東松山市の妙安寺の境内にある上岡馬頭観音は馬頭観音としては関東随一の霊場と言われており毎年2月19日に行われる例大祭は絵馬市が立ちます。「上岡馬頭観音を参拝しない馬持ちはウマカッタといってはならない」と言われるほど古くは軍馬や農耕馬の守り観音として信仰を集めていました。馬を飼う人が少なくなった現在では千匹馬の大幕や馬の絵馬、馬の銅像がかっての面影を留めていて馬主や調教師などの競馬関係者も祈願に訪れています。絵馬市は国の選択的無形民俗文化財に指定されています。(東松山市HPから)
上岡馬頭観音の歴史は今から約800年前の鎌倉時代、随慶和尚によって福聚庵として当地に創建されたのがその起こりとされております。随慶和尚は源義経が京都鞍馬山で修行した折一緒に文を学び道を修めた人で、当山本尊は随慶和尚の作とされています。
また、本尊の中に黄金の尊像が納められていると伝えられています。この尊像は古くは蝦夷討伐の折に坂上田村麻呂が、平将門追討の折に平貞盛が、その後源頼家・義家いずれもがこの尊像を奉じて出陣、役目を果たしました。その後藤原秀衡から源義経に渡り義経も尊像を奉じて木曽義仲を討ち入洛したがその時「尊像を手元に置いておくのは畏れ多い」と修行仲間であった瑞慶和尚に授けました。ところが義経は頼朝よってに鎌倉を追われ陸奥に落ち延びますがそれを知った瑞慶和尚は尊像を返すために義経を追いますが追いつけないことを知ります。その時夢枕に立った観音様のお告げによりこの地に安置することにしました。瑞慶和尚は当時辺りを納めていた源範頼の力を借りて福聚庵を結び預かった尊像を自分で作成した馬頭観音の本尊に納め庵に祀ったとされています。
400年前に上岡馬頭観音、本堂脇の諏訪神社を管理する形で「諏訪山妙安寺」が建立されたが明治期の神仏分離により諏訪神社が離れ慈雲山妙安寺」として現在に至っています。
今日の縁日はこの冬一番の寒さと強風の厳しい条件の中でも晴天に恵まれ大勢の参拝客や露店が出店していて賑わっていました。珍しい行事に参加出来て有意義な一日でした。
馬頭観音堂
達磨の販売
馬の銅像
待機中の祭事主役の白馬
目がかわいいです。
妙安寺本堂
かえるの置物
精巧で立派な龍の彫り物
蹄鉄の飾りもの
お祓いを受ける前の馬たち
観音堂に向かって出発します
人だかりの参道を抜けて観音堂へ
観音堂に入りました
読経中はずっと頭を下げています
無事祭事が終わりました。
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