埼玉県名発祥の地名や水城で知られる行田市にある行田八幡神社は「封じの宮」と称され、子供の夜泣きや疳の虫を封じる虫封じをはじめ、癌の病、難病や悪癖の封じ、お年寄りのぼけ封じなどの封じ祈願が秘法として継承されていると言われています。
元和・宝永・弘化の年間においての行田町大火で再三の類焼の災害に遭い史書等は焼失して創祀の次第は判然としませんが口碑によると、源頼義、義家が欧州討伐のために勧請されたと伝えられています。当初は佐間村田中に鎮座、俗に「田中(でんちゅう)八幡」と言われていました。天文年中に現在地に移され、時の忍城主成田下総守長泰公は深く当社を崇敬し社殿を補修し城下鎮守としました。弘化大火により社殿全焼の時町全体が消失し氏子による社の再建が不可能となり祀職家にて同年再建されました。現在の社殿は皇紀2650年を記念して造営が進められ、平成元年11月の竣功であり、次いで平成12年に参集殿が竣功しました。(当社由緒書抜粋)
場内には「目の神社」をはじめ湿疹・美肌の神「瘡守(かさもり)稲荷社」、忍城七福神「大国主神社」などの場内社が祀られています。近年は「なで桃」がパワースポットとして知られ病難や災害避けの神としても有名です。
週替わりの花手水が参拝者の心を癒やしてくれています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます