例えば、イスラームにおいて豚肉を食べる事がいいことか?という議論をしたとして、その場にいた全員が、「豚肉は健康にいいので、イスラームは人間のためにある教えなのだから、健康にいい豚肉を食べる事はいいことだ」という結論に達したとします。
しかし、イスラームにおいてアッラーが豚肉についてどう決められたのか?ということは、人間が、頭で考えて、みんなで相談して決めることでなく、すでにアッラーがお決めになられたことがあり、明らかな答えがあることです。
もし、全員が納得する事が、正しいのだったら、それは、時代と共に変わってしまうでしょうし、環境によっても変わるでしょう。
それはイスラームではありません。
それはただの人間の思想です。
イスラームは、そんな不安定な人間の思想に従って生きなさい、という教えではありません。
そうではなく、唯一の神アッラーのお決めになられた方法に従って生きる、という教えですから、この場合求められるのは、みんなで相談する事、ではなく、アッラーのお考えを知ること、つまりイスラーム法学(アッラーが、何を禁止し、何をしなさいと言われているか)を知っている人に尋ねること、です。
人間には限られた能力しか与えられていません。
すべてのことがわかるようには、創られていません。
未来のこともわからなければ、限られた視力しかないので目に見えることも限られ、明日何が起こるかもわからない不完全な存在です。
ですから、人間の作った法律には、どんなにすばらしいものであっても、どうしても、時間と共に、また、国によって、不都合な点が出てきたりして、時代の変化と共に改正を繰り返さなければならなくなります。
しかし、アッラーは、完全です。未来の事もすべてご存知で、私たちのことを私たちよりもずっとよくご存知です。
そのアッラーが、私たちのために、私たちがなんとかして幸せに生きていけるように、と教えてくださったのがイスラームです。
現在のムスリムたちの問題は、この「アッラーの法」よりも、自分の欲に従ってしまっている人たちがたくさんいることです。
例えば、「毎日のお祈りは面倒だからしないで、年に一度のラマダーンの断食だけしよう」、とか、「こんなひどい親には親孝行なんてしなくていい」とか、アッラーの教えよりも、自分の欲を優先させて行動してしまうと、イスラームと、現実のムスリムたちの行動の間に、ずれが生じます。
ですから、現在では、「ムスリムの行動=イスラーム」、と思ってしまうと、まったく間違ったイスラームを学んでしまう事になってしまうのです。
クルアーンとハディースでは、しっかりアッラーは、「毎日お祈りをしなさいよ、そうすることが、あなたたちの体と精神を守るのですよ」、と教えてくださっているし、「どんな親であっても、親である限り、あなたは彼らに親孝行をするんですよ、そうすることがあなたのためになるんですよ」、と、懇切丁寧に教えてくださっていますから、イスラームを理解するには、ムスリムたちの行動を見るのではなく、クルアーンとハディースに戻って、アッラーが何を決められたかを知らなければ、本当のイスラームは見えてきません。
そして、この2つ、クルアーンとハディースは、この世をお創りになられたアッラーが、人類に送られた大切な宝物です。
例えば、コンピューターを作った技術師は、そのコンピューターが、このボタンを押すとちゃんと動いて、ここのボタンを押すと壊れてしまう、というのを一番良く知っています。
それと同じように、私達を創られたアッラーは、このボタンを押すと私達がちゃんと幸せに生きることができて、このボタンを押すと、私達が壊れてしまう、というのを一番よくご存知です。
そこで、私達が、ちゃんと幸せに生きることができるように、説明書、マニュアルを私達に送ってくださったのです。それがイスラームです。
このボタンを押すとあなた達は自分を損ないますよ、自分のためになりませんよ、というのが、ハラームと言われる禁止されていることですね。殺人、盗み、人の陰口を言う、人を妬む、嫉妬する、親不孝をする、そういったことが、すべて、人間の体と精神にとって、悪い影響を与える事を一番よくご存知のアッラーが、これをするとあなたたちは損をしますよ、と教えてくださっているのが、ハラームです。
そして、これをすれば、あなたたちは正しく心安らかに生きていけますよ、というのが、イスラームおける義務の行為(アッラーと預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)を信じること、礼拝、断食、喜捨などや、これらをきちんとできるように勉強する事、親孝行、など)や、スンナと言われる奨励される行為(サダカと呼ばれる自由喜捨、貧しい人を助けること、目上の人を敬う事、など)です。
それを行うことで、人間は、自我、という悪い欲に支配される事なく、欲から解放されて、アッラー以外の何者にも支配されない、本当の意味で自由な存在になり、この世でもあの世でも、心安らかに幸せに生きていくことができるのです。
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イスラームでは、天国は母親の足元に なぜラマダーンに断食するの?①