やみに住んでいたならば。」
私が初めてイスラームに入信したとき、それがどれほど私の人生に影響を及ぼすことになるか、思いも寄りませんでした。イスラームは、私自身の人生に影響を及ぼしただけでなく、私を取り巻く環境そのものもすべて変えてしまいました。

家族生活
私たち夫婦は、互いをとても深く愛し合っていました。この愛情は、今でも互いの心の中に存在しています。それでも、私がイスラームを学び始めた頃、私たちは問題を抱えるようになりました。
夫は私が変わっていくのを見、何が起っているのか理解できずにいました。私自身も理解できずにいました、というより、自分が変わって行っていることにさえ気づいていませんでした。 夫には、私がこのように変わっていくのは他の男がいるからに違いない、としか考えられなかったようです。自分で気づいていない以上、私は、夫に自分のことを理解させる術をもち合わせていませんでした。

のちに自分がムスリムであると気づいた時も、それは状況を改善する助けにはなりませんでした。夫には、女性が宗教という人生の根本的なものを変えてしまう理由として、他の男性の存在しか考えられなかったのです。
彼は他に男性が存在する証拠を見つけられませんでした。しかし、この男性は存在しなければなりませんでした。
結局、私たちの関係は、非常に見苦しい経過をたどって離婚に終わりました。離婚裁判では、異端の宗教(イスラーム)が子供たちの成長に悪影響を及ぼすとして、私から親権を取り上げる判決が下りました。

離婚裁判中、一度、私に選択の機会が与えられたことがありました。
イスラームを放棄し子供を取るか、子供を放棄しイスラームを取るか。
私は打ちのめされました。私にとって、これはいずれも不可能な選択肢だったからです。
もし私がイスラームを放棄すれば、私は子どもたちに欺(あざむ)くことを教えることになる・・・。私は、心の中にあるものを否定することができませんでした。私にはアッラーを否定することはできませんでした。その時だけではなく、永遠に・・・。

私は、以前まるで祈ったことがなかったかのように必死に祈りました。
30分の選択猶予時間が過ぎたとき、私は悟りました。
私の子どもたちにとって、アッラーの御手の中より安全な場所はどこにもない、ということを。
もし今私がアッラーを否定すれば、将来、私の子供たちに、アッラーと共に生きることの素晴らしさを伝える術を失ってしまう。
私は裁判で、子供たちをアッラーの御手に委ねるという意思表明をしました。これは、子供たちを拒絶することではないのだ、と。

裁判所から退出する時、子供たちのいない人生がどれほど困難なものになるか、ということを私は知っていました。
心の中で、いかに自分は正しいことをしたのだと分かっていても、心は粉々に打ち砕かれていました。
私はアーヤト・ル=クルシーに慰めを見出しました。
また、アッラーのご性質(美名)を一つ一つ味わうようになり、いずれのお名前にも美しさを発見しました。

私の直面した問題は、離婚と親権の喪失だけではありませんでした。
私の他の家族も、私の選択を快くは思っていませんでした。
彼らのほとんどが、私とあらゆる関係を持つことを拒絶しました。

母は、私が一時的にこうなっているだけだと思い、そのうちこの状態から抜け出すだろうと思いました。
「精神保健の専門家」である妹は、単に私の気が触れてしまったのだと思い、精神病院に入院させるべきだと主張しました。
父は、私が地獄の奥底に落ちる前に、いっそのこと私のことを殺してしまったほうがいい、と思っていました。
あっと言う間に、私は、夫も家族も失ってしまったのです。
次には、一体何が待ち受けているというのでしょうか?

友人関係
私がムスリムになった最初の一年のうちに、ほとんどの友人が私のもとを去ってゆきました。
一緒にいても、面白くなかったからです。パーティにも飲みにも行かない、恋人探しにも興味がない。
私のすることといえば、馬鹿げた本(クルアーン)を読んで、イスラームの話をすることばかり。なんて退屈なんでしょう!
イスラームがなぜこんなにも美しいのか、当時の私にはまだ、友人たちの理解を助けられるほどの知識がありませんでした。

仕事
次は仕事でした。専門分野でよい成績を修めた私は、高給取りのトレンドセッター(流行を生み出す人のこと)として位置づけられていました。
しかし、ヒジャーブを着け始めたその日が、その仕事の終わりを意味しました。
私は、家族を失い、友人を失い、そして仕事を失ったのです。

こうしたすべての事態の中で、最初の光は、私の祖母でした。
なんと彼女は、私の選択を認めてくれただけでなく、ムスリムになったのです。
何という驚きでしょう!私はいつも、彼女のことを知恵に富んだ女性だと思っていました。でも、ムスリムになるとは!その後、間もなく、彼女は亡くなりました。

そのことを思うと、ふと、私は彼女のことが羨ましくなります。
彼女がシャハーダを唱えた日、彼女のすべての過ちは取り除かれ、善い行いはそのまま書き留められました。彼女はイスラームを受け入れたあと、すぐに亡くなったので、彼女の「本」は、善行のほうにはるかに秤が傾いているに違いありません。
そのことを思うと、私は喜びでいっぱいになります。

知識が深まるにつれ、人々からの質問に対して、より的を得た回答ができるようになり、多くのことが変わっていきました。
でもそれは、私の人となりの中に現れた変化で、それが徐々に、周囲の人々に対して大きな説得力を発揮するようになりました。

数年後、公でイスラームの話をしたとき、母から電話がありました。「イスラームがどんなものかは分からないけれど、あなたがイスラームといつも共にあることを願っているわ」と彼女は言いました。
母は、イスラームが私にもたらした変化を好意的に受け止めていたのです。
それから数年後、母はまた電話をかけてきて、「ムスリムになるにはどうしたらいいの?」と尋ねました。
私は彼女に「アッラーの他に神はないことを知ることと、ムハンマドがアッラーの使徒であることを知ることです」と答えました。
すると母は「そんなことは、どんなバカでも知ってるわ。でも、具体的に何をしなくちゃならないの?」と尋ねました。
私はただ同じ答えを繰り返すだけでした。
母は「そうなの、分かったわ。でも、お継父さんにはまだ内緒にしててね。」と言いました。
母は、私と継父が数週間前に、すでに同じような会話を交わしていたことを知らなかったのです。
私の生父(私のことを殺すべきだといった父)とも、こうした会話を2ヶ月前に交わしていました。
そして、私の妹(精神保健の妹)も、彼女の知っている人たちの中で、私が一番自由で柔軟な考え方をしている人だと言いました。今まで、あの彼女の口から出た言葉の中で、最高の褒め言葉でした!

一人一人がどんな風にイスラームを受け入れたか、という説明を試みるよりも、とにかく、毎年、私の親族からイスラームを見出す人たちが続出したということを述べさせてください。
格別に嬉しかったのは、親友であるカイセル・イマーム兄が、前夫がシャハーダをしたと伝えてくれた時でした。カイセル兄が彼に理由を尋ねると、前夫はこう言ったそうです。
「前妻を16年間見続けてきて、自分の娘にも母親の持つものを持ってほしいと思ったから。」
彼は私のところにも来て「自分のこれまでの過ちを赦してほしい」と言いました。
私は、彼のことを、ずっと前にすでに赦していました。

さて、今度は私の長男ウィットニーです。私がこの文章を書いている間に、電話をしてきて、「ムスリムになりたい」と宣言しました。数週間内にISNAConventionでシャハーダをする予定だそうです。今のところ、彼はできる限りイスラームについて学んでいるところです。
アッラーはもっとも慈悲深いお方です。

何年にも渡って、私はイスラームの語り手として知られ、聴衆の多くがムスリムになることを選びました。
私の内なる平和は、アッラーからの知識と叡智への信頼とともに増し続けました。
アッラーは私の創造主であられるだけでなく、わたしのもっとも親愛なる友です。
アッラーはいつも共に居ておられ、決して私を拒絶されることがありません。
私がアッラーに向かって一歩あゆむごとに、アッラーは私に十歩あゆみよって下さいます。なんと素晴らしい知識でしょうか。
本当に、アッラーは私に試練を与え、約束されたとおりに、私が望むことができたことをはるかに上回った報奨を与えて下さいました。

