今朝も曇り空の雲まみれ。
うっすらと陽が射します。
きのこがちらほらと。
(・<・)おジョビを探せ.lv3!でござる。
そして家に帰り着くと(^^)!スズメさんがやっとヒマワリの種をつついてくれたようでござるよー♪。
さてと、今回は私の防備録的な意味で、眠りで見る方の(夢)について綴ろうと思います。
私達の頭はいつも一杯です。
何かに集中している時もぼんやりしている時でも、何かを思っているという意味では同じことでござる。
私達の頭は考え事でいつも一杯です。
私達はたとえ端から見てどんな風でも、頭の中では常に何かの考えがグルグルグルグルと回りっ放しです。
それが普段からあまりにも当たり前になっているので、特にその事を意識する人はあまりいません。
試しに一度頭の中の思いや考えを、思うまま正直に書き出して客観的に眺めてみます。
(゜o゜;)…………おい…まじか
と、自分の頭の中からビックリするような考えを発見するかもしれません。
私は、正気なのか?夢でも見ているのか?…などと。
実際に眠りに落ちる間際、意志の続く限り自分の考え事を観察していると…ある時点から言葉による考え事が自分主観の視点映像に変わってきます。
私の場合は視界、音、触覚がある程度クリアーに知覚されるようです。
そして現実では有り得ない様々な現象(とはいえ、夢の中にいてこれは夢だと自覚してはいません)を体験します。
( • ̀ω•́ )✧面白くないワケがありませーん♪。
夢は現実ではありませんが、夢と現実はリンクしていて、私達の主観、意識、心に起こるひとつの経験だと考えます。
私は眠ることが大好きです。
何も考えず、ぐっすり休めることが眠りの醍醐味のひとつだと思っています。
しかし…特にここ二年程は夢の中が面白過ぎて困ります。
夢については様々な解釈が(検証や反証もないままに)沢山まかり通っています。
しかし、そんな適当な他人の解釈など本来必要ありません。
私たちは自分の夢を、自分の眠りの中でじかに経験できるのですからね。
この一年ほど気がつけば夢の中で自分が、自分の意志で自由に行動できるようになって来ました。
それまで夢の中では勝手に進む状況に、「あらららら~ら~!」と流されるだけで、とても自分の意志で行動など出来ていませんでした。
夢であれ現実であれ、ワケも分からず周囲の状況に振り回される事は決して楽しいものではありません。
しかし周囲の状況がどうであれ、自分の事は自分で決め、自分の意志で行動をとるようになってくると…俄然、夢が面白くなってきました。
何故夢の中で自分の意志による行動が出来るようになったのか?。
そもそも夢とは何なのか?。
私の経験を観察した現時点の結論から言います。
夢とは、私達自身の無自覚な思い込みや勘違いや自分に対する嘘など‥無意識な妄想がリアリティを持って顕在化する世界を経験する現象です。
私の中ではそのようにある程度確認が取れました。
ある程度というのは、妄想が大部分を占めてはいるもののそれが全てでは無いことがうっすら見えているからです。
まず私達が起きている時、私達は頭の中で常に何かを考えています。
これは誰しもが自分の心を見つめれば確認出来る事です。
大抵の場合この考え事とは、もう過ぎた事やまだ先の事、仮定に仮定を重ねた考え事です。
こうした今、目の前にある現実とは無関係な考え事は全て妄想と定義します。
例えば今、目の前に現実のリンゴがあるとしましょう。
現実とは本来は中立です。
現実は現実として、ただそこにそうあるだけの事です。
その現実に意味を与えるのは私達自身の妄想と言えます。
目の前のリンゴ‥このたったひとつのリンゴですが、このリンゴを見た人の数だけ様々でバラバラな意味が無意識から浮かびます。
おいしそう、まずそう、赤い、あおい、甘い、酸っぱい、好き好き、大っ嫌い…。
普通ならば自分にとって(リンゴ‥おいしそう)という意味があれば、それが自分の絶対的な考えの元になるでしょう。
しかしその意味なども人によって違いがあり、当人にとっても体調や年齢、そして時とともにコロコロッと変わる‥その程度のものなのです。
自分にとっての意味とは、自分にとって(のみ)の当たり前の大前提でござる。
これを普段の生活の中から、妄想として捉え直し、改めます。
捉え直し方や改め方などは、機会があれば後日また綴ろうかと思います。
日常の中で、無意識に思い込んでいる(意味)という妄想を、意志を持った意識で照らし観る。
このように行動を注意するように心がける事で‥。
いつの間にやら夢の世界に巻き込まれるだけの状態から、自分の意志により、自分の事ならば自分の意志で自由に行動できる状態へ移行したようでござる。
とはいえまだまだ道半ばです。
今回の防備録はこの辺でお開きに相成り候。
ではよい夢を~♪
