80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

父の思い出

2015-08-23 16:41:27 | 最近の出来事

昔、一年志願兵と言う制度があったそうだ。


父はどうもその制度を利用して、予備役の将校に

なったようで、多分そのときに徹底的に正確な

地図を描くことを叩き込まれたようであった。

私達をお使いに出す時には、何時も地図を描いて

渡してくれた。時には、口で言ってくれただけ

だって覚えていられるのにと、内心で思ったことも

あったけれど・・・。

でも父の地図は何時も丁寧で正確だった。

父が何かのお祝い事で多少のお酒が入ってすごく

ご機嫌になって自慢話を始めたことがあった。

志願兵当時、甲府連隊で大演習があった時に部下を

何人か連れて斥候に出され、父が正確な地図と情報

を書き、味方を大勝利に導いて、最後に、講評で、

その当時の連隊長だった東条英樹さんから

“安藤少尉 サーベルを上げろ”

とお褒めの言葉をいただいたといかにも嬉しそうに

話していたことがあった。


一年志願兵制度とは、弟に聞いたところによると、

昔は、中等学校卒業程度以上の学力があると認め

られると、お金を出して士官になれる途があった

ようで、いくら出したかは定かではないが、どうも

食費程度のことだったようだが、金持ちだけを

優遇するという批判が出たので、昭和のはじめには、

幹部候補生制度ができ、中学卒以上の学力があると

認められたものには一般に、士官への途が開かれた

そうである。

その後の成績で、士官に任命されたり、下士官に

なったりしたそうだ。

そうして予備役の少尉になったら、軍用行李の中に、

軍服、サーベル、軍帽、軍靴、水筒、ゲートル

(尉官は上等な茶色の皮でできたもので、

 左右の外側の上下にバックルがついていた)

 などの必需品をいつでも手元に自費で用意して

 おかなければいけなかった。