武州松山城は武蔵国中原の要衝として関東の諸勢力による激しい争奪戦が展開された城です。城の周囲は市ノ川が北側から西側を回りこみ丘陵の裾を削り取って北側と西側は断崖絶壁を形成している天然の要害をなしています。そのため難航不落の城と言われていました。
扇谷上杉氏の事実上の最後の当主である上杉朝定が川越城を失った後に居城したが扇谷上杉家が滅亡すると北条氏康の手に移ります。永禄4年(1561)には上杉 . . . 本文を読む
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