230 拝
うっすらと陽が射します。
きのこがちらほらと。
(・<・)おジョビを探せ.lv3!でござる。
そして家に帰り着くと(^^)!スズメさんがやっとヒマワリの種をつついてくれたようでござるよー♪。
さてと、今回は私の防備録的な意味で、眠りで見る方の(夢)について綴ろうと思います。
私達の頭はいつも一杯です。
何かに集中している時もぼんやりしている時でも、何かを思っているという意味では同じことでござる。
私達の頭は考え事でいつも一杯です。
私達はたとえ端から見てどんな風でも、頭の中では常に何かの考えがグルグルグルグルと回りっ放しです。
それが普段からあまりにも当たり前になっているので、特にその事を意識する人はあまりいません。
試しに一度頭の中の思いや考えを、思うまま正直に書き出して客観的に眺めてみます。
(゜o゜;)…………おい…まじか
と、自分の頭の中からビックリするような考えを発見するかもしれません。
私は、正気なのか?夢でも見ているのか?…などと。
実際に眠りに落ちる間際、意志の続く限り自分の考え事を観察していると…ある時点から言葉による考え事が自分主観の視点映像に変わってきます。
私の場合は視界、音、触覚がある程度クリアーに知覚されるようです。
そして現実では有り得ない様々な現象(とはいえ、夢の中にいてこれは夢だと自覚してはいません)を体験します。
( • ̀ω•́ )✧面白くないワケがありませーん♪。
夢は現実ではありませんが、夢と現実はリンクしていて、私達の主観、意識、心に起こるひとつの経験だと考えます。
私は眠ることが大好きです。
何も考えず、ぐっすり休めることが眠りの醍醐味のひとつだと思っています。
しかし…特にここ二年程は夢の中が面白過ぎて困ります。
夢については様々な解釈が(検証や反証もないままに)沢山まかり通っています。
しかし、そんな適当な他人の解釈など本来必要ありません。
私たちは自分の夢を、自分の眠りの中でじかに経験できるのですからね。
この一年ほど気がつけば夢の中で自分が、自分の意志で自由に行動できるようになって来ました。
それまで夢の中では勝手に進む状況に、「あらららら~ら~!」と流されるだけで、とても自分の意志で行動など出来ていませんでした。
夢であれ現実であれ、ワケも分からず周囲の状況に振り回される事は決して楽しいものではありません。
しかし周囲の状況がどうであれ、自分の事は自分で決め、自分の意志で行動をとるようになってくると…俄然、夢が面白くなってきました。
何故夢の中で自分の意志による行動が出来るようになったのか?。
そもそも夢とは何なのか?。
私の経験を観察した現時点の結論から言います。
夢とは、私達自身の無自覚な思い込みや勘違いや自分に対する嘘など‥無意識な妄想がリアリティを持って顕在化する世界を経験する現象です。
私の中ではそのようにある程度確認が取れました。
ある程度というのは、妄想が大部分を占めてはいるもののそれが全てでは無いことがうっすら見えているからです。
まず私達が起きている時、私達は頭の中で常に何かを考えています。
これは誰しもが自分の心を見つめれば確認出来る事です。
大抵の場合この考え事とは、もう過ぎた事やまだ先の事、仮定に仮定を重ねた考え事です。
こうした今、目の前にある現実とは無関係な考え事は全て妄想と定義します。
例えば今、目の前に現実のリンゴがあるとしましょう。
現実とは本来は中立です。
現実は現実として、ただそこにそうあるだけの事です。
その現実に意味を与えるのは私達自身の妄想と言えます。
目の前のリンゴ‥このたったひとつのリンゴですが、このリンゴを見た人の数だけ様々でバラバラな意味が無意識から浮かびます。
おいしそう、まずそう、赤い、あおい、甘い、酸っぱい、好き好き、大っ嫌い…。
普通ならば自分にとって(リンゴ‥おいしそう)という意味があれば、それが自分の絶対的な考えの元になるでしょう。
しかしその意味なども人によって違いがあり、当人にとっても体調や年齢、そして時とともにコロコロッと変わる‥その程度のものなのです。
自分にとっての意味とは、自分にとって(のみ)の当たり前の大前提でござる。
これを普段の生活の中から、妄想として捉え直し、改めます。
捉え直し方や改め方などは、機会があれば後日また綴ろうかと思います。
日常の中で、無意識に思い込んでいる(意味)という妄想を、意志を持った意識で照らし観る。
このように行動を注意するように心がける事で‥。
いつの間にやら夢の世界に巻き込まれるだけの状態から、自分の意志により、自分の事ならば自分の意志で自由に行動できる状態へ移行したようでござる。
とはいえまだまだ道半ばです。
今回の防備録はこの辺でお開きに相成り候。
ではよい夢を~♪
230 拝