数年前、私は医師に末期がんであることを伝えられました。
がんはすでに進んでおり、治療法はないとのことでした。今後、どのような経過をたどっていくのか、ということを説明しつつ、私が死に備えられるよう支援してくれました。
余命約1年とのことでした。
私は子どもたち、特に一番下の子のことが気がかりでした。誰が彼の面倒を見てくれるのか。
それでも、私は落ち込んではいません。
私たちはみな死ななければならないのです。
私の味わっている痛みは、祝福をも含んでいると確信しています。

よき友、カリーム・アル=ミサウィのことを思い出しました。
彼はまだ20代の頃、がんで亡くなりました。
彼が亡くなる直前、彼は私に「アッラーは本当に慈悲深い御方だ」と言っていました。
この男性は、信じ難いほど激しい苦痛の中にありながら、アッラーからの愛を放っていました。「アッラーは、僕がきれいな本を携えて天国に入ることを望んでおられるんだ。」
彼の死は、私にあることを教えてくれました。彼は私にアッラーの愛と慈悲を教えてくれたのです。これは、まだ誰も論じたことのないものです。
アッラーの愛!
アッラーの祝福に気づくのに長くはかかりませんでした。

私を愛する友人が、どこからともなく現れてきました。
アッラーは、友と抱擁しあうという贈り物を与えて下さいました。
さらに私は、皆と真実のイスラームについて分かち合うことが、私にとってどんなに大切なことであるか、ということを学びました。
ムスリムか否かを問わず、人々が私に同意してくれるか、私のことを好いてくれるか、といったことは問題ではありませんでした。
私が同意を必要としたのも、愛を必要としたのも、ただアッラーお一人からでした。
それでも、特にこれといった理由もなく、私のことを愛してくれる人たちがたくさんいました。
私は、「もしアッラーがあなたを愛して下さったら、アッラーは、人々があなたを愛するようにしてくださるでしょう」という文を読んだことを思い出し、喜びました。
私はどんな愛にも値する存在ではありません。
ということは、人々からの愛はアッラーからの贈り物に違いありません。
アッラーフアクバル!(アッラーは偉大なリ)

私の人生がどのように変わったかということを、完全に説明し尽くすことはできません。
アルハムドリッラー。(すべての賞賛はアッラーに。)
私は自分がムスリムであるということをとても嬉しく思います。
イスラームは私の人生そのものです。
イスラームは私の心臓の鼓動です。
イスラームは私の血管を流れる血液です。
イスラームは私の強さです。
なんと素晴らしく、美しいことでしょう。
イスラームがなければ私は無に等しく、アッラーはその高貴な御顔を私から背けられ、私は生きることができなかったでしょう。

≪アッラーよ、私の心に光を、私の目に光を、私の耳(感覚)に光を、私の右に光を、私の左に光を、私の上に光を、私の下に光を、私の前に光を、私の後ろに光を、私に光を与えて下さい。≫(ハディース アル=ブハーリー)

≪アッラーよ、私のすべての行為とあなたが私よりよくご存知のことにおいて、私の罪と無知と過ぎた行いをお赦しください。アッラーよ、私が意図して行った、意図せず行った、無知により行った私の過ちを赦して下さい。これらのすべての罪は、私のなした行為であることを告白します。アッラーよ、私が過去と未来において、表立って、あるいは、隠れて犯した罪を赦して下さい。あなたこそ、物事を早め、また遅らせる御方、あなたこそ全能者であらせられます。≫(ハディース アル=ブハーリー)

アーミナ・アッスィルミさん(65歳)は、は病を抱えておられましたが、国内外で講演会を精力的に行っていらっしゃいました。彼女の上にアッラーのご慈悲がありますように。

引用元の記事:日本語訳:日本ムスリム協会

1)http://www.whyislam.org/spiritual-journeys/aminah-assilmi/

 

関連記事:

イスラームって?(初級)   イスラーム講座(上級)   ムスリムになりました(入信記、体験記)

イスラミックソング Harris J - Salam Alaikum

イスラームのここがわからん、Q&A ①   イスラームでは、天国は母親の足元に

世界遺産 ボスラ(ブスラ Busra)     ダマスカス旧市街を紹介するFacebook