ふうちゃんのお城ブログ

お城巡りについての記録、城郭検定試験の体験談

第77回 ふうちゃんのお城ブログ 小学生とその保護者を小田原城へ

2023-12-19 21:12:37 | 城郭検定

わたしが小学校の教員をしていた時の教え子が学習塾(幼児教室)を経営しています。

4月に学習塾のアトラクションとして、

お城の話を

小学校の低・中学年にして欲しい

との依頼を受けました。

今年の4月に

現存12天守の話をパワーポイントを使ってしました。

参加者から、実際にお城に見学に行きたいという要望がありました。

小学生の低・中学年が初めてお城を見に行く。

やはり、初心者には、

天守(天守閣)があるお城らしいお城がいい。

東京近郊で天守のあるお城。

どこにあると思いますか。

ありました。

ありました。

小田原城です。

 

ということで、

12月17日(日)小田原城に行きまたした。

 

これはその報告です。

 

参加者は1年生から4年生までの小学生11名と保護者12名、

そして、教え子とわたしです。

小田原駅に現地集合。

小学校の低・中学年が対象ですから、

具体的な物や映像で迫ることが大切です。

お城に行くには小田原駅の東口を出るですが

今回は西口を出ます。

北条早雲(宗瑞)公の銅像があるからです。

小田原北条氏の初代です。

どうしても記憶に留めておきたいたい人です。

遠目から見たのですが、

もう少し像に近づいて

早雲公の近くにどんな動物がいるか。

角に何が付いているか見るように指示します。

牛の角に松明が付いています。

いわゆる「火牛の計」(かぎゅうのけい)を表しています。

早雲公は小田原城を攻めるとき

夜陰に紛れて千頭の牛の角に松明をつけて迫ったと言われています。

同様のことが木曽義仲が倶利伽羅峠で用いたと言われていることから

どちらも、後世の創作ではないかという説が強いそうです。

早雲公の場合、単なる創作ではなく、

押し寄せる津波の影響を牛に仮託したものであるという考え方もあるそうです。

津波被災による混乱に乗じて早雲公が小田原に進出したという解釈だそうですが、

まだ、慎重な検討が必要とのことです。

参照 佐々木健策「戦国期小田原の正体」(吉川弘文館)

 

小田原駅東口に戻りこの天守の遠景に出会わせます。

今日目指すのは天守(天守閣)です。

天守に向い歩きはじめます。

案内図で経路を示します。

この経路赤点に従って進むことを知らせます。

お城の見方の初歩的な話をします。

お城は攻める方と守る方がいること。

今日は攻める方なので、

守る方の工夫(仕掛け)を仕掛けをみつけましょう。

 

では、先に進みます。

お城らしい風景が展開されてきます。

隅櫓(矢倉とも書きます)物置、武器庫です。

お濠(敵をお城に近づけさせないため。鉄砲や弓が届かないように。)

馬出門土橋(めがね橋)、土塀、馬出門

馬出門(高麗門)

外から行くと門が狭くなっています。

なかなか中に入れないで立ち往生します。

塀に空いている△や□の穴を狭間(さま)と言って

鉄砲や弓を撃つための穴です。矢や銃口でねらうことがでます。

立ち往生していると

狭間から銃口や弓矢が仕掛けられて狙い撃ちされます。

中には入ることが出来ても

四方が壁(狭間のある石垣、塀、門)で囲まれた空間(桝形)になっていて

狭間から狙い撃ちされ命の危険にさらされます。

狭い高麗門を潜っても

まっすぐ進むことはできません。

ここの場合だと直角に左折させられます。

そこを横から狙われます。

もう一つの高麗門(内冠木門)を

やっと抜けて

馬屋曲輪に入りました。

将軍家の馬を繋いでいたそうです。(今の駐車場かな)

そこから、次に進む住吉橋と銅門(内仕切門と渡櫓門)をお濠越しに見渡します。

門の中が四角い桝形になっていることがよく分かります。

土塀にはお濠越しに鉄砲で狙う狭間がついているのです。

 

住吉橋と内仕切門

内仕切門は石垣をくりぬいて作った埋門(うずみもん)形式という大変珍しい門です。

中に入り左に曲がると渡櫓門が見えてきます。

大扉などの飾り金具に銅が用いられたことから銅門(あかがねもん)とよばれています。

桝形の中を通って階段が渡櫓門まで続いています。

よく見てください。お城の中の階段は幅が一律ではありません。

歩きにくくし、前進を妨害するためです。

子供たちが門の入口手前の屋根に付いている石落に気付きました。

石落は屋根がくりぬいてあり、上から下に向かって石、熱湯、肥などを落としたり

鉄砲を撃ったりします。

当日、渡り櫓門の二階を特別公開しており、

石落を上から見ることができました。

渡櫓門を抜け、二の丸にでました。

広い空間です。

二の丸御殿があり、政治をしたり、藩主の生活の場として利用されていました。

藩主(お殿様)は天守で生活しているのではなく

御殿で生活しています。

天守で生活していたのは織田信長だけです。

 

常磐木門をくぐると本丸です。

いよいよ本丸です。

天守も真正面に顔をだしました。

これが天守の真正面です。

真正面から天守に入ることは出来ません。

左に見える附櫓の真正面に回り込んで入らなければならないです。

これも攻め込まれないための工夫です。

ここまでは、その都度、説明をしながらきました。

天守では大勢の方が一緒になります。

天守課題を設けて

親子でクイズに取り組んでもらうことにしました。

 

天守課題

1 情報を得るために城内のビデオを見る。

2 北条氏は何代つづいたか確認する。

3 江戸時代の城主は主に何氏と何氏か。

4 虎の印判が押してある書類を確認する。

5 展望台で石垣山を確認する。

6 城内のクイズコーナーに挑戦する。 

 

次のクイズに、親子で相談して考えてください。(実際に配布したプリントにはルビがついています。)

第1問 小田原駅西口に立つ銅像の戦国武将はだれでしょう。

1徳川家康 2織田信長 3豊臣秀吉 4北条早雲

第2問 小田原駅東口を出た所から見える小田原城天守はいつ建てられたものでしょう。

1江戸時代 2明治時代 3昭和時代 4平成時代

第3問 馬出門を入ったらある空間をなんと言いますか。

1虎口 2桝形 3大手 4搦手

第4問 馬出門と内冠木門の形をなんと言いますか。

1冠木門 2櫓門 3薬医門 4高麗門

第5問 住吉橋を渡った所にある内仕切り門のように石垣を割って設けた門を何といいますか。

1埋門 2薬医門 3櫓門 4大手門

第6問 渡櫓門は銅門と言われています。なぜでしょう?

 1大扉などの飾り金具に銅が用いられているから。

 2屋根に銅が用いられているから。

 3窓に銅が用いられているから

 4階段に銅がモ散られているから

第7問 天守は何重何階でしょう。

 1五重四階 2四重四階 3三重四階 4二重二階

  平成の改修で三重五階になったので上記の中に正解はありません。

第8問 小田原城天守は、次のどれとかかわりが深いですか?

 1徳川15代   2足利15代 3北条5代 4豊臣2代

第9問 藩主が民にお触れを出すとき使った動物の頭の印は何でしょう。

 1いぬ 2ねこ 3うし 4とら

第10問 小田原藩が目指した年貢(税金)は何でしょう。

 1五公五民 2六公四民  3七公三民 4四公六民

第11問 豊臣秀吉が小田原城を攻めたときに作ったお城はなんでしょう。

 1石垣山城 2江戸城 3川越城 4小机城

第12問 小田原城天守にお祭りされている神様は?

 1大黒天 2天神 3摩利支天 4弁財天

(宿題)小田原城の見学で学んだことから、お城検定の問題を作ってみましょう。

 

当日、実際に答え合わせをする時間がなくなりました。

このブログで確認していください。

正解は太字です。

 

 

最後に一緒に行く予定だったのは

関東大震災の崩れた石垣の跡です。

お城は地震の被害にいつの時代も遭遇してきました。

この石垣も地震の遺構として敢えて残してあるのです。

また、天守の展示の一番始めにあったのは

この石(石碑)です。

解説にはこう書いてあります。

小田原城再興碑

元禄16年(1703)11月22日夜の大地震により

小田原城は天守をはじめ、ほとんどの建造物が倒壊・消失する

壊滅的被害を受けました。この再興碑は、藩主大久保忠増による

復興の経緯を伝える貴重な資料で、大正12年(1923)の

関東大震災の際、崩落した天守台の石垣の中から発見されたものです。

 

実に貴重な資料です。

地震への復興はお城にとっても永遠の課題と言えるでしょう。

そのことを伝える関東大震災の石垣を子供たちにも

直に感じて欲しかったのです。

またの機会に訪れて頂ければと思います。

 



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mkdiechi)
2023-12-20 08:06:16
おはようございます、ぴあ野です。
お忙しいのだろうなと拝察しておりました。
そして久しぶりのご更新が小田原城とは!
敬愛して止まない北条五代
↑にも登場の「虎の印」を封蝋代わりにしているくらいなので
嬉しい限りです。

親子でクイズに挑戦も楽しかったことでしょうね~
関東大震災の小田原の被害は甚大でしたから・・・
子どもさん達に地震についても考えるきっかけになると良いですね。
返信する
Unknown (fuhchan2399です。)
2023-12-20 09:06:13
ぴあ野さん
コメントありがとうございます。小田原城へは伊東潤の作品と城郭検定から入りました。地震対策は永遠の課題だと思います。だから、子供たちには、その跡を直に触れてほしいと思っています。
返信する

コメントを投